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エルソル飛脚ブログ ~Run 4 Fun~

四万十川周辺をチョロチョロしている飛脚の記録です。

第25回四万十川ウルトラマラソン~またまた関門アウト記(中)~

2019年10月25日 | 四万十川ウルトラマラソン~レポート

~中編~

ついに時はきた。

スタートしてすぐは大集団。

それでも自分のペースで走れているのでストレスも無い。

タイマツボランティアの顧客郵便局長に声を掛け手を上げる。

この後、このタイマツ班は片づけた後に再びゴール地点に現れる。

一定の感覚で灯されるタイマツの炎は雰囲気たっぷりに燃え盛る。

やがて「1km過ぎ」、内川地区に入ると足元にはキャンドルが並ぶ。

幻想的なキャンドル。

ひとつひとつ並べる大変な作業を想い、「キャンドルありがとうございます!」と口にするランナーも多い。

・・と、左側に光モノを持った集団を見過ごした・・、アレはキク?

引き返して一緒に写真を撮る。

なるほど、魔女の宅急便とはコスプレ応援だったのか・・・、ありがとう。

 急いでランナーの列に戻り、少しだけペースを速める。

普段のランニングは写真を撮って遊んだりするが、これが結構タイムをロスしている。

キロ7分で行くつもりだったが、速めたペースに乗って6分半を表示し続けた。

キャンドルが切れるとカーブの度にボランティアが自家用車のライトで道を照らしてくれている。

ライトが無い所は、急用で来られなかったか・・・サボり(笑)。

今年はゴール地点の体育館でボランティア予定の長男、サボらなければいいが・・。

やがて道は2車線から1車線となり、つづら折にランナーが列をなす。

「5km手前」にはもう辺りは明るくなり、少し汗も掻いて調子も出る。

「10km」、ペースはキロ6分半、全く問題ない。

メタボなランナー、仮装ランナー、オバチャンランナーとかにどんどんと抜かれるが気にしない。

これから始まる標高600mの峠走、走力の無いランナーはここで振り落とされる。

「13kmすぎ」、少し上りはじめる。

「15kmすぎ」、坂道がキツくなる。

「17kmすぎ」、ヘアピンカーブから一気に山登りに入る。

この急坂は21km地点まで続く。

1ヶ月前に試走した時よりも順調にキロ8分台でしっかりと脚を動かす。

「やあ!」

後ろから現れたのは同級生の仲良しセイシ。

10年ぶりに参加したセイシは、学生時代は野球部キャプテンだった。

昭和の野球部は根性論がまかり通っていた時代ではあるが、練習不足らしく前日までラインで泣き言を綴っていた。

峠の上りを横に並んで走った。

「おう!早くも追いついたか!速いやん!」

「いやいや、どうせ後からお前に抜かれるのは間違いないし・・、じゃお先っ!」

練習不足という割には颯爽と急坂を上り、セイシは前に消えていった。

20km通過、「2時間25分27秒」。想定内で順調。

「21kmすぎ」、頂上エイドが現れる。(写真撮ったつもりがスマホ不調なためありません)

