円覚寺日記 四季綴り

このお寺が建っている環境のごとく、ゆったりとした気分で書いていきたい。
浄土真宗本願寺派 円覚寺の日記帳です。

荘厳(しょうごん)

2007年08月30日 | 日記
日中はお寺での法事が2件ありました。午後の法事はお若い方が多い法事でした。別に区別しているわけではありませんが、なぜか気合いが入ります。せっかくお寺にお参りしたのならば、ぜひ南無阿弥陀仏と声に出して欲しいと法話をさせていただきました。
その後お茶を飲みながらの雑談時、本堂内陣(阿弥陀様をご安置する空間)の彩色についていろいろとお話しさせていただきましたが、とくに興味を持って聞いてくださいました。その中のお一人、ネイルサロンに勤めていらっしゃるお若い女性が、内陣の色合いについて我々でもなかなか気付かないような点まで見てお尋ねをしてくださいました。なるほど職業柄色合いやデザインには敏感なのでしょうね。大変うれしく思いました。
「信は荘厳より生ず」という言葉もございますように、目で見て感じることから阿弥陀如来のお慈悲の世界を味わっていただけたのではないでしょうか。
皆様もお寺にお参りされたときにはぜひじっくりと本堂のお飾りをご覧になっていただきたいと思います。またその本堂をギュッとダウンサイジングしたものがご自宅のお仏壇です。朝な夕なにお仏壇の前に座り、じっと阿弥陀様と向き合ってみたらいかがでしょうか。あなたを決して見離すことなく必ず救うと誓ってくださった阿弥陀様のお心、願いが今到り届いているのです。

早くも秋彼岸のこと

2007年08月29日 | 日記
一泊研修会の心地よい疲れを感じながら、来る秋彼岸法要の案内状作成に取りかかりました。しかしなかなか原稿は進まず・・・。早く仕上げなければ。

さて今年の秋彼岸法要は
第1日目 9月21日 午後1時
第2日目 9月22日 午前10時 午後1時 午後7時半
第3日目 9月23日 午前10時 午後1時
の計6座行います。
どうぞお誘い合わせの上、お参り下さいますようよろしくお願い申し上げます。

目からウロコ

2007年08月28日 | 日記
鞍手組同朋教学部主催の一泊研修会が終わりました。
27日~28日にわたって筑波大学名誉教授の今井雅晴先生より親鸞聖人のご生涯についてのご講義をいただきました。
日本中世史研究の根拠を持って、これまで私たち本願寺派僧侶が宗門内で学んでたいして疑うこともなく受け入れてきた説に、本当にそうだったのか?と鋭いメスを入れてくださいました。とくに恵信尼様との結婚・善鸞義絶の本当の理由・関東移住の根拠などなど、目からウロコの2日間でありました。
私たちは御伝鈔やその他様々な文献などによって親鸞聖人や恵信尼様の伝承を知ることが多いのですが、そのなかで説かれる親鸞聖人や恵信尼様の生涯は、われわれの手の届かない高貴なもののように捉えて讃嘆している部分もあります。しかし親鸞聖人も恵信尼様も人間として私たちと同じように悩み苦しみ、その苦悩の中にお念仏をよろこんでいかれたことを忘れてはならないのです。
さて、今回の一泊研修会は80名ほどのご参加をいただいたということですが、過去最高の参加人数だったということです。数がすべてではないのかもしれませんが、今回の講義テーマが魅力あるものだったのはもちろんのこと、同朋教学部の部長さんの伝えたい!という積極的で強い思いに突き動かされた面が絶対にあると思っています。。
企画主催する側が前向きで楽しめなければ、参加する方も楽しめない、ということでもありましょう。
本当に充実した2日間でありました。

