エミリの一筆啓上

#日記ブログ#猫ブログ
日々の思いを綴ります。

黒猫チコちゃんありがとう

2019-09-17 23:00:45 | 日々のできごと

黒猫の『チコちゃん』は星になったのだろうか。
(チコちゃんとは、私と次女だけが呼んでる外で暮らす黒猫さんの呼称である。)

先週の金曜日、宅配の生協さんがみえたので玄関先で対応していた時である、黒い蝶々、カラスアゲハが何処からともなくやってきて、我が家と我が家の両隣を順番に回って、私達を知っているかのようにふわりふわりと旋回し、そしてあれよあれよと言ってる間に姿を消してしまった。


お隣の奥さんが不意に「ああ、私ね、あのクロちゃんが死んだような気がしてるの、この蝶々(カラスアゲハ)はクロちゃんに違いないわ、ご挨拶にきたのね、ああやっぱりね、よくきたね、ありがとう、ありがとうね。」そうおっしゃって涙を拭いていらっしゃった。

私もそんな気がしていて「ああ、私もそう思っていました。チコちゃんが蝶々になって来てくれたんです、そのとおりです。黒猫さんだったから、私達に分かるように黒蝶の姿になって来てくれたのでしょう、わぁ嬉しいです。チコちゃんありがとね。」私もなんだか胸がいっぱいになって涙がこぼれた。

私と両隣の奥さんは猫に限らず、命ある生き物に対して寛容であり、代変わりを繰り返しながら、この地域に住み続けたこの猫さんを大切に大切に見守ってきた。

心無い言葉や態度を取る人も居たけれど、そこは生き方の違いだからお互いの領分と心得たよ。

ここ数年間は、一年一年くっきりと老いが見え、夏を越す度、冬を越す度に、がんばったねとその長寿を讃えていたのだけど、さすがに今年の夏は毛艶が失せ、食べられない日もあり、痩せが目立ってきたものだから、心配していたの。


私が実家にいる間、台風15号がやってきたのだけど、次女が言うには台風の後から姿を見てない、雨風凌げる小屋はあるのだけど。


猫は、死期を悟ると自ら居なくなるという。代変わりで何十匹と見てきたけれど、確かに最期を見届けた猫さんは居ない。

チコちゃんは控えめで分をわきまえた賢い猫さん、ネズミやトカゲを捕まえるのが上手で、見て見てとお隣の玄関先にちょこんと置いて行く。


チコちゃんがうんと小さい仔猫の時に、お隣の奥さんはチコちゃんをお家に迎えようとなさったのだけど、チコちゃんは仲間のいる外に出たがり、外にお戻しになられた。チコちゃんはその時のご恩を生涯忘れないでいたのだと思う。

チコちゃんが居なくなって、白ちゃんが二匹になった。チコちゃんの最期を?を知っているようでもあり、探しているようでもある。10年近く、いつもいつも一緒にいたから、寂しいね、私もやっぱり寂しいよ。

チコちゃん一生懸命生きたね、いつかの静かな月夜に三匹で遊んでいたっけね、今夜はあの日と同じ、月のきれいな晩。

レオ、チコちゃんをよろしくね。レオも知ってるとおりとてもいい仔なの。








秋風とピリ辛きゅうり

2019-09-03 20:08:12 | 日々のできごと
触れる風が秋だなぁと思う。


外猫の白ちゃんとチコちゃんの食欲が戻ったみたいで嬉しい、なにせご高齢ゆえ(10歳?)二、三日姿が見えないと、もしや?と気になる。毛艶がなくなりひと回りもふた回りも夏に小さくなった気がする。


お隣の奥さんは、私以上に、この仔達を手厚くお世話して下さっている。最近、玄関先にダンボールハウスをお作りになった。ビニールで覆ってあるので防水機能付き、雨の日は傘が括り付けてある。コソコソと餌を与えたりなさらない、堂々としていらっしゃるところが天晴れである。


とても居心地がよいのだ、しなやかな手足を無防備に伸ばし昼寝をしている。私はその可愛いさにしみじみと見入ってしまうのだ。その内見られていることに気がついて寝返りを打つ。


外猫さんで10歳(推定)というのはかなりのご長寿、お隣の奥さんの愛があればこそだ。かつて苦情を直接に言う人もいたが、ここのところ落ち着いている。何があってもこの仔達は最期まで面倒みるのだと、柔らかにきっぱりと主張していらっしゃる、潔いのだ。


我が家のメルとラック、ベランダで秋風に吹かれ鈴虫の音に聞き入っているご様子、夕闇に佇む美シルエット、猫は感性豊かな生き物なのだ。


9月に入って、次女は大学のゼミの交流会で済州島に出かけた。

夏休みにドラマ『僕らは奇跡でできている』が我が家だけでブームになった。長女はすっかりと高橋一生さんのファン、私も好き。その『僕キセ』に山田さんのピリ辛きゅうりが出てくるのだが、次女から本場のピリ辛きゅうりを食べたとラインで報告があった。済州島は何を食べてもピリっと美味しいらしい。


いいないいな、私もピリ辛きゅうりを食べに済州島に行ってみたくなった。