頂上オアシスエイドは給食エイド。

オニギリを頂きしっかりと噛んで食べる。

ほどほどに下りをスタート。

下りの初めは急勾配で、バタバタと足音を鳴らしながら進む。

約9kmにも渡る下り、これが難しい。

流れに乗ってスピードに乗るとその後に脚は残っていない。

かといって自重しすぎるとストップを掛け続けて太もも前が痛みだす。

「25km付近」、早々と13時間ペースランナー達にかわされたが特には気にしない。

毎回この長い下りでGPSの計測が狂う。

健脚ランナーにどんどん抜かれるが、一定のペースを意識しながら走る。

「33kmすぎ」、ついに視界が開け山道が終わる。

太陽が照り付け始める。

四万十川を右手に見ながら黙々と走る。

川向こうは先日訪問した星神社がある。

星に掛けた願いは叶うのだろうか・・

「36km付近」、第一関門手前で応援隊が現れる。

去年一緒に走り、初完走したS君とその奥さん、全力応援でランナーみんなに声を掛け続けている。

「ゴールはココじゃない!!」「頑張れー!」

第一関門通過、あれ?ちょっと遅いぞ・・、自重しすぎたか・・。

関門を過ぎるとエイド。

堂ヶ森を闘ってきたランナー達はこのエイドで休憩することが多い。

仮設トイレが空いていたので利用する。

少しくらい我慢してでも空いてるトイレを利用しなくては大きなタイムロスにつながる。

リフレッシュして再スタート。

橋の向こうにランナーの列が見える。

頑張ればまだまだ完走モード、少し疲れてきたものの脚は動く。

橋を渡って車道に出る。

トンネルまでの緩やかな上りがキツい。

・・と、その時、突然右足ふくらはぎが固まり始める。

去年、一昨年と肉離れに悩まされた右足のふくらはぎ上部、

不安な気持ちはすぐに体に表れて、ついにふくらはぎが攣った。

40km走の練習でも攣らない脚がこんなに簡単に攣るものなのか・・、

暑さのせい?いや、もっと暑い中を走り込んできた。

とりあえず攣ったまま走る。

走りながらほぐれる事もあるのは以前のレースで経験済。

こんなところで止まってなるものか・・

案の定、ほぐれてきて、ちゃんと走れるようになった。

トンネルをくぐると少し下る。

・・と、ここでまた右足ふくらはぎが攣った。

それでも走っていると、無情にも左足ふくらはぎも攣って、一歩も動けなくなった。

これは・・数年前にも経験しているぞ・・、ヤバい、ここからはきっと「攣りとの闘い」が始まる。

少しして、まるで金縛りが解けるように動けるようになる。

また走り出す。

小野大橋を渡り返すと、エイド。

もう陽射しもキツくなり、頭から水をかぶる。

ふくらはぎ、太ももにも掛け水で冷やす。

キャップのツバを後ろにして首元をカバーする。

これだけでかなり凌げる。

元々暑さには強いほうで、周りを走るランナーのような滝汗にはならない。

40km通過、ヤバい、5時間を少し越した。

気持ちを落ち着けて立ち止まり、ストレッチに専念してゆっくりと脚を伸ばす。

大丈夫、20km毎を3時間越えなけば何とかなる。

まだまだ勝負できる・・

「42.195km地点」、5時間28分。

フルマラソンならこのタイムなのか・・、10年前よりも1時間も遅い・・。

山際は日影が多くて暑さは気にならない。

走る、攣る、伸ばす、を繰り返し始めた。

キロ9分が表示され続けて焦る。

14時間ペースランナーに捕まる。

まだ大丈夫、この人達は後半にペースを緩め、さらに少し早めにゴール地点につく。

このペースランナー達はキロ7分半あたりで走っている感じで、すぐには前に消えない。

「50kmすぎ」、左手に鉄道高架のコンクリートの壁のそば、毎回ここで復活する。

沈下橋に向かう緩やかな下りは脚に優しくて調子が出る。

この3kmは全く攣らなかった。

「53kmすぎ」、半家(はげ)の沈下橋に到着。

すでに14時間ペースランナーが渡っている。

エイドの給水を短めにすぐスタートする。

沈下橋の上にはランナーが少ないように感じる。

これはマズいぞ・・。

半家の沈下橋を往復した後は「半家の峠」。

この峠は短い割には傾斜がキツく、ほぼ皆が歩いて上る。

正直、この脚では歩いてもキツい・・。

激しい上りの後は激しい下り、

ここで太もも前が焼けるように痛みはじめた。

