笑ってみよっか ~B面~

権田藁エリザベス麻呂子と申しますが

『それでもボクはやっていない』を見て・・・

2008-02-26 | 日記
A面より引用 ~2008-02-26 ~











一年前に公開された周防正行監督のこの作品。
先日レンタルして見ました。




電車で痴漢に間違えられた青年を中心に、
痴漢冤罪とその裁判過程における問題点を描いたこの映画。
見終わってから、色んな感情が交差しました。


“痴漢”という行為が前提の罪だけに、
男と女、自分に置き換えた場合、
感じるところも違うかもしれません。

でも例え痴漢でなくても、
ある日もし、私が無実の罪を着せられたとき、
“やっていない”という「真実」はきっとわかってもらえる。
証明される。
そう信じるだろう。


しかしその前に立ちはだかる警察官、検察官、裁判官。
それぞれの立場の慣習と現状と負の感情が絡み合い、
少しずつ「真実」の歯車を狂わせてしまう。

むなしく理不尽でやりきれないが、
決して忘れてはいけない。
真の悪は“痴漢”を犯した愚かな者なのだ。



私は電車通学していた学生時代、
満員電車の中で、数え切れないほどの痴漢被害にあった。
全く自慢にもならない話だが、
平日5日間のうち4日遭遇したこともあった。
ほとんど忘れた過去だが、
やはり初めて直面した時のことは忘れられない。

まだ12歳だった私は、ただただ恐い。その感情だけだった。
初めて身の上にふりかかっている現実に、
体が硬直した。
声を出せるわけがない。
正面にいるのに、恐くて顔も見れない。
なぜこの人は触ってるのか。
周りの人もわかってるのになぜ?

それからも何度も何度も被害にあった。
もう珍しくも思わなくなり、
次第に「またか・・・」という
慣れの感情すら持つまでになった。

それでもやっぱり朝からいやな気分にさせられる。

「やめてください」
言えるものなら言いたい。でも逆上されるのが恐い。

「手を捕まえようか・・・」
でも“痴漢”行為を行う人間の手なんて触りたくもない。

だから私は何も言わず、自分のかばんでブロックしたり、
わざとモゾモゾしたりした。

そんな些細ながらも抵抗の姿勢を見せると、
かなりの確率で、手は引かれていったりした。

だからもし、あなたが今後被害に遭ってしまった時には、
頑張って小さくても抵抗する勇気を持ってほしい、と思う。




「痴漢冤罪」や「裁判制度」についても思うところはあったが、
私が一番感じた事は、
やはり自分を守るのは、自分でしかないということだ。
痴漢に間違えられないように、
両手をあげて乗車する男性の行為もその一つであろう。

そしてわが身を守ることは、
痴漢に限らず、あらゆる犯罪に当てはまることなのかもしれない。
周りに助けてもらえる可能性は少ないのだ。

絶望してるわけでもない。
なげやりになってるわけでもない。
誰だって、勇気のいることなのだから尻込みするのは当然だ。

だからこそ、世で一番自身を理解している自分が、
自分の体を、そして心を、守らなければならない。
そう思う。


残念ながら、世の中から犯罪が無くなることはないだろう。
ネット犯罪一つにしても、決してもう珍しい話ではない身近な現実だ。
自分を、そして家族を守るために、
「自分は大丈夫」
そんな慢心だけは、持たないよう気を付けたいと思う。

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