いや、ほんまに年明けから
月一ペースで帰ってたもんな。
今回は百箇日の為の帰省。
あとはお父さんの服を片付けたり
銀行に行ってお父さん口座の
手続きもしないとな。
今日は富士山が綺麗だったから
思わず撮ってもた。
全然センスないw
551食べて、元気だして頑張るぞっと💪
いや、ほんまに年明けから
月一ペースで帰ってたもんな。
今回は百箇日の為の帰省。
あとはお父さんの服を片付けたり
銀行に行ってお父さん口座の
手続きもしないとな。
今日は富士山が綺麗だったから
思わず撮ってもた。
全然センスないw
551食べて、元気だして頑張るぞっと💪
そして納骨も49日もおわり
少し落ち着いた頃
次はまたしてもワンコに異変が!
もともと腰?が弱いっぽくて
ちょいちょい腰痛めては治ってを
繰り返してたが
今回は数日様子みても
全く快方の兆しがみえないため受診。
症状から判断すると、おそらくヘルニアだろうが
なんせ確定診断するにはMRIが必要
そしてMRI撮るには全身麻酔下で。
そんな!そんな!今のワンコの心臓で
全身麻酔なんてありえへん!と先生も笑
今でもう3週間ほどたって
薬のんでる間は大丈夫やけど
腰自体はまだ治ってないな。
薬きれたら痛そうやし。
でもしょうがない、対症療法で
乗り切るしか・・・
頑張れワンコ!!!!!!
そして今です。
ほんとに次から次へと、、と
我ながら思うわ。
いつ落ち着くのやら。
あ!一つ忘れてた!
ワンコとおとんの事となんか色々あったらしく
桜子が1ヶ月ほど咳がひどい時期もあったわ。
時期的にもコロナ第5波どピークの頃だったから
めちゃくちゃ心配したわ。
ただこれまでもストレスがひどい時に
心臓が痛くなって、苦しくなって、咳が出る
という経験もあったし
旦那もそうなるらしいから遺伝か?
でもちゃんと循環器科で診てもらって
異常なしだったので
私はひたすら安堵しましたわ・・
人生山あり谷あり
頼むから谷であってくれーーーー
ワンコの状態もまだ不安定な頃
ついに連絡がきてしまった。
倒れてから半年、
おとんは本当に本当に頑張った。
最後まで一人で
頑張った。コロナがなけりゃ、、、
何度そう思ったやら。
ワンコは病院に預けた。
急変しないよう願うだけだった。
その晩、家に帰ってきたお父さんの横で
発熱と頭痛とともに、私は寝た。
だって、ワクチン2回目打った直後やってんもん。
なんちゅータイミングや笑
その後の手続きやら
なんだかんだ忙しかったけど
やっぱり半年もおとんが頑張ってくれたおかげで
色んな準備もできてて、本当に助かった。
やっぱりおとんは
みんなのことを考えてくれてたんやな。
ずっと喋って、うるさいぐらいだったおとん。
倒れてから喋ることもできず
面会もできず
1人で頑張ったおとん。
最後の最後まで、いろんな勉強を
させてもらったよ。
私もおとんのように
強くならなきゃな。
ヘルパーさんたちに
助けてもらいながら
二人で生活していた義両親
おとんはよう頑張ってる、
ほんま生命力半端ないな!と
笑って話せるようになったおかん。
それなりに大きな問題ない日々が
やっときた7月中旬のころ。
ちょうど梅雨があけて
急に暑くなりだした頃だな。
我が家の大切な、大切なワンコの
体調に異変が出だしたのだ。
始まりは咳だった。
アレルギーっぽい咳だね、ということで
薬をのんで様子をみたものの
散歩もトボトボになり
呼吸も苦しそうになった。
まさに坂を転がるように、悪化していった。
再度病院に連れて行った時点で
もう肺に水がたまり、危ない状態になっていた。
結果心臓疾患が見つかった。
おそらく先天性の心臓病
手術もできず、心臓が止まるのを
薬で少しでもおくらせるぐらいしかできない。
先生もはっきりと短命である病気です、と。
しかも一度肺にダメージを負ってしまった。
そうか。。。
こんなにかわいい
我が家の大切なワンコが
