円覚寺日記 四季綴り

このお寺が建っている環境のごとく、ゆったりとした気分で書いていきたい。
浄土真宗本願寺派 円覚寺の日記帳です。

鞍手組仏壮総会

2008年05月10日 | 日記
本日午後7時より、当山にて鞍手組仏教壮年会の総会および定例研修会が開催された。私は通夜勤行から帰山したのが午後8時40分頃であったので、すでに総会は終わっており、研修会の途中から本堂にて聴聞。ご講師は東筑組妙法寺の安武真哉師で「正信偈に学ぶ」をテーマにお話くださった。


さて、今月はあと二つ鞍手組の行事の会所を引き受けている。今日もそうであったが、研修会等があると普段にも増して内陣の荘厳には気をつけるものである。とくに最近仏華に対しての意識が高くなってきた。

今日も夕方、何本か中尊前(阿弥陀様の前)の仏華(立華)の中で、何本か弱っている花を差し替えた。

祖師前(親鸞様の厨子の前)と御代前(蓮如様の前)はゼロの状態から花を活けることもあり、活けることに関してそう敬遠することはない。

しかし中尊前の立華となると話は別だ。カナ~リ技術が必要デス・・・。
すべてを作り上げるまでにはまだまだはるかな道をたどらなければならないであろう。ワタシは弱ってきた花だけを数本差し替える程度しかまだ出来ない。

毎日本堂でおつとめしながら立華を眺め、綺麗だなあと思う。何気な~く思っているのである。

しかし、その立華の数本でもじっくりと間近で凝視し、手に取るとき、枝の曲げ方一つとっても、枝の表面を少し削り、細い針金を枝に沿わせて微妙なアールを出したり、細かい作業の積み重ねであることに気付き、そして作者のご苦労を思うと頭が下がるのである。
(ちなみにワタシは最初の頃は、無理矢理枝を曲げて何本もの菊を折って来たのでした・・・反省)


仏法を聴聞することは、これに似ているかもしれない。

もしかしたら私たちは、漠然と?感謝しながら(この表現が正しいかどうか定かではないが)、普段何気なく手を合わせ、ナンマンダブと何気なくお念仏申している。

しかし、聴聞・・・聴けば聞こえてくるのである。聴くことにより、阿弥陀様の「われにまかせよ必ずすくう」のご本願が、そしてご苦労が聞こえてくるのである。

親鸞聖人は、
「『聞』といふは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞といふなり。」(教行信証 信巻末)
と釈された。

聴くところに阿弥陀様の私にかけられた願いが、その理由が、そして生まれさせていただく浄土が明らかになってくる。


・・・、ほんとに阿弥陀様は様々な手だてを持って私に法を説いてくださっていると、ただ念仏。