エミリの一筆啓上

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日々の思いを綴ります。

強かな花

2014-04-16 08:41:26 | 日々のできごと
「したたか」を漢字で書けば「強か」である。

本来、計算高く狡猾といった悪い印象を持つべき言葉ではないが、

「強かな女」とくれば、何故か手強く一筋縄ではいかない、強面といった印象になるのが残念だ。

女性は本来強かである。女性が歩いてきた足跡を、歴史的に見れば明らかである。

強さは表に見えるとは限らない。血がにじむ程に唇を噛み、昂る感情を鎮めるのも強さだ。

一ヶ月ほど前の事、とある場所に手書きの看板が立掛けられた。

“野良猫に餌を与えないでください。子猫が増えて迷惑しています。”

後日、看板には、或るお宅の玄関先に集う野良猫さんを写した写真が加わった。

雨風に晒され、マジック書きの文字と写真は色褪せてきたが、そこに在ることに変わりはない。

立場が変われば、物の見え方が変わる。貴方とわたしは違うのだ。

暖かくなると、ご近所さんとの立ち話が増える。

昨朝、ゴミ出しの帰りに、近所のご婦人に手招きをされた。紫の野の花咲く鉢を指差され、

「これね、昨年ひっそりとやってきたんです。どうぞ見てやって下さい。」

「わたしはね、こういうことに幸せを感じるんですよ。お金では買えません。」

「見守ってやれば、こうやってちゃんと咲きますもの。」

「世知辛い世の中でね、あんな看板出す人がいますけれど、私はわたくしです。」

人の持つべき温かさは強さの裏返し、あっ晴れ、強かな女性である。

猫に限らず生き物や、植物に目配り心配りをされ、昨年は野良猫たちの避妊手術を自費でなさった。

そこをテリトリーにする猫を追い出したとしても、テリトリーの番地が変わるだけのこと、

何の解決策にならないことをよくよく御存じなのだ。

袖振り合うも多生の縁、縁あってそこに存在するのならば、共に暮らすがいい。

帰宅し、先ほどのうつむき加減に咲く、紫の野の花を調べてみた。

『ムラサキケマン』 華鬘とは仏堂の中を飾る荘厳具とある。花言葉は「あなたの助けになる」































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