ふくらはぎの攣りをカバーしすぎたせいか、今度は太もも前の痛みとの闘いとなった。

激しい痛みで下りきると第二関門。

「あら~、あら~、時間そんなにないよ~!ヤバいんじゃない?」

いつものように知り合いボランティアのキンちゃんに冷やかされる。

「いやいや、大丈夫、大丈夫、何を言っているのやら!」

強がってみせるが、もう脚はいろんなものと闘っている。

55km、56km、57km、もう1km1kmが長く感じる。

少しの上りで脚が攣り、少しの下りで前太モモに激痛が走る。

「苦しい・・」

しかし、この苦しさは動き続けることで緩和されたりする。

走り続けると好不調の波を繰り返す。

ダメな時はやがて来る復活を信じて走る。

そんな気持ちで進んでいたが、攣るとやはり「伸ばす作業」が入りタイムをロスする。

「62kmあたり」、やっとレストステーションに到着。

関門時間の残りは約30分。

ここでは残り一時間が最低条件、かなり遅れた。

・・・というか、去年と同じじゃないか・・ダメだ、去年は右足の軽い肉離れを引きずりながらのレース、

去年のほうが状態が酷かったはず・・。

荷物を受け取り、急いでカフェイン入りのエナジードリンクを飲む。

すぐに荷物を預け、オニギリと味噌汁をとって早めに出発する。

急いでレストステーションカヌー館を出発した。

まだ諦めるには早い・・・

~後編へつづく~ 

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第25回四万十川ウルトラマラソン~またまた関門アウト記(前)~

2019年10月25日 | 四万十川ウルトラマラソン~レポート

~前編~

今年も参加した第25回四万十川ウルトラマラソン100kmの部、

結果から申し上げますと、関門アウトでした。

連年のリタイアレポートなど多くのランナーさんにとって必要ないかと思われますが、

私のこの年に一度の「ウルトラ挑戦記」を面白おかしく読んでくださる方も結構いるようなので、

頑張ってやってみます(笑)。

それでは、恒例の大会前日からです・・・

 

【前日】
私にとって唯一である年一回の参加レース、四万十川ウルトラマラソン。

今年もやってきました。

トレーニング期間は約7ヶ月。

冬の間にブクブクと太った体を食事制限とランニング有酸素運動で10kgも絞った。

月間走行距離は多い月でも250km程度。(大会前2ヶ月は37km走×3、42km走×1のロングなども)

今年は雨も多く、また連年の故障もあり、かなり気を付けながらやってきた。

そのおかげで今年は大会前日、「脚の痛い所は全く無し」という近年では記憶に無い位に良い状態だった。

私の仕事は商売人で、みなさんがお休みの土・日が忙しい接客業。

大会前日の土曜日は有り難いことに朝から夕まで予約で埋まっていた。

ただし「立ち仕事」なので、終日の立ちっぱなしは翌日のウルトラに影響しないかが心配の種ではあった。

「何か今年は調子が良さそうやね~、頑張って!」

お客様、知り合いなどからもたくさんのエールを頂いた。

お昼過ぎ、約30分だけ空いた時間を利用して、受付会場の安並体育館に車で向かった。

道中、会場へ近づくにつれて周りの車は県外ナンバーの車や大型バスが多くなり、

普段とは違う景色に遭遇して一気に「ウルトラモード」のスイッチが入った。

受付会場は今年も安並体育館。

会場内は土足で入られるように青いビニールシートが敷かれていて、これもウルトラ時ならではの光景。

急いで受付を済まし、少しだけ辺りをウロウロする。

去年貰い損ねた石、地元の中学生達がそれぞれの想いを込めてペイントしている。

お持ち帰り自由、どれか頂くとしよう~

今年の石はコレ、夕暮れの四万十川が描かれている。

この景色が見られる時間まで頑張れるといいな~

これはゼッケンに貼り付けられるステッカー、ランナー同志のコミュニケーションツールらしい。

「オレについてこい」「集中してます」「のんびりマイペース」「不安」「ビギナーです」というシール。
私はいつもの如く「のんびりマイペース」を選択。

ここ数年、四万十市が推している柑橘系果実「ぶしゅかん」。

そのイメージキャラクター「ブシュマロ」が現れたので記念撮影。

このブシュマロは私の顧客でもあるのです。(え?中の人?そんなのいませんよ~・笑)

