このブログは「結いの会」皆のブログ!!

会員皆様が、LIVEで体験した新潟の魅力を感想や写真でこのブログに書き込みましょう。

村上城下町歩き

2013-04-12 15:46:56 | 街あるき
村上城下町まち歩き

3月31日(日)予てより計画しておりました、「越後村上町屋の雛人形巡り」を開催しました。生憎の雪模様の天候の中、全員「えちこワンデーパス」を利用して、総勢14名で出かけました。振り返れば、前日は快晴、翌日も快晴でした。一週間前の天気予報に寄れば、31日はお日様マーク、よもやこの日だけが雪が降ろうとは誰もが想像だにしなかったにも関わらず、何故かこの日ばかりは出発直前、午前8時頃より雪が降り出してしまったのです。
お天気様ばかりは誰も攻めることも出来ません。それでも、「雪の風情もかえって良かった」と慰めてくれる方もおられ少しは気が楽になりました。
こんなことを書いているのは、この度の村上行きを率先して計画させて頂いた、村上出身の「進ちゃん」です。何しろ是だけの大勢のメンバーで村上を案内する機会など滅多に有る訳ではありませんから、数ヶ月前に話が出た時から考え抜いた結果、「結いの会」メンバーは新潟町歩きはベタラン揃いですから、サブテーマを「湊町新潟と村上の関わり」として計画しました。
以下は「まち歩き」で巡った経路を中心に関連写真を掲載し当日を振り返って見ましょう。
1.藤基神社
 

村上藩主内藤侯の藩祖である内藤信成公をお祀りした神社。この社殿は総欅造りで8年の歳月を要し村上町中の工匠たちがその技の粋を結集したものであるとの事。殊に虹梁や蟇股のその外各所施された彫刻は「有磯周斎」が「稲垣又八」らとともに技を尽した傑作である。境内には、「種川碑」「鳥居三十郎碑」「村上藩士殉難の碑」もあり、村上の歴史の記録も感じ取る事が出来ました。
新潟市中央区夕栄町にある「長音寺」には、「総欅造りの本堂は嘉永六年(1853)に村上藩主から寄進された山の欅で建てられました。本堂の彫り物「有磯周斎作」も素晴らしいので要チエック!」と案内があります。こんな所にも新潟と村上の接点がありました。
2.光徳寺
 このお寺はお城山の麓にある歴代藩主の菩提寺です。当初幕末をこの地で迎えた内藤信民候の墓所が在ったのですが、大名は死去した場所によって埋葬場所が異なる場合が多く内藤氏の江戸の菩提寺は小石川の無量院や広尾の東北寺と離れ離れでしたが、平成元年に東京にある藩主、一族の60余りの墓が光徳寺に集められ内藤候歴代城主の墓所として整備され村上市指定史跡となっています。 なお、寺域は城内の一郭(かく)として、国重要史跡に指定されている。


境内での雪の降る中1人「輪投げ」に興じている人がいます。誰か。


本堂 本尊は立像は阿弥陀如来像、
両脇は観音菩薩と勢至菩薩(いずれも鎌倉佛師の作)
このお寺は重要文化財的価値があるため、平成6年に文部科学省の指導の下、当時の姿に復元したとお寺のご内室さんが説明して下さいました。
このお寺には、かつて村上藩主であり、その後幕末を高田で迎えられた榊原家縁の方のお墓もあります。


 藩祖 内藤信成候墓碑


堀直竒候顕彰墓碑
堀直竒候は長岡城主時代、新潟の港を繁栄させるため、堺港を模範とした港の構築を目指し、新潟の町建を行い、現在の新潟島の基礎を築いたといわれています。また、湊の交易に関わる諸税の制度や新潟町の自治などは堀直竒候の考え方が幕末まで踏襲されてきたとの事で、正にソフト・ハードの面で、新潟の発展に寄与したといわれて降ります。 