いつなんどきな心臓、命、であると
受け止めなければならないのか・・・
さすがにキツかった。
おとんは療養型病院に転院した後も
依然容体は安定せず
肺炎を度々おこしていた。
コロナ禍じゃなかったら
毎日面会に行けてるのに・・・
と母は寂しそうだった。
とにかくこの転院あたりのおかんのメンタルが
一番不安定だったかな。
おとんがいなくなること考えたら
体の震えがとまらない、とか
毎日のように言ってた。
あんだけ毎日喧嘩してたのにな、、笑
4月に入って義父の退院も決定した。
体力がなくなったので抗がん剤治療は途中で
ストップしたが、かなりガン細胞に対する効き目が
あったようだ。
義父は胃瘻も入れていたので、もちろん要介護。
義両親は介護制度のおかげで
ヘルパーさんたちに毎日助けられながら
二人で生活することを決めた。
ちょうど大阪がコロナの第4波でものすごい状態だった
ゴールデンウイークだったが
桜子と正夫と4人で、両方の実家に帰省することを決めた。
私の父にこそは会えないけど
いわゆる最後になるかもしれない、という覚悟をもって
じじばばに会っておこう、と桜子と正夫に伝えた。
今思い出しても、
あの時ほんまコロナ対策がしんどかった。
コロナをばらまくような結果にならんくて
ほんとによかった・・・
結果論だけどね。ほんまそれはよかった。
母もこのころから
少しずつ父の現状を受け入れられるようになった。
「もうお父さん十分頑張ってるから
お父さんにまかせようね」
年末年始にかけて、義父のことで
旦那は京都と東京を行ったり来たりした。
ちょうどコロナだったので、
こころおきなくテレワークできる職種だったのも
幸いした。
義父の抗がん剤治療がスタートして数日後
私の姉から仕事中に連絡が入った。
父が倒れた、と。
今から手術をする、ただし成功しても
寝たきりになる、と。
離れて住んでいるぶん、
バイバイする時はいつも
次も元気に会えますように、と
思いながら手をふっていたんだよな。
だから連絡がきたとき
あぁ、ついにきたか、、、と。
翌日に飛んで帰ったが
父はICUに入ったままだし
コロナ禍でもちろん面会もなく
母と家にいるだけだった。
あ、いや違うわ、これからの事を考えて
大掃除したんやったわ笑
ちょうどそれが正夫の入試開始1週間前だった。
そして本命入試日の前日に
容態が悪化し、覚悟をする連絡を受けた。
ちょうどワンコの散歩中だった。
その連絡を受けた時の風景、
そういうのって、絶対忘れられないもんだね。
結局その後も何度となく山を乗り越えたおとん。
3月末に療養型病院に転院するまで
ほんとに頑張ってくれた。
転院のときは、一番調子もよくて
喋ることはできない状態だったけど、
ちゃんと私のことを認識できているよね!?てな
感じだったから、嬉しかったな。
その頃、父よりも心配だったのは
母のほうだった。
この1年ほどの間
色んなことがありましたわ・・・
しっかりと向き合ったことを
ちゃんと記しておこう。
思えば昨年の7月に義母が急に立てなくなり
救急搬送されたことが始まりかな。
義母はその後自立歩行ができなくなり半年ほど後に
要介護となった。
自由に動けない義母を看病していた義父が
「疲れて日に日に体重が減っていくわ」と
笑っていたのがちょうど昨年の今ごろかな。
「これ以上痩せたらやあかんなー!」と
皆に笑いながら言ってた義父だったが
本当に病気になってた。
体重が8キロも減り、診てもらった結果
まさかの肺がんステージ4だった。
年末のことだった。
年があけたら、正夫と正夫の従妹、
すなわち義父にとっての孫2人の
大学受験が始まる。
受験結果がでるのは2月末。
「間に合う、よね。。。」
考えたくないけど、考えてしまった。
高齢ではあるが、色々皆で話した結果
抗がん剤治療を義父は選択した。
年始早々に入院して、治療を始めた。