コンビニオニギリを立ち食いして大急ぎでお店に帰る。

夕方5時過ぎ、そこからの予約をお断りして(常連さんは事情を分かってもらえる)営業終了。

翌日の臨時休業の張り紙をして、トイレ掃除(当日トイレトラブルないように)、

仏壇に線香(レースを空から見守ってもらう)、そしてバタバタと準備に取り掛かる。

ただでさえ「食べ物が少ない」という評判の前夜祭は地元民として敢えて行かない。

振舞われる郷土料理は一人でも多くの県外ランナーに食べてほしい。

受付でもらった袋の中身はこんな感じ。

あ、記念Tシャツが写ってない・・、スミマセン。

嫁が長期出張のような形で家を出てるので、すべての料理は自分。

晩飯は豚ロースをソテーしてトマトを添えた簡単なものにした。

あ~やっと座れた・・。

シャワー後にソファーに座り、ゆったりとパンフを眺めたりする。

少し酒をあおって眠気を誘い、

家族で唯一自宅にいる長男に「絶対に起こすなよ~~物音立てるなよ~~」と9時前に床につく。

きれいに眠りについた頃、嫁の電話で起こされる(笑)。

一度眠り損ねるとなかなか熟睡までに至れない。

しかし疲れたな~、こんなにバテてて明日は大丈夫だろうか・・

寝苦しいのは緊張や疲れもあるが、暑さ。

今年は暑い、枕元の時計に温度計も表示されているが室温は27℃だった。

10月中旬の気温としては異常だ。

とにかく目を閉じて心を鎮める。

 

【当日】

一体どれくらい寝られたのか、もうどうでもいい。

準備にとりかかる。

朝食、テーピング、ワセリン塗り、洗顔、ストレッチ、排便、

排便は案外大事な作業、レース中なら時間のロスが大きい。

このために2週間前からヨーグルトを取り続け腸内環境を整えてきた。

着替えてからしばし心を静める。

スマホのライン着信が鳴る。

「心の準備が出来たら下りてきてください、下にいます」

カーテンを開けると下に嫁が手配してくれた白いキクカーが停まっていた。

嫁の同僚キクちゃん、キクはウルトラ応援好きでスタート地点に向かうのでそれに便乗して送ってもらう。

途中、これまた嫁の同僚マユを拾って、車の中は小さな子供達とともに満席となった。

「あの~、スタート地点から約2㎞くらいのところ左側にいますんで見つけてくださいね~」

「あの~、光モノ持って走ってもらってもいいですか~?」

来たっ!キクの光モノ攻撃!・・・キクカーに乗るということはコレを覚悟しなくては・・・

「これですが・・」

渡されたものはただの蛍光スティックだった。

ハハハ、喜んで!持って走りますよ~!(助かった、光るミッキーの耳やったら・・まで想像した・・)

