円覚寺日記 四季綴り

このお寺が建っている環境のごとく、ゆったりとした気分で書いていきたい。
浄土真宗本願寺派 円覚寺の日記帳です。

あわただしさの中にも・・・

2011年10月20日 | 日記
久しぶりの更新どぇす。


当山の行事予定表の記入の約束事としては、
法事や命日参り、お葬儀などの法務の予定は黒色で記入し、
自坊での法要行事・会議等、また自坊以外(鞍手組・福岡教区等)の行事や会議の予定は赤色で記入するのだが、
なんか10月の予定一覧を見るに、ほぼ毎日赤色でビッシリ埋まっている。
実は今日も夜は鞍手組内のお寺にうかがう予定であったのだが、自坊の予定が急遽変わったため欠席をして、今これを書いている。
CD会議の皆さん、本日は誠にゴメンナサイ。



まあ、こんな感じでゆっくりブログを書く余裕がなかったのだが、ある意味大変充実した日々でもある。



たとえば・・・、

カトマンズ本願寺のアシュマ・ラマさんがご来寺され、貴重なカトマンズのお話を聞くことが出来たり、







親鸞聖人750回大遠忌の鞍手組団体参拝にまた参加したり、







子どもの運動会もあったし、







その他、種々の研修会でありがたいお話も聞くことが出来たし、
こんなに機会に恵まれているっていいもんだな、とも思う。



そうだ、ある一つの出来事も、受け取り方次第でその意味は変わってくる。

10月の鞍手組の団参で親鸞聖人ご流罪の地である新潟に行ったのだが、
親鸞聖人が島流しで上陸された地の居多ヶ浜(こたがはま)には石碑が建っていて、
そこには、親鸞聖人の御一代記である御伝鈔の一節が次のように刻まれてある。

「もしわれ配所(はいしょ)におもむかずんば、なにによりてか辺鄙(へんぴ)の群類(ぐんるい)を化せん。これなほ師教の恩致なり。」

私たちは、親鸞聖人が承元の法難によって念仏弾圧され京都を追われご流罪になったことを、
「なんと悲しいことだ、当時の政治権力に対して腹立つ~」、と考えてしまう。

しかし親鸞聖人ご自身はその逆縁と思ってしまうことも、「新たに越後の地においてお念仏のみ教えを伝えることが出来るご縁をいただいたのだ」と、
お慶びになったのだ。



だからといってすぐに穏やかな気分になれないのもまたこの私である。

しかし、ふとそんな腹立つばかりの自分を振り返る瞬間をいただけるのは、お念仏のご縁かなあと思う。
じゃないと怒ったままで、そんな自分自身の姿にさえも気付かないかも知れないから。



さて、今月も下旬へと突入、もうしばらくは行事に出ずっぱりの身である。