円覚寺日記 四季綴り

このお寺が建っている環境のごとく、ゆったりとした気分で書いていきたい。
浄土真宗本願寺派 円覚寺の日記帳です。

塩梅-あんばい

2013年10月03日 | 日記
今日、ある仏具関係の業者さんが自社製品のPRをしに来寺された。
こんな時代にありながら全て国内生産で腕の良い職人さんの手作りで確かに品質も良さそうだ。
しかしそれだけならまだ良かったのだが、とにかく他社のことを批判される。
最初はハァハァと聞いていたのだが、だんだんやーな感じになってきて最後はお引き取りいただいた。

最近、もう破邪ばっかりはきついなあ、と感じ始めている。
良いものならば良いところをそのままよろこんで述べればよろし、あとはおまかせし、おのずと気付きが生まれていくのではないかと、そんなことを思い始めている。
こんな考え、もしかしたら甘いと言われれば甘いかもしれんですがね。


さて、これに関係するようなないような、エピソードばひとつ。

徳川家康が一席の宴を設けたときのこと、山海の珍味に舌鼓を打っていた人々を前にしていきなり、
「この世の食べ物のなかで、何が一番うまいものであろうか?」
と訊ねたという。
皆黙って答に窮していたが、あまり誰も口を開かないと家康の機嫌が損じられると思ったお梶の方が
「はい、それは塩でございます。」
と答えたのだ。
不審に思った家康が、
「それでは何が一番まずいものと思うか?」
と重ねて訊ねたとき、お梶は再び
「はい、それも塩でございます。料理の旨い、旨くないは、塩加減一つによっていかようにでもなるものです。匙加減が、料理のコツでございます。」
と語ったという。


私たちも、せっかく間違いないものがすでにあるのにもかかわらず、いじくり倒して台無しにしてはないだろうか。

怨親平等

2013年10月02日 | 日記
「やられたらやりかえす、倍返しだ!」、で一躍視聴率トップに躍り出たドラマ半沢直樹、私も全話見ましたよ。
ドラマ終了後もこのセリフを聞かない日はない。流行語大賞とるかもね。あくまでこのセリフ、シャレで言って笑っているだけならば良いが・・・。
最終回、大和田常務を100倍返しで土下座させた場面なんぞは、「さすがにやり過ぎやろ」と引きかけた。
まずそんなことは起こりえんだろうが、それでも真剣にみんなが「倍返しだ~!」とか用いだしたらと思うとゾッとする。

ここで思い出されるのが親鸞聖人の師、法然聖人幼少時のことである。

法然聖人のお父上、漆間時国は美作国の押領士(地方の治安維持にあたる在地豪族)であったが、法然聖人9歳のある日、土地争論に関連して明石源内武者貞明に夜討をしかけられて殺害されてしまう。
父時国は臨終の枕辺にいならぶ家族にむかって、
「われこのきずいたむ。人またいたまざらんや。われこのいのちを惜しむ。人あに惜しまざらんや」(恨みをはらすのに恨みをもってするならば、人の世に恨みのなくなるときはない。恨みを超えた広い心を持って、すべての人が救われる仏の道を求めよ)
と、つよく仇討ちをいましめられたのだった。この遺言は仇討ちを当然視する武士の風習、とはまったく逆の方向を示すものとして注目されている。

身近な人を失った悲しみ、またこの世の不条理さへの憤りは、とうてい推し量ることも出来ないほど深いであろう。
「100倍返しなんてとんでもない!」、と思っていた私であったが、よくよく考えると、もし自分がその立場になったら、臨終の一念まで100倍返しどころか1000倍いや10000倍返しでも足りないかもしれない。

それでも阿弥陀さまの怨親平等の願海はそんな私を悲憫しそのまま抱き取り、苦悩を救いへと変えてくださるのだろう。