「あの~、今回のテーマは魔女の宅急便なんです」

「え?何それ?」

「楽しみにしておいてください~」

そう言って手を伸ばしたキクはエアコンのボタンを押した。

そう、今日は暑い、例年はこの早朝は寒いのに・・、やはり異常だ。

予想最高気温は27℃、今日はおそらく暑さとの闘い。

キクカーは会場近くの渋滞につかまり、そこで降ろしてもらって歩く。「では、頑張ってきます!ありがとう~!」

橋のたもとには巡回バスが次々と到着してランナーが列をなす。


橋の向こう、ライトが明るい蕨岡中学校がスタート会場。

一条太鼓の太鼓の音が「ドンドン」と低音を響かせランナー達の闘志を呼び起こす。

タイマツの炎はその闘志に火を灯す。

空に向かって息を吐いたが白くならない。

空は少し雲がかかり星も見えない。

どうせなら曇りのままでいてほしい気持ちもあるが、多少暑くても四万十川は晴天のほうがいい。

スタート会場はもうたくさんのランナーで賑わっている。

蕨岡中学校、この学校は過疎による少子化で数年後には廃校になる。

ランニングブームにより全国で増え続けるマラソン大会。

地域の観光起爆剤として生まれる大会も多い、

その一方で廃止される大会も残念ながら少なくない。

廃止に追い込まれる理由で多いのが「ボランティアの高齢化」。

これはこの四万十ウルトラにも当てはまる。

再三にわたるボランティア要請が謳われ、ついにはお隣愛媛県にまで声を掛けていた。

シートを広げて腰を下ろし、少しの間足を伸ばす。

開会式、仮設トイレに並ぶランナーの列、やけにはしゃいでいるランナーグループ、

目に映る日常とかけ離れた景色を楽しむ。

荷物をまとめてスタッフに預け、スタート地点に並ぶ。

いつもそうだが、ここまでくると全く緊張しない。

号砲とともにスタートする。

キクから渡された光るスティックを上に振りながらスタートゲートをくぐる。

ゲート周辺は暗闇が嘘のように明るいライトで照らされ、

多くの声援とともに約1500人のランナーが道いっぱいに動き出す。

こうして、ついにスタートした。

~中編へつづく~

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もう一つの四万十川ウルトラマラソン

2018年12月01日 | 四万十川ウルトラマラソン~レポート



今から10年も前の話・・・、

「お前、明日からピッチャーやれ!」

小学校4年だった息子、

それまでの外野センターから肩の強さを買われ、監督のそのひと言から少年野球のマウンドに立つことになった。

張り切りボーイな息子は、当時のNHK野球ドラマの主人公投手が走ってばかりの練習だったことから、

「オレも明日から堤防を走る!」と意を決した。

「早起きして堤防を走るから一緒について来て」

いきなりの小学生の「ヤル気」に踊らされない親父の私は、

「嫌だ!」と答えた。

翌朝、随分と冷え込んだ早朝、息子と一緒に堤防の上に立った。

「じゃあ、お父さんはここで待っているから、堤防一周約3km、行ってこい!」

息子は勢いよく前に小さくなっていった。


春の早朝の堤防は、空気がひんやりとしているが気持ちがいい。

堤防をジョギングする人や歩いている人、犬の散歩をしている人など意外に人が多い。

前の年に長年続けてきた早起きソフトボールをやめた。

地元の同級生達とチームを立ち上げ、オープン間もなかった私のお店の名前をチーム名にして監督をやらされた。

しかし、10年もすると集まりも悪くなり、相手チームに迷惑がかかり始めたところで終わりにした。

一年ぶりの早朝の空気は気持ちがいいものだった。

「おはようございます!」

早朝の堤防の上ですれ違う人はみんな挨拶が素晴らしい。

しばらくして、前から汗だくで現れてきた息子と気分よく家に帰った。

次の日の早朝、

堤防で同じように息子を走らせているとウォーキングの年配夫婦に冷やかされた。

「こらーっ、息子ばっかり走らせてないでお父さんも走りなさ~い!」

その次の日からは、息子と一緒に走ることになった。

約3kmのジョギング、

そういえばジョギングなんて何時以来だろう・・、

早起きソフト時代もジョギングはしていなかったし・・、高校以来か。

小学4年生の息子のペースは親父にとってもいいペースで、いい汗を掻いて終われた。

結局息子は練習試合で1回マウンドに立っただけで、元の外野センターに戻った。

たったの1回だけのピッチャーがうれしかった様子を書いた作文が表彰されたりもした。

2週間が過ぎた頃、ジョギングに飽きた息子は、朝起きなくなった。

親父は逆にリズムが出てきて、3kmから堤防を大回りの5kmに距離を延ばした。


ひと月経ったある休日、

ペースを落としてゆっくりと走ったら、何と10㎞も走れた。

確か高校のマラソン大会(約13km)で後半を歩いた記憶があったので、すごくうれしかった。

お店のお客さん達に自慢しまくった。

するとある日、お客さんでもある同級生に「10km走れたら100km出てみたら?」と言われた。

中村(四万十市)には四万十川ウルトラマラソンという100kmマラソンの大会がある。

早起きソフト時代は体育協会からボランティア要請がかかり、毎年チームメイトの数名はボランティア参加していた。

・・・あの大会。

「いやいやいや、無理やろ~、そんな・・100kmって!」

「そうでもないで、自分も毎回出てるけど、日頃の練習って10kmぐらいよ」

「でもまあ20kmとか30kmとか2~3回はやらんとダメやけどね(笑)」

大会は半年後、時間は十分ある。

何より、くすぶっていた何かが吹っ切れるように気分が高揚した。

「無謀やけど・・やってみるか!」

かくして、人生の初レースが100kmマラソンとなった。

冬の高校の同窓会後に会員制の同級生SNSが立ち上がり、

そこでWEB上の「ジョギングの部」が「チーム飛脚」となり、監督となった。


「100km挑戦します!」


一緒に走る友達、応援隊を組んだ友達、チーム飛脚はおおいに盛り上がって大会の初陣を迎えた。

しかし、やっぱりそんなに甘くはなかった・・、

私は股関節痛から71.5kmの関門にかかり、元野球部キャプテンも79.5kmの関門にかかった。

でも大会は大変素晴らしくて、「挑戦」が面白かった。

翌年もエントリーして見事みんなで完走した。


挑戦、ゴールの感動、沿道・ボランティアの声援、仲間の存在、

四万十川ウルトラマラソンの魅力にハマり、リタイアと完走を繰り返しながら、以後10年も走っている。

その間に息子は随分と成長して社会人となった。

地元の信用金庫に就職した息子は去年、会社からの要請で60kmの部にエントリーした。

小学校時代に駅伝の選手に選ばれたポテンシャルを発揮し、たったの1回練習しただけで60kmを完走した。

そして今年の秋、

息子は上司に誘われ、ついに四万十川ウルトラマラソンの100kmの部に参加した。

10月半ばの早朝、明星の夜空に白い息を登らせながら、

ついに親父の隣に息子が立った。

親父が愛してやまない四万十ウルトラのスタート地点に息子とゼッケンを付けて並んだ。


もうそれだけで親孝行は十分だ。

相変わらず練習不足の息子は完走は無理だろう。

でもそんなことなどどうでもいい。

一條太鼓が鳴り響き、タイマツの炎がゆらめき、こんなに綺麗な星空の中、

暗闇を切り裂くような白いフラッシュライトを浴びながらスタートゲートを息子とくぐる!

こんな幸せなことはないのだ・・

そんなギフトを胸いっぱいにスタートした四万十川ウルトラマラソンだった・・・

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第24回四万十川ウルトラマラソン~まあまあ頑張った記(後)~

