「したたか」を漢字で書けば「強か」である。
本来、計算高く狡猾といった悪い印象を持つべき言葉ではないが、
「強かな女」とくれば、何故か手強く一筋縄ではいかない、強面といった印象になるのが残念だ。
女性は本来強かである。女性が歩いてきた足跡を、歴史的に見れば明らかである。
強さは表に見えるとは限らない。血がにじむ程に唇を噛み、昂る感情を鎮めるのも強さだ。
一ヶ月ほど前の事、とある場所に手書きの看板が立掛けられた。
“野良猫に餌を与えないでください。子猫が増えて迷惑しています。”
後日、看板には、或るお宅の玄関先に集う野良猫さんを写した写真が加わった。
雨風に晒され、マジック書きの文字と写真は色褪せてきたが、そこに在ることに変わりはない。
立場が変われば、物の見え方が変わる。貴方とわたしは違うのだ。
暖かくなると、ご近所さんとの立ち話が増える。
昨朝、ゴミ出しの帰りに、近所のご婦人に手招きをされた。紫の野の花咲く鉢を指差され、
「これね、昨年ひっそりとやってきたんです。どうぞ見てやって下さい。」
「わたしはね、こういうことに幸せを感じるんですよ。お金では買えません。」
「見守ってやれば、こうやってちゃんと咲きますもの。」
「世知辛い世の中でね、あんな看板出す人がいますけれど、私はわたくしです。」
人の持つべき温かさは強さの裏返し、あっ晴れ、強かな女性である。
猫に限らず生き物や、植物に目配り心配りをされ、昨年は野良猫たちの避妊手術を自費でなさった。
そこをテリトリーにする猫を追い出したとしても、テリトリーの番地が変わるだけのこと、
何の解決策にならないことをよくよく御存じなのだ。
袖振り合うも多生の縁、縁あってそこに存在するのならば、共に暮らすがいい。
帰宅し、先ほどのうつむき加減に咲く、紫の野の花を調べてみた。
『ムラサキケマン』 華鬘とは仏堂の中を飾る荘厳具とある。花言葉は「あなたの助けになる」
本来、計算高く狡猾といった悪い印象を持つべき言葉ではないが、
「強かな女」とくれば、何故か手強く一筋縄ではいかない、強面といった印象になるのが残念だ。
女性は本来強かである。女性が歩いてきた足跡を、歴史的に見れば明らかである。
強さは表に見えるとは限らない。血がにじむ程に唇を噛み、昂る感情を鎮めるのも強さだ。
一ヶ月ほど前の事、とある場所に手書きの看板が立掛けられた。
“野良猫に餌を与えないでください。子猫が増えて迷惑しています。”
後日、看板には、或るお宅の玄関先に集う野良猫さんを写した写真が加わった。
雨風に晒され、マジック書きの文字と写真は色褪せてきたが、そこに在ることに変わりはない。
立場が変われば、物の見え方が変わる。貴方とわたしは違うのだ。
暖かくなると、ご近所さんとの立ち話が増える。
昨朝、ゴミ出しの帰りに、近所のご婦人に手招きをされた。紫の野の花咲く鉢を指差され、
「これね、昨年ひっそりとやってきたんです。どうぞ見てやって下さい。」
「わたしはね、こういうことに幸せを感じるんですよ。お金では買えません。」
「見守ってやれば、こうやってちゃんと咲きますもの。」
「世知辛い世の中でね、あんな看板出す人がいますけれど、私はわたくしです。」
人の持つべき温かさは強さの裏返し、あっ晴れ、強かな女性である。
猫に限らず生き物や、植物に目配り心配りをされ、昨年は野良猫たちの避妊手術を自費でなさった。
そこをテリトリーにする猫を追い出したとしても、テリトリーの番地が変わるだけのこと、
何の解決策にならないことをよくよく御存じなのだ。
袖振り合うも多生の縁、縁あってそこに存在するのならば、共に暮らすがいい。
帰宅し、先ほどのうつむき加減に咲く、紫の野の花を調べてみた。
『ムラサキケマン』 華鬘とは仏堂の中を飾る荘厳具とある。花言葉は「あなたの助けになる」
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