黒猫の『チコちゃん』は星になったのだろうか。
(チコちゃんとは、私と次女だけが呼んでる外で暮らす黒猫さんの呼称である。)
先週の金曜日、宅配の生協さんがみえたので玄関先で対応していた時である、黒い蝶々、カラスアゲハが何処からともなくやってきて、我が家と我が家の両隣を順番に回って、私達を知っているかのようにふわりふわりと旋回し、そしてあれよあれよと言ってる間に姿を消してしまった。
お隣の奥さんが不意に「ああ、私ね、あのクロちゃんが死んだような気がしてるの、この蝶々(カラスアゲハ)はクロちゃんに違いないわ、ご挨拶にきたのね、ああやっぱりね、よくきたね、ありがとう、ありがとうね。」そうおっしゃって涙を拭いていらっしゃった。
私もそんな気がしていて「ああ、私もそう思っていました。チコちゃんが蝶々になって来てくれたんです、そのとおりです。黒猫さんだったから、私達に分かるように黒蝶の姿になって来てくれたのでしょう、わぁ嬉しいです。チコちゃんありがとね。」私もなんだか胸がいっぱいになって涙がこぼれた。
私と両隣の奥さんは猫に限らず、命ある生き物に対して寛容であり、代変わりを繰り返しながら、この地域に住み続けたこの猫さんを大切に大切に見守ってきた。
心無い言葉や態度を取る人も居たけれど、そこは生き方の違いだからお互いの領分と心得たよ。
ここ数年間は、一年一年くっきりと老いが見え、夏を越す度、冬を越す度に、がんばったねとその長寿を讃えていたのだけど、さすがに今年の夏は毛艶が失せ、食べられない日もあり、痩せが目立ってきたものだから、心配していたの。
私が実家にいる間、台風15号がやってきたのだけど、次女が言うには台風の後から姿を見てない、雨風凌げる小屋はあるのだけど。
猫は、死期を悟ると自ら居なくなるという。代変わりで何十匹と見てきたけれど、確かに最期を見届けた猫さんは居ない。
チコちゃんは控えめで分をわきまえた賢い猫さん、ネズミやトカゲを捕まえるのが上手で、見て見てとお隣の玄関先にちょこんと置いて行く。
チコちゃんがうんと小さい仔猫の時に、お隣の奥さんはチコちゃんをお家に迎えようとなさったのだけど、チコちゃんは仲間のいる外に出たがり、外にお戻しになられた。チコちゃんはその時のご恩を生涯忘れないでいたのだと思う。
チコちゃんが居なくなって、白ちゃんが二匹になった。チコちゃんの最期を?を知っているようでもあり、探しているようでもある。10年近く、いつもいつも一緒にいたから、寂しいね、私もやっぱり寂しいよ。
チコちゃん一生懸命生きたね、いつかの静かな月夜に三匹で遊んでいたっけね、今夜はあの日と同じ、月のきれいな晩。
レオ、チコちゃんをよろしくね。レオも知ってるとおりとてもいい仔なの。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます