エミリの一筆啓上

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日々の思いを綴ります。

色鉛筆の使い方

2016-12-25 16:18:07 | 日々のできごと
高齢者施設で行う定番のレクに『ぬり絵』がある、本屋さんには大人のぬり絵と謳った本も沢山出版されている、難しいテクニックを必要とせず色鉛筆を用い普通の仕上がりで良いなら子供からお年寄りまで幅広く楽しめるお遊びだ。


先日、串田孫一 著『文房具52話』を読んでいたら“色鉛筆”という件があった。


1915年生まれの著者はご存命であれば100歳を超えるお齢である。


~色鉛筆を使って今の子供が描くような大胆な絵は描けなかった。クレパスや透明絵具を使って、ぐいぐいと厚く塗り込んで行くような絵は、子供は誰も描いていなかった。


色を塗ることを幼い子供に教える大人たちも、色鉛筆は、力を入れずに、そおっと淡く色をつけるように教えるばかりであった~


私はこの件を読み、自分がいかに頓珍漢で浅薄であったことか。日々高齢者に向かい合う立場にあるのにその方達の生きてきた時代を知らない。

「もう少ししっかりと濃く塗ってみたら綺麗ですよ」私が何度も発した言葉である。


高齢の為手指に力が入らないのかと思うことはあったが、まさかまさか育った時代がそうだったとは考えたこともなかったのだ。


一本の鉛筆さえ貴重ではなかったか、物を長く大切に使うということを躾の一つとして叩き込まれたのかも知れない。美しい心のあり様ではないだろうか。


私の子供達は小学入学時にはクーピーという全部が芯材で出来ている色鉛筆が指定であった。削ったときに綺麗な色粉が沢山出来る、結局捨ててしまうのだがその都度心が痛んだ。


物がふんだんにある現代にあって、何を伝えるか、案外難しい選択だ。


今宵はクリスマス、大人になった私の子供達に色鉛筆をプレゼントしたらどんな絵を描くだろう。


色鉛筆はね、そぉっと淡くも描けるのよ。
























図書館の福袋

2016-12-20 09:42:05 | 日々のできごと
仲良くしている外ネコのトラちゃん、お久しぶりね、丸々とお元気そうで嬉しいよ。


先週の木曜日と日曜日に図書館を訪ねた。木曜日は徒歩で、日曜日は郵便局の帰りに車で寄った。


次女は「また行ったの」と呆れるが、私は借りたCDは何故だか早々にお返しがしたくなる、実のところ、返却のみをするはずが案外そうではなく、足を運ぶ事で新たな本に出会いたいのかも。。


その日は館内の真ん中に『図書館からの福袋』というコーナーが設えてあり、司書さんがお選びになった幾冊かの本が英字新聞とリボンでラッピングされ簡単なメッセージカードを添え福袋として並べてあった。

迷いに迷って、どれにしようかな、ちゃちゃのちゃで手に取った。

メッセージカードには『試したくなります』と不思議な添書き有り。帰宅後、開けてみれば新たな出会いがあった。


『奇跡の文具術』榎本勝仁 著
『文房具52話』串田孫一 著
『文房具図鑑』絵・文 山本健太郎 著


文房具好きの司書さんチョイスか、文房具は私も好きな方だ。


健太郎君という子供の夏休みの自由研究から生まれた『文房具図鑑』は話題になっていたらしく次女は既に知っていた。とても素敵な本である。


ここのところ参考書ばかりを読み漁っていたから、こんな肩の凝らない本はとても新鮮、少し息抜きをなさったらと、神様のお告げかも?知れない。






ステップワゴンと共に

2016-12-15 23:07:02 | 日々のできごと
我が家の初めての車は主人が友人から譲って頂いたホンダのシティー、色はオレンジだった。街中を走るに相応しいコンパクトカー、荷物が沢山入るような工夫があったような気がする。


長女長男がまだまだ幼いある日、後ろドアが錆びて外れそうなったもので慌ててステップワゴンのネイビーに乗り換えた。


家族が増え荷物も増え、あちらこちらにお出掛けも増えた。初代のステップワゴンは数年間を頑張ってくれた。その後、レオを我が家にお迎えした年にやって来たのがシルバーのステップワゴン、数えたら14年の歳月を共に過ごした事になる。運転は専ら主人、私は一度も運転する機会は無かった。


私が車の運転を始めたのは、息子の中学入学の年である。少年野球からシニアの野球チームに入る事が決まり専用グランドまでの距離が息子は自転車で通ったが、母には無理であった。22歳で免許だけは取ったが一度も道路を走った事がないペーパードライバーを返上した。時代はオートマ、この進化があってこそ私にも乗れたのだ。


野球の応援と頻繁に回ってくるお当番や監督やコーチへのお弁当の買出しなどには本当に助かった。


この時に我が家に来た、ミントグリーンのラパンを今も愛用している。私は運転は慎重だけど方向音痴と機械音痴と運動音痴が三重苦、、遠出はしない。


話はシルバーのステップワゴンに戻ろう。
この車で一番の遠出は青森。。まだまだ幼い子供達だったから後ろの座席をフラットにして疲れたら横になった。寝てる間に着いちゃうから、しばらくは寝ぼけ眼で窓の外見たりして「ここはどこ?」とよく訊ねていたっけ。。