3.村上城址
 光徳寺から村上城址に至る道のりは武家屋敷の佇まいが今に残るお庭の綺麗な物静かな通りです。私のお勧めの「村上城下町お庭街道」ですが、4月中頃にはお庭の木々も百花繚乱の時を迎えるのですが、今日は朝からの雪で季節外れの佇まいを見せてくれました。
登山口まで全員で歩いて来たのですが、「皆、分かったかなーー!?」登り口は雪が積もり相当の勇気がないと登る気にはなれないと心配していましたが、矢張り全員は無理で、登山決行は6人となりました。
山頂に至る道は通称「七曲り」と言われており、本来、何方でも登れるのですか、流石、雪道ともなると躊躇されるのも最もな事でした。「七曲り」の道筋も山野草の宝庫とも言われており、桜の頃にはカタクリを初め珍しい花々で彩られます。何でも、植物分布上でも何故この様な植物がこの山にあるのか不思議なのだと聞いた事があります。村上藩は譜代大名で、関が原以降、村上義明が最初の藩主となりましたが、以降、100年間くらいの間に目まぐるしく藩主が変わりました。遠くは姫路ほ初めとして、北陸、関東からと国替えが行われましたが、そんな折、故郷を偲んで移植したのではないか等といわれる人もおりますが、定かではありません。
有志6名は頂上を目指しましたが、眼下の景色は雪にかき消され本来見えるべき眺望は視界ゼロで全く見えません。それでも十数分後には頂上に至る巨大な石垣が姿を現しました。

村上城址の巨大石垣

4.能登新
予てより、予約しておりました、江戸時代から続く創業270年の老舗料亭です。


雛人形季節限定ランチです。
流石、鮭の町ですね。「鮭の焼漬」がでました。私の大好物。村上の家庭料理です。
全員が列車で来た効果はここで発揮されます。地酒を注文する方もいましたね。
お昼から雪見酒とは粋な経験でした。

6.町屋の雛人形巡りへ

九重園のお雛様、解説は熱が籠もっていました。割烹着がお似合いですね。
天井が高いのも印象的でしたよ。町屋の特徴ですね。中には明り取りの窓もありました。

7.子抱き雛


新多久さんで見つけた珍しいお雛様
新多久さんは一昨年の「鮭道場」の打上でお邪魔したことがありました。女将さんも顔なじみとなり、この「子持ち雛」について説明してくださいました。
秋に開催される「町屋の竹灯篭祭りには」本庄繁長の縁の人でフラメンコギタリストの「長尾景友」が必ず出演するとの事です。何しろ、この祭り仕掛け人は女将ですから。この「子持ち雛」は、3月15日まで、東京の目黒雅叙園百段階段で特別展示をされていたとの事。何でも、男雛が子供抱いている。女雛が万歳している。
その様子を家来を祝福している。これは凱旋の模様か?素材も豪華で金糸で出来ているので、年代物の割にはとても綺麗に見えました。

8.冨士美園にて
最後は、何時もお世話になっている冨士美園さんに集合し、店主の飯島様からお茶を頂きながら、村上の交々の逸話をして頂き大いに盛り上がりました。町屋の雛人形祭りも4月3日で終わります。最後の日曜日で町は観光客で賑わっておりましたが、飯島様には長時間にわたり私どもにお付き合い頂き感謝の限りです。
9.新潟へ
今日は日曜日です。月曜日かメンバーはお仕事です。と思っていたのに、新潟で打上となりました。「結いの会」の皆様はとても達者で何よりです。




コメント (3)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 越後村上町屋の雛人形ツアー | トップ | 「結いの会」総会開催案内 »
最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
素晴らしいレポート ()
2013-04-13 07:22:20
改めて復習させてもらいました。
当然近い土地ですから、関わりがあるとは思いましたが、初めて自分の中でリアルに繋がりました。
一度でなく歩けたことが、厚みを持たせてくれたと思います。
準備、案内、本当にありがとうございました!
返信する
Unknown (すず)
2013-04-15 23:15:13
わずか35万円で始めたイベント。
街の人たちをこんなにも勢いづかせるそのすごさに感動しました。
十年以上もの長い取り組みの中で、見えないような変化が少しずつあったことだろうと思います。
今でも、新しい何かを加えながら頑張っていらしゃる村上の皆さんに感動します。
余談ですが、コーヒー三人組は、骨董市も見たいねと語り合っておりました。
返信する
良いですね ()
2013-04-16 02:55:52
あ、骨董市、良いですねそれ。
返信する

コメントを投稿

街あるき」カテゴリの最新記事