エミリの一筆啓上

#日記ブログ#猫ブログ
日々の思いを綴ります。

五十肩とリョウシン錠

2018-05-27 00:17:45 | 日々のできごと
50代なので五十肩である。昨年の夏も真っ直ぐに挙上出来ない状態だったから一年以上のお付き合いだ。左肩のみだったのが右肩も同様に痛みが出てきた。


整形外科を受診、私の診立てと同様であった。少しは動かすようにと体操のイラスト入りの説明書を下さった。

ここのところ痛みと共に痺れている。接骨院ではウォーターベッドとマッサージと超音波と滑車の紐を交互に引っ張るリハビリの指導を受けた。通販でリョウシン錠という富山の薬を試しているがさっぱりである。

痛みは日常の生活の時々に支障をきたす様になる。


まず、寝返りが苦痛で眠りが浅くなる、文庫本は良いが図書館で借りる単行本が持てない。

私の髪は硬い、中途半端に短くすると面倒、ロングにして後ろに一つに結わえているが、最近シャンプーが辛い、毛先を3回だけアイロンでくるりと巻くのだが、いてて痛くて嫌になる。

お習字をライフワークにしているが思ったような線が書けずイラッとする。

お料理もなるべく刻んだりを少なくしたい。

夏毛に替わるレオと三匹の猫のブラッシングをしてあげたいのだけど、いてて痛くて丁寧に出きない、ごめんなさい。

仕事でパソコン、キーボードを叩き続け夕方には腕がだらりと重い。

車の運転、支障はないけれど振り返り後部座席の物を取りたいが、いてて痛くて無理。

こんな風に、今まで出来ていた事が難しくなる。年齢を重ねることは 楽ではないと思う。

それでも、大きな病気をする事無く生きている。先日受けた健診も子宮ガン検診も大丈夫ですよとお墨付きを頂いた。

いてて系の老化現象には素直に向き合うが流儀である。富山の薬リョウシン錠、二個目の注文を思案中である。






















ウソっぱち

2018-05-24 08:14:10 | 日々のできごと
ウソをついてはいけないと、、嘘も方便だと、、嘘つきは泥棒の始まりだと、、

言った言わない、記憶にございませんと、、

言葉というものはこんなにも不確かなのだろうか。

ウソっぱちが飛び交う毎日はうんざり、言い訳ばかりをしている人の人相は日に日に悪くなる。

かけだのもりだのお蕎麦は大好きだけど、
正直者が馬鹿をみる世の中にしちゃダメだと思う。






ブレない。

2018-05-18 05:44:28 | 日々のできごと
昨夜は熱かった。仕事が立て込み、帰宅後もリセットされないまま朝を迎えた。


窓を開ければひんやりとしている。始発の電車が動き出し、なんら昨日と変わらぬ朝である。


青葉の季節、もりもりと弾むよう街は緑になる。私にとっては苦手な夏、ここから三ヶ月程は体力勝負である。


今月、担当している人の体調の急変が相次いだ。五月は気温が一定せず身体がついていかない。入院となれば病院を訪ねることになる。


すっかりとしょげてしまっている人を励ますのは配慮が要る、あえて言葉では無く手を重ねるだけの時もある。


週末である。気持ちが少々焦る。更新の方と新規の方、数人を同時に進める。来月にサービス利用が出来るよう調整をしプランをつくる。一人での作業は自分が動かないと流れていかない。


頑張りどき、踏ん張りどきは今だろうか。ブレずに淡々とやるしかないかな。ため息は日に三度まで。。












祈りの島、天草

2018-05-05 13:10:06 | 日々のできごと
私の故郷天草が、【長崎・天草地方の潜伏キリシタン関連遺産】世界遺産になる可能性が濃厚であるとのニュースを昨日朝一で耳にした。

過去に幾度か訪ねた崎津天主堂の建つ漁村の景色を思い浮かべながら、あの地が、遺産として大切に守られるのであれば、この上ない喜びではないかと思った。

行かれたことのある方ならご存知だと思うが、天草は遠い。天草エアラインが飛ぶようになり熊本と天草は近くなったが、陸路ならば3時間以上は必須、焦るべからずと覚悟しなければならない。

崎津に向かう天草西海岸から望む東シナ海の夕陽の美しさは息をのむ、数年前の夏に長女と見た夕陽をなんと形容したら良いだろう、神は在るのだと信じるに十分過ぎる天恵とでも言えば伝わるだろうか、あの日、あの時、あの瞬間に感じた思いとは、私は生かされているのだということ。

広大でも肥沃でも無い土地で獲れる作物は充分では無かっただろう、過重な年貢米と迫害の中で、唯一すがった天空、彼方にあり信ずれば幸せになれるという一筋の光と、あの日見た海原に架かる光は私の中で重なる。

複雑な世の中である。多様化し過ぎて何が正しいのか誤りなのか解らなくなる。

祈りとはシンプルである。生きることもシンプルでいいのではないかと思うのである。