円覚寺日記 四季綴り

このお寺が建っている環境のごとく、ゆったりとした気分で書いていきたい。
浄土真宗本願寺派 円覚寺の日記帳です。

パソコン

2008年05月31日 | 日記
法務等でお寺の外にいる時間が多くなった。
なので外出時でも事務出来るように、新たにモバイルノートパソコンを購入。
メインマシンはウィンドウズXPなのだが、ノートのOSはウィンドウズVista。

使い勝手等々賛否両論のこのOS、これまで正直躊躇していた。まだ市場にはXP搭載モデルも存在するが、今回SP1というバージョンになったということで、購入に踏み切った。

しかしながら今回のOS導入に対しては今も慎重論が多い。天下のマイクロソフトとはいえ、ユーザーの嗜好や必要としていることに対して、少しずつズレを起こし始めているのでは。

私の友人で、かたくなにMacを使い続けている人がいて、反骨精神旺盛な部分もあるが、そのユーザービリティは捨てがたいとも言っていた。

いくら機能が優れていても、それを使う人間がついて行けなければ価値は半減する。


素晴らしくスゴイものを優しく。実はこれが一番難しいことかもしれないが、念仏の易行たるゆえんはまさにそこを指しているのかもしれない。



昨日~今日

2008年05月30日 | 日記
昨日は午後1時半より、鞍手組同朋教学部主催の教学研修会が当山にて行われた。
「本典を学ぶ」というテーマで昨年度より引き続いて、山口県より渓宏道師をご講師に迎えての講義。

今回は本典(教行信証)の信巻、三一問答の法義釈を中心として、第十八願に誓われた至心・信楽・欲生の三心のおこころを窺った。

また三心一心を勉強し直さなくては。


本日左目に痛みが。またものもらいである。

CHANGE?

2008年05月28日 | 日記
キムタクのドラマ「CHANGE」が高視聴率をマーク。

私も見た。トンデモな設定で、・・・な感じはあるが、まあ面白く見た。

というか、キムタクはどんなドラマに出てどんな役をしても、やっぱキムタクな演技だねと坊守とも話した。

マンネリとは違うが、金太郎飴みたくどこを切ってもキムタクテイストである。
ドラマの題名は「CHANGE」ですけど。

しかしこれはある意味すごいことかもしれない。


お説教はどうだろう。例話に走りすぎて、肝心のお念仏が見えない場合がある。
常に南無阿弥陀仏に戻っていかなければ。

常に揺るぐことのない阿弥陀様のお慈悲を中心としてお取り次ぎしなければと思う。
もちろん時代に相応した布教のあり方が存在し、変化していくものであろう。
しかしそんな中にも、お念仏の香りが常にただよっていなければね。


かど

2008年05月27日 | 日記
今日も庭掃除を2時間ほど行った。

気をつけているのは、隅っこや角、境目を綺麗にすることである。例えば平らな場所から壁が立ち上がっているところなどである。

ここが綺麗だと、ほかのところが少し汚くとも(?)全体が引き締まって見えるのである。

角とは、大切なことをいうらしい。

蓮如上人御一代記聞書には
「讃嘆のときなにもおなじやうにきかで、聴聞はかどをきけと申され候ふ。」
とある。

ここで「かど」とは、肝要・要点・かなめのことを指す。

かどは掃除をしていても、拭き残したり見落としがちなところである。しかし、そこをきちんと掃除すれば全体が綺麗になるがごとく、仏法もより私のためであったと聞こえてくるであろう。


蓮の花

2008年05月26日 | 日記
庭を掃除していたら、蓮の花が咲いているのに気がついた。

泥の中に咲く綺麗な蓮の花は阿弥陀様のおはたらきにたとえられる。

泥凡夫たるこのワタシのところにはたらいてくださる阿弥陀様の智慧と慈悲のおこころである。



5月22日

2008年05月22日 | 日記
なんだかとても暑く感じた一日。汗もよくかいた。
お寺の前の田んぼには少しずつ水が入り始めている。この田んぼに水が満たされると、その冷気でしばし涼しい日が戻ってくる。その頃の風が好きだ。

雲林俳句会

2008年05月21日 | 日記
本日午後1時半より雲林俳句会が行われました。
新たに加入してくださった方もいて、和やかに俳句を楽しみました。


鏡田を 鷺の抜き足 忍ぶ足
川一条 海へ百里の 麦の秋
飛び石の 陰より走る 瑠璃とかげ
下校の子 挨拶上手 夏に入る
浦風に 卯浪の立ちて 遭難碑
幾たびも 燕出入の 納屋に用
日曜の 画家の一日 つつじ寺
花卯木 淡淡淡と 雨の中
水底の 透けて目を浴ぶ 蝌蚪の国
おほかたは 隣に散りし 紫木蓮
芍薬の 白の浮き立つ 闇の中
妻有髪 夫無髪の 麦の秋
初参式 家族の愛に 風光る

拙句もよろしく。
粽食べ 終わりて皮の 巻き戻る
大空を 映す鏡の 植田かな
参道の 真ん中ふさぐ 青大将
庭先に 咲きて土産と 花菖蒲
ハイハイの 跡に残りし 天瓜粉


相変わらず自分は締切間際、ギリギリセーフでの投句である。
とはいえ、少しずつ季節に対する関心が深まってきたのは確かだ。 

2008年05月20日 | 日記
善導大師は

「経は経(たて)なり 経(たて)よく緯(ぬき)をたもつ」(観経疏玄義分)

と仏法をあらわされますが、

今日(シャレではない)、今更かもしれませんが、こんな歌があることを知りました。

中島みゆきさんの『糸』です。


「なぜ めぐり逢うのかを
私たちは なにも知らない
いつ めぐり逢うのかを
私たちは いつも知らない
どこにいたの 生きていたの
遠い空の下 ふたつの物語
縦の糸はあなた 横の糸は私
織りなす布は いつか誰かを
暖めうるかもしれない

なぜ 生きてゆくのかを
迷った日の跡の ささくれ
夢追いかけ走って
ころんだ日の跡の ささくれ
こんな糸が なんになるの
心許なくて ふるえてた風の中
縦の糸はあなた 横の糸は私
織りなす布は いつか誰かの
傷をかばうかもしれない

縦の糸はあなた 横の糸は私
逢うべき糸に 出逢えることを
人は 仕合わせと呼びます」

すべてとは言えないかもしれないが、仏法に通ずる点も多いのではないでしょうか。
また、「幸せ」でなく「仕合わせ」と表現してくださったことにも感謝。