8月26日

2007年08月26日 | 日記
27日~28日に直方市の「いこいの村」を会場に鞍手組同朋部主催の一泊研修会にお招きするご講師を、部長のS徳寺さまとととも福岡空港に迎えに行ってまいりました。
テーマは「親鸞聖人の心と私たち」、ご講師は筑波大学名誉教授の今井雅晴師で、親鸞聖人のご生涯について、今まではっきりとしなかった点や、宗門内の我々では気付かないこと、疑問点や問題点を、中世の歴史の観点などから鋭く切り込んでくださると思います。
実は先生を空港から宿舎にお送りする道中、部長と私は参加者の方より一足早くいろいろと興味があるお話を聞かせていただきました(嬉)。研修会でのご講義が一層楽しみとなっております。

鞍手組第8期連続研修会

2007年08月25日 | 日記
本日午後1時30分より鞍手組連続研修会(以下連研)に出席。私は担当部員なので参加者の皆さんより早めに会場に到着し受け付け等行いました。
開式前に降り出した激しい雨が湿度を高め、さらに暑さが増していく中での講義となりましたが、総勢72名の参加者の皆さんは講師の話に真剣に耳を傾けておられました。
今回は「仏教」をテーマに、」前半はお釈迦さまのご一生を通じて真実とは何かを学び、後半はさらに仏教とは?ということで根本原理である縁起の法や四法印を学びました。
そしてこれは連研の全講義を通して大切なことでありますが、仏教とは何か?を聞くということは、理論を客観的に眺めるのではなく、仏教が説かんとすることは全て"わたし"に直接関わっていて、私に向かって常にはたらき続けていると受け止めることなのであります。

さて明日は私が担当しているもう一つの部門、同朋教学部が主催する一泊研修会のご講師を部長のS徳寺さまとともに福岡空港までお迎えにいきます。すでにちょっと緊張気味でございます。

六度法

2007年08月24日 | 日記
40手前にして綺麗な字を書くことの重要性にあらためて気付き、今流行の「六度法」で美しい字をモノにしようと、購入いたしましたよ、「六度法ノート」。
これは文部科学省海外子女教育指導員の富澤敏彦氏が提唱する、誰でも美しい字が二週間で書けるようになるという、全く新しい方法だそうです。
簡単に言うと、
1:横の線はやや右上がりに書く「右上がり六度法」
2:右下部に重心をかける「右下重心法」
3:点画の間隔を等しくする「等間隔法」
の三つのルールに則って字を書けば誰でもきれいな字が書けるようになる、というものです。
そんなにうまい話があるのだろうか、とも考えましたが、新しいもの好きな私は飛びついてしまいました。
さあ、二週間後、はたして美しい字が書けているでしょうか?

誕生日に・・・

2007年08月23日 | 日記
本日葬儀がありました。公民館を会場にして、町内会の方々が協力し助け合いながらの葬儀であり、心温まる気持ちの中でお勤めをさせていただきました。私が住んでいる町は人口も少なく決して都会とはいえない、というか田舎の町ですが、そんな小さな町の葬儀でも、その土地の人と人のつながりを感じることが少なくなってきています。そんな中お互い助け合って一つの方向性を共有することの素晴らしさをありがたく思わずにはいられませんでした。「あなたのことがみんな心配なのよ」と喪主様に声をかけておられた近所の方々のお姿が目に焼き付いて離れません。
さて、今日の葬儀、もしまだご存命であれば今日が満63歳のお誕生日であったと耳にしました。それで火葬が終わり還骨勤行をお勤めしたあとの法話にて、「確かに人間としてのいのちが続いて今日誕生日を迎えることは出来なかったけれども、人間の命あるときからお念仏のお喚び声に抱かれ必ず浄土往生する身と定まって(現生正定聚)、いのち終わるときにはすぐさま浄土にて悟りを開いて仏と生まれさせていただく(往生即成仏)のであり、『往生』とは死んで終わりと言うことでなく、お浄土に往きて生まれることで、ほとけさまとしてのいのちを恵まれたということなのです」、とお取り次ぎをさせていただきました。
別離の悲しみはすぐには消えないでしょう。しかしお念仏の響きの中に弥陀同覚のさとりを開き、いつも私を願っていてくださることに思いをいたし、少しずつ感謝の念を育んでいただきたいと思いながら、家路に着いたのでした。

