エミリの一筆啓上

#日記ブログ#猫ブログ
日々の思いを綴ります。

猫の蛇口飲み

2015-01-29 10:35:31 | 日々のできごと
~日脚伸ぶ 陽だまり猫は 大欠伸~

二階の出窓に置いた二つのカゴは、猫のお昼寝用、暖かな今日はカゴに納まる猫を

久しぶりに見た。外に目をやれば、黒ちゃん白ちゃんの母娘猫が、愛車のボンネットで

陽を浴びている。猫は暖かな場所をちゃんと知っている。ストーブ付近、新聞紙に段ボール、

パソコン、陽を浴びた車、毛布、布団、大好きな人の膝の上、他多数あり

二匹いる猫の黒白のラックは男の子、或る日洗面台にひょいと跳び乗り蛇口から水を飲んだ。

面白いことをするもんだと、次女を呼び二人で眺めた。可愛い姿だった。

お湯が好きなのでは?とコップにお湯を注ぎ置いてみるが違う、水であっても、お湯であっても

蛇口好きなのだ。キッチンで、洗面台で、お風呂場で、蛇口をひねる時そこにラックが居れば

ひょいと跳んでやってきて頭をくいっと捻り、小さなお口でペロッとお水を飲む。

私はその間、待つか、その下の方でお皿を洗ったりお水を汲んだりすることになる。

猫って本当に面白くて、素敵な生き物だ。いつしか猫のペースに引き込まれてしまう。

猫好きならば通じ合えるこの思い、私のイライラが減ったのは猫の魔法のせいか。

猫の蛇口飲みを、本能だと知ったのは少し経った頃、流れる水が新鮮で美味しいってことを

猫はちゃんと知っている。

だけど三毛のリリはしないから、蛇口に執着しない猫もいるにゃん。。












ママ友さん

2015-01-26 10:05:39 | 日々のできごと
子供を通して仲良くなったお母さん達をママ友と呼ぶは昔からではないが、

使いやすい言葉なので私もたまに使っている。

子供の学校卒業をタイミングにご無沙汰しているママ友さん達はお元気だろうか。

近所でも不思議なくらい御見掛けしなくなる、お引越しなさったのだろうかと思う程に。

それぞれのライフステージのその時だけなら、なるほどママ友の言葉の響きは軽やかな筈だ。

それでも、ある日ばったりとお会いする事もある訳で名前が出て来なくてあたふたしても

懐かしいやら嬉しいやらで温かな気持ちになる。

ご無沙汰していてもママ友ってやっぱり有難いのである♡









その日の朝

2015-01-23 06:41:15 | 日々のできごと
いつももいつも朝が爽やかとは限らないが、この日のテレビの映像は朝に相応しくなかった。

背筋がヒヤリとするイスラム国日本人人質の映像は、単調な朝のひとときをガタつかせた。

島国である日本人は外国を恐れる一方で憧れを抱く、遥か古の人も今を生きる私達も同様であろう。

日本人に限らず、異国に思いを寄せるは人であれば共通の思いのような気がする。

実際にその地に行くか、行けるかは別にして。。

戦場ジャーナリストや戦場カメラマンという職業がある。私の脳裏にも焼き付いて離れない写真がある。

その地に行かなければ伝えられない写真や記事、それらが与える力の大きさは計り知れない。

崇高な思いを突き詰めれば人間愛だろうか、何を必要不可欠とする職業なのか私には思いつかない。

幾度となく映し出される戦場ジャーナリストというその御方の瞳のなんと澄み美しいことか。。







ロウバイの花

2015-01-17 12:10:26 | 日々のできごと
芳しいロウバイの花が目につく、この季節に黄色の花は温かい。

センター試験初日の朝は、陽も射す晴れであったが、正午近くになり曇り空である。

冬特有の鉛色の空が、窓一面に広がる。干した布団を取り込まなくてはと先程から思うのだが、

月桂樹の枝が大きく揺れ始めた、どうやら北風が吹いてきたようだ。

猫は私の傍らを好み、三毛のリリちゃんはベッドの上で丸くなり、黒白のラックはコタツの中にいて

手足をどろんと伸ばしたままに寝息をたてている。

犬のレオは階下に居てソファの上で寝るのが常となった。昨年買ったカリモクKチェアがレオの

寝床になるとは予想外であったが、レオがお気に入りならばと家族は納得済みである。

再び青空となった。次女は長女と待ち合わせをして上野に出掛けた。

一浪し三年前のセンター試験受けた長男は宮崎で暮らす。

目まぐるしく変化したここ数年の思いや気付きを、綴るブログは4年目となった。

今日の、今のこの時が、確かに未来につながっていくことを実感する。

今しか出来ないことや、今やらねばならぬことにきちんと向き合わなければならないのだが。。

五年後、十年後の私は何処で誰と何をしているだろうか。
































『向かい風を歩くんだ』

2015-01-12 07:22:24 | 日々のできごと
成人の日の朝の楽しみである。

当日の朝刊、伊集院静さんがお書きになる新成人に向けてのメッセージは爽やかに力強い。

二十歳でなくともふわりと心に収まる。

二十歳の自分に久しぶりねって会えた気分にもなる。

新年を迎えたが行先の定まらない私の道標となるようなメッセージ。

まだまだ、まだまだ、まだまだ全然足りていない。

私はまだ何者でもないってことだ。

大人にむかう二十歳の君等と共に私も向かい風を歩いてみよう。