円覚寺日記 四季綴り

このお寺が建っている環境のごとく、ゆったりとした気分で書いていきたい。
浄土真宗本願寺派 円覚寺の日記帳です。

五月四日

2008年05月04日 | 日記
午前中は千葉よりご門徒様がお寺にお参りに来られた。もとは鞍手に住んでおられた方で、しかし同行された娘さん方は初めての福岡。こののどかな田舎の風景をしばし眺めながら歓談させていただいた。千葉に帰られても故郷の景色を思い出していただきたいものである。いつでも帰ればそこにお寺がある、そんなふうになりたい。

午後2時より隣の集落のご門徒様の一周忌のご法事。愛知や沖縄からもお参りに来られていた。前述の千葉からのご門徒さんとともに、ゴールデンウィークの真っ只中、さぞ道中は渋滞や混雑で大変な思いをされたであろう。しかしそれでもお越しくださるのが何ともうれしいです。

夕方4時からは当山納骨堂での納骨式があったのだが、こちらの説明不足もあり、40分ほどご門徒をお待たせすることになってしまった。それでも笑いながらお許しくださったその笑顔にこちらが助けられたのだが、これを機に言葉の重みをあらためて実感。
思えば昨日5月3日は、住職を継職してちょうど一年たった日であった。思わず、ゆるみ始めた気を引き締める機会となった。よくよく気をつけます。

夜は5月6日の仏壮総会の準備で印刷等行う。

さて、前日までつとめた永代経法要の法話を聴聞しながら、南無阿弥陀仏の六字の名号の徳とはたらきについてもっと自分自身勉強すべきことが多々あると反省。

親鸞聖人は恩師法然聖人より他力念仏の道に帰依されていったのであるが、その法然聖人は、末法の世に凡夫がすくわれる道を、善導大師の『観経疏』に説かれる「一心専念弥陀名号」に見いだされたのである。
その善導大師は六字に往生すべき願と行が具足すると(二字四字分釈、願行門の六字釈)と説かれ、その後親鸞聖人は六字全体を如来の喚び声(六字合釈)と味わわれ、さらに蓮如上人は、「タノメ タスクル」と、たのむ機とたすける法(機法門の六字釈)と釈された。

と、考えるうちに、いったん善導大師の「観経疏」と仏説観無量寿経にかえってみようと思い、書棚から関連書を引っ張り出し、今読んでいる・・・。