円覚寺日記 四季綴り

このお寺が建っている環境のごとく、ゆったりとした気分で書いていきたい。
浄土真宗本願寺派 円覚寺の日記帳です。

5月17日

2008年05月17日 | 日記
本日午前11時よりご法事、その後場所を移してお斎であったのだが、仏教に関する質問をたくさん頂戴し、仏教談義に花が咲いた。後の予定の関係上、途中退席することも多いのだが、午後の予定も特になかったので、今日はお斎の席に最後まで座ることが出来た。何よりもいろいろなお尋ねを頂戴し、こちらが多くの学びをいただいたことがうれしい。

夕刻、久しぶりに自転車に乗り、日頃の運動不足解消。30分くらいしか乗っていないが、近くの山道をヒルクライムし、太ももに乳酸がたまる~。

定例法座 十六日講

2008年05月16日 | 日記
本日午後1時より、定例法座「十六日講」。
真宗教団連合カレンダー五月の標語「仏の国土は 清く安らかな 涅槃の世界である」をテーマに法話をさせていただきました。

また後半は、「仏事のイロハ」をテキストにしてお参りの方々とともに読み、浄土真宗の作法を学びました。




口内炎

2008年05月15日 | 日記
明日の定例法座十六日講の法話を考え中。
数日前より口内炎が2個も出来、口を動かすたびに痛みが走るので、口数も少なめ。いらんことを言わない分良いのかも。

お念仏申すだけでよいのだ、ナンマンダブ なんまんだぶ、イタッ!

今はやっぱり満足に申せない(悲)。

しかし、阿弥陀様はそんな場合まで見越して、本願文には三心のほかに乃至十念として一多包容・従多向少の称名を誓ってくださったのだ。
つまり他力の信の一念に往生決定し、後続の称名念仏は報謝行としてくださったのだ。
なんまんだぶ、イテッ!!

ワクチン接種にて

2008年05月14日 | 日記
本日午後1時ころから次女(8か月)のポリオワクチン接種のために町内福祉施設「くらじの里」に行った。

元々は坊守が連れて行くはずだったのが、事情により行けなくなったので、代わって私が次女を連れて行くことになった。長女も「ついて行く!」と言ってきかないので、次女を抱っこし、長女の手を引いてお父さんは頑張って行きましたよ。

ワクチン接種会場に着くと一瞬たじろいだ。たくさんの赤ちゃんとその保護者がいたのだが、男性はワタシ一人(汗)。まわりはみんなお母さんである。

めずらしそうにワタシを見る人々。それに輪をかけるように、長女が大声で

「グゥー グゥー コォ~!!!」

・・・よりによってこんな場所で「エドはるみ」の物まねである。

ポリオの接種が終わりそそくさと会場を後にしたのは言うまでもない。


気を取り直し、午後2時に帰宅後、宮若市S念寺の若院様来寺。笙の個人レッスンを行い、また午後7時半からは当山にて鞍手組雅遊会(雅楽会)の練習会が行われた。今年は雅楽出勤が多いので、研鑽に励もう。




一願積んでは衆生のため

2008年05月13日 | 日記
本日午後8時より、小竹町E照寺さまにて安心論題の学習会。テーマは「正定業義」。

11時過ぎに帰宅後、自室にはいると子どものおもちゃが足の踏み場がないくらいに散乱(泣)。
たぶん長女の仕業であろうが、もう本人はすやすやと夢の中。

やれやれと一つ一つ片付けていきながら、

「焼野のきざす夜の鶴、子ゆえに迷う親心、
親を思わぬ子はあれど、子を思わぬ親はなし。
ましてわれらの親様は、一々誓願為衆生故、
一願積んでは衆生のため、一行はげんでも衆生のため、
衆生故ならこの弥陀は、こおる氷もこおらばこおれ、さかまく浪もたてばたて、
八寒紅蓮の氷の中も、灼熱無間の焔の中も、衆生一人、弥陀一人、
実の子じゃもの親じゃもの、八万由旬燃え上がる、焔の中にとびこんで、
血煙あげて泣くものを、抱いて抱えて摂取して、
蓮華の御座につれあがり、にっこり微笑う顔見るまでは、
退くに退かれぬ親じゃぞよ」

と、口にして、
阿弥陀様のすべてのものをすくいとるお心とご苦労はこんなものの比ではないと、静かな夜にしみじみと感じ入る。



鞍手組仏壮総会

2008年05月10日 | 日記
本日午後7時より、当山にて鞍手組仏教壮年会の総会および定例研修会が開催された。私は通夜勤行から帰山したのが午後8時40分頃であったので、すでに総会は終わっており、研修会の途中から本堂にて聴聞。ご講師は東筑組妙法寺の安武真哉師で「正信偈に学ぶ」をテーマにお話くださった。


さて、今月はあと二つ鞍手組の行事の会所を引き受けている。今日もそうであったが、研修会等があると普段にも増して内陣の荘厳には気をつけるものである。とくに最近仏華に対しての意識が高くなってきた。

今日も夕方、何本か中尊前(阿弥陀様の前)の仏華(立華)の中で、何本か弱っている花を差し替えた。

祖師前(親鸞様の厨子の前)と御代前(蓮如様の前)はゼロの状態から花を活けることもあり、活けることに関してそう敬遠することはない。

しかし中尊前の立華となると話は別だ。カナ~リ技術が必要デス・・・。
すべてを作り上げるまでにはまだまだはるかな道をたどらなければならないであろう。ワタシは弱ってきた花だけを数本差し替える程度しかまだ出来ない。

毎日本堂でおつとめしながら立華を眺め、綺麗だなあと思う。何気な~く思っているのである。

しかし、その立華の数本でもじっくりと間近で凝視し、手に取るとき、枝の曲げ方一つとっても、枝の表面を少し削り、細い針金を枝に沿わせて微妙なアールを出したり、細かい作業の積み重ねであることに気付き、そして作者のご苦労を思うと頭が下がるのである。
(ちなみにワタシは最初の頃は、無理矢理枝を曲げて何本もの菊を折って来たのでした・・・反省)


仏法を聴聞することは、これに似ているかもしれない。

もしかしたら私たちは、漠然と?感謝しながら(この表現が正しいかどうか定かではないが)、普段何気なく手を合わせ、ナンマンダブと何気なくお念仏申している。

しかし、聴聞・・・聴けば聞こえてくるのである。聴くことにより、阿弥陀様の「われにまかせよ必ずすくう」のご本願が、そしてご苦労が聞こえてくるのである。

親鸞聖人は、
「『聞』といふは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞といふなり。」(教行信証 信巻末)
と釈された。

聴くところに阿弥陀様の私にかけられた願いが、その理由が、そして生まれさせていただく浄土が明らかになってくる。


・・・、ほんとに阿弥陀様は様々な手だてを持って私に法を説いてくださっていると、ただ念仏。










5月9日

2008年05月09日 | 日記
日中は明日午後7時より当山を会場にして行われる鞍手組仏教壮年会総会のための会場準備で椅子机等を並べたり掃除したり。

このところ葬儀とそれに関係する法務が続くが、葬儀をおつとめになるご家庭にとってはまさに人生の一大事であり、また阿弥陀様の本願を聞くまたとない機会でもあるので、一座一座を真剣にお取り次ぎする姿勢を私どもは心がけなければならない。

zzz

2008年05月08日 | 日記
夜、久しぶりにマッサージを受けに行きました。
途中からよだれを垂らして眠っており、ZZZ...、ハッと気付いたときにはマッサージ終了。
なんかもったいない気分で帰宅・・・。