青森県の奥入瀬や福島県の五色沼、長野県の上高地、八ヶ岳では流星群を、岐阜県?のあのキャンプ場、群馬県の宝川温泉、毎冬訪れた越後湯沢のスキー場、夏は毎年高麗川でバーベキューしたね、レオも一緒にね。


家族皆でステップワゴンで最後に出掛けたのは三年前の高麗川、まだまだ元気だったレオ連れてね、とても愉快だったよ。


先日、ステップワゴンから煙が出ると聞いて買い替えを検討、長男のレガシィも調子が悪くなって我が家は車二台どうしようかって話になって、結局同じ車を買うことになった。長男は自分で手続きして日産のノートの青、我が家はシルバーのノートがもうじき納車予定。。


2016年12月11日 、仕事から帰宅したパパは最後のドライブして来ようと言う、次女と私といつものように後部座席に乗り辺りを一周、、自宅前で降りて駐車場にいくステップワゴンを見送ったよ。
次女と二人涙が、、何とも寂しい気持ちになってあ、り、が、と、う、ね、って呟いた。


子供の成長期にお迎えし沢山の思い出を共に作ってくれた相棒、ステップワゴン14年間ありがとう、そしておつかれさまでした。








『加納大尉夫人』

2016-12-10 09:04:00 | 日々のできごと
次女から教えてもらうまで稲垣吾郎さんがこのような番組をお持ちだとは存じ上げなかった。素敵な深夜番組である。

稲垣吾郎さんの番組TBSの『ゴロウ.デラックス』12月1日の課題図書は『九十歳。何がめでたい』であった。


93歳の佐藤愛子さんのお姿をテレビ越しに拝見した。趣味の良い和服姿お綺麗である。関西人気質はご健在で頭もクリア、ご自分の言葉でしっかりとお話しなさる。


この番組で佐藤さんが一番好きな作品と仰っていた著書の『加納大尉夫人』のモデルとなった女性と私はひょんなご縁があり、数年であるが親しくお付き合いをさせていただいた。
私にとっては人生の師、亡き今も励ましてくださる大切な人である。

佐藤愛子さんと同い年と仰っていたからご存命であれば九十三歳。

その、加納大尉夫人のモデルとなったご婦人は子供のピアノの先生であった。


ヤマハ音楽教室を卒業した子供の次なる先生を探していた時、パパのお店に来て下さっていたお客さんが「おばあちゃん先生だけどお上手よ」と紹介をして下さった。

我が家から自転車で10分程の御自宅を訪ねた。初めてお会いした当時70代後半の先生は母の目に十分にチャーミングであったが、私の三人の子供たちが先生の魅力を分かるようになるまでは数年を要した。

当時、沢山の子供達がレッスンに通っており子供と思えないような演奏に驚いた。皆ピティナというコンクールに出場し腕を磨いていた。先生はそのピティナの指導者賞を最も多く受賞していらっしゃった。


園児であった末の子は付き添いが必要で、レッスンの合間やお電話でピアノの話もしたけれど、ピアノ以外の話も沢山した。子供の恋バナだって先生経由で聞かされる事があったから子供も信頼していたのだと思う。

先生との普段のお話の中に佐藤愛子さんがよく登場した。


間違っていたらごめんなさいだが、学童期同級生だったと仰っていたような気がする。ご自分よりも美しくて頭の良い人が一人だけいたがそれが佐藤愛子さんだとも。


小説となった加納大尉夫人のもともとのエピソードも先生の口からお聞きした、いかにも先生ならありそうなお話しだった。図書館で借りて読んだが、活字になった小説はそれはそれで不思議な感じであった。

窓越しのブルースカイブルーの冬の空を見上げながら、型にはまらない生き方がしたいと思う自分が在る。先生と今だからこそしたいお話しが沢山ある。


佐藤愛子さん、真継豊子先生と、大正生まれの女性は曲がった事がお嫌いか、変に浮かれたりはしない。自分をしっかりお持ちで我が道をひょうひょうとお歩きになる。


大正女の心意気を見習いたいものである。






かしこさとは

2016-12-09 23:32:29 | 日々のできごと
子供達に読み聞かせをしていて出会った絵本に『わすれられないおくりもの』スーザン.バーレイがある。


個人的にとても好きな一冊、子供達が小学生の頃の教科書にも載せてあったように記憶している。


~アナグマはかしこくて、いつもみんなにたよりにされています。


~アナグマは自分の年だと、死ぬのが、そう遠くないことも、知っていました。


~自分がいつか、長いトンネルのむこうに行ってしまっても、あまり悲しまないようにと、いっていました。


月におやすみをいって、カーテンをしめ、手紙を書き、ゆりいすをゆらしているうちにゆめをみたアナグマはすっかり、自由になったと感じました。


アナグマの死の悲しみを皆で共有する事で乗り越え、アナグマが残してくれたおくりもののおかげで今の豊かさがある、モグラはありがとうとつぶやく。

本来、老人とは賢くて頼りにされる存在であるのだ。


私が、すっかり自由になったときに、残された人達が心豊かに暮らしていけるよう知恵や工夫のおくりものを私はしてきているだろうか。。


アナグマの思いは私へのおくりものでもあると気がつく、賢さは生き方である。