念珠

2007年08月22日 | 日記
夜食後、というか先ほどまで念珠の紐を交換する作業を行っておりました。
ちなみに念珠は、一般的には数珠(じゅず)といわれ、そこには念仏の数を数えるためのものという意味合いもあるのですが、こと私たち浄土真宗におきましては、往生には念仏の数の多少を問わず、お念仏申すのは「必ず救う、おまえの往生まちがいない」と誓ってくださった阿弥陀如来に対する報謝としてであり、お念仏するときにぜひ手にしていただきたい法具として、念珠と申しております。本願寺第八代門主の蓮如上人は念珠を持たない人を「さるほどに仏をば手づかみにこそせられたり。」(御文章)と仏様「阿弥陀如来」を手づかみにするようなものだとおっしゃっておられます。真宗門徒の身だしなみとしてぜひ持っていただきたいものです。
盆参り等で念珠を常に手に持っているとその一粒一粒をつないでいる念珠の紐もほつれたり一部切れかかったりして傷んできます。そのため時には念珠の紐を交換しなければなりません。今年のお盆参りが終わって念珠をじっくり観察してみると、やはりあちこち紐が痛んでおりました。
そうです、念珠の紐は切れるものなのです。お念仏申すときに両手にかけて使えば使うほど、紐は切れやすくなってきます。当然でありますし、それぐらい常に使っていただきたいものです。紐が切れたら縁起が悪いなどという考えはこの際捨ててください、切れたら修理すればよいのです。仏壇店などでも修理が出来ますから、紐が切れたり、切れかかってそのままになっている念珠があったらぜひ紐を取り替えてまた使っていただきたいと思います。

会議

2007年08月21日 | 日記
昨日・今日と鞍手組の担当部門である連研部の会議が夜7時半からありました。
今週末行われる連研講義の準備に関する会議で、今夜はご講師を囲んでの事前学習会でした。テーマは仏教。阿弥陀如来の本願を説いてくださったお釈迦さまの生涯そして仏教とは、を中心としての内容検討を行いました。阿弥陀如来の本願は不可称不可説不可思議と説かれるように、我々の考えをはるかに超えたもので、それを言葉で説明しなければならない難しさはありますが、私の問題として正面から向き合ってもらえるように意見の活発な交換が行われました。

ガガー、ベコッ!

2007年08月20日 | 日記
終日頭痛。特に心拍数が上がったときにガンガンとくる。
盆明けのゆる~くなった身体と気持ちにこれは効きます。
さて、二日前に私の不注意で車をガリッとこすってしまいました。左リアフェンダー周辺を。
けっこうひどいですねえとディーラーの方のコメントに私も凹む・・・。
で、ある人いわく、「ハッハー、車はぶつけてなんぼよ!」
何?と思ってしまった。確かにその方はよく車をぶつけていらっしゃったと記憶している。そして周りの方にも迷惑をかけていたことも。それを未だに気付いていないのだろうか。
7年間大切に乗ってきた車が傷つくのは私にとってとても悲しいこと。でも今回は自分で勝手にこすっただけで済んだから・・・。
最近私の友人知人が二人も交通事故に遭って大けがを負ってしまった(彼らは被害者である)。一日も早い回復を願う。反対に、ハンドルを握る私はいつ加害者になるかもしれない。
重い責任と、リスクを常に抱えていることについて忘れそうになっていたのを呼び覚ましてもらったのかもしれない。ていうかこれは常に意識していなければならない当然のことであるが。文章を書きながら反省。
対比するモノがあってやっと気付かされることがある。正信念仏偈の冒頭に説かれる、阿弥陀如来が照らしてくださる十二の光は我々の凡夫性を明らかに映し出している。