2018年10月24日 | 四万十川ウルトラマラソン~レポート

長い下りは容赦なく太もも前をいじめ続ける。

とはいえ下りは脚が進む。

上りで疲労した体にはうれしいことでもある。

しかし経験からこの長い下りの走りがレース後半の脚の体力を奪う。

飛ばしすぎだけは禁物、キロ6分後半で進む。

30kmすぎ、峠も終了して民家も現れ始め公道を走る。

空も明るく日差しも強い。

36km付近の第一関門。


もう少し早く到着する予定だったが、体力を残しているので問題はない。

昭和大橋の関門エイドは、これまで峠を越えてきた気持ちをリセット出来るくらい見晴らしがいい。

少し休んで再出発。


青空と四万十川はよく似合う。

ここからしばらくは応援ポイントとなっており、声援がアツい。

橋を渡り切ったところで嫁を発見。

調子がいいのでたいして愛想もふらずに先を急ぐ。


公道のトンネルに向かう長い直線は少し上りが続く。

小野大橋を折り返し川沿いの旧道に戻る。

40km通過、「4時間57分39秒」。

もう少し早い方が理想だが問題ない。

42km、2回目のおにぎりエイド。


日陰でおにぎりを食べる。

陽射しも強くやたらと喉が渇いて給水も多めにとる。

42.195km、とりあえずフルマラソンを走り切った。


とりあえずフルを走り切れるだけの体力があることがうれしい。

49km地点、

右足ふくらはぎの中がチクチクしはじめて嫌な予感が走る・・。

去年何回も痛めた右足ふくらはぎ上部、突然痛みに変わり、思うように走れなくなる。

50km通過、

ついに歩きが入りはじめた・・、痛い。

エイドで痛み止めも飲んだが効きがわるい。

いつもなら何故か一度復活する53kmまでの鉄道高架沿いの直線。

思うように走れないが根性で進む。

53km地点、半家(はげ)の沈下橋。


写真ポイントで無理矢理笑顔を作って走る。

沈下橋のあとは半家の峠。

この峠は小さな峠だが傾斜もキツく、ほとんどのランナーが歩く。

頂上から急勾配を下るがふくらはぎが痛すぎて歩く。

下りきった56kmの関門をくぐる。

「あら~ヤバいよヤバいよ~」

関門所の知り合いボランティアに冷やかされる。

ダメだ・・痛い・・。

レストステーションのカヌー館が遠い。

周りのランナーも頑張っている。

勇気をもらって走り出すがしばらくすると痛みが激痛になる。

61kmカヌー館に到着。関門時間はもう30分しか残していない。

カヌー館はスタート地点で預けた荷物が一度受け取れる。

エイドも充実していて温かい味噌汁まである。

応援ポイントでもあり、たくさんの人が行き交う。

応援の嫁が現れた。

「息子は?」

「何か堂ヶ森の峠で攣りまくったらしくて、第一関門くぐれんかったで~」

「やっぱりか・・、まあええ経験やろう~」

「次の関門は71.3、茅生(かよう)大橋か~、んん~またまた茅生大橋・・、とりあえず行ってくるわ!」

芝生には次に進む気力も尽きたランナー達がたくさん座り込んでいる。

カヌー館を抜ける急勾配の坂道を走って上れた。

これはうれしい・・。

痛いけど、ここからさらに粘って2つ向こうの関門さえくぐれば94kmの最終関門までは勝負できる・・・。

そんな皮算用も繰り返し現れる激痛であっさりと打ち砕かれる。

歩ける、走るとしばらくして激痛がくる。

歩くと筋肉も硬直して前モモも焼けるように痛み始めた。

ここまでくると歩いたり走ったりを繰り返す周りのランナーはほぼ同じメンバー。

同じく歩く岐阜県のランナーさんに声を掛けられた。

歳も同じくらいでお互いの痛い所を共有しあい、関門所の茅生大橋までの2kmを一緒に走り出した。

ランナー同志の会話は気分もリフレッシュされ、連れがいることで痛くても走れる。

諦めていた71.3km茅生大橋の関門を6分前に通過した。


「おお、くぐったか~」知り合いの審判員ボランティアに冷やかされる。

地元民は知り合いが多くて困る。

調子が出てきた様子の岐阜のランナーさんを先に見送り、無理をしたふくらはぎを少し休める。

次の久保川地区の79・5kmの関門は確か厳しい設定。

もう歩くと確実に関門にかかる。

周りは歩くランナーだらけになる。

走って抜きざまに「ファイトー!」と声を掛ける。

自分のエールで勇気がでるランナーもいるだろう・・。

それにしても中半(なかば)地区は長い・・、この辺になると道幅も狭くランナーすれすれを車が通る。

これが移動応援が禁止な理由。

口屋内地区に入り、民宿せんば付近は応援がアツい。

口屋内は応援も多く賑やか。

日陰でお年寄りが椅子に座って手を叩いてくれる。

・・・これが私の心を打つ。

お年寄りの小さな拍手の音を耳に脚を進める。

しかし・・・痛い。

この区間をこれくらい歩いてしまえば確実に関門にかかる。

最後の気力を振り絞って走り出す。

「最後」と思えばかなり頑張れる。

ダラダラと歩くランナーを交わし、その向こうを歩く岐阜のランナーさんに追いついた。

「たぶんもう関門閉まりましたよ」

「あ~なるほど・・それでみんな歩いているのか・・(笑)」

79.5km久保川関門に歩いて到着。

岐阜ランナーさんと記念撮影。


一緒にリタイアバスに乗り込む。

「この大会は年齢層が高いですね」

「そうなんです、一番のボリュームゾーンは50代ですよ」

実際白髪頭のランナーもかなり目立つ。

「もう最近は完走出来なくなりました」、ダラダラと歩く年配ランナーからよく聞いた言葉。

そういえば沿道の声援もお年寄り達が少なく感じた。

過疎地区のエイドではテントを組み立てる男手も足りないらしい。

ランナーも沿道の皆さんもボランティアスタッフもいつの間にか高齢化しているのだ・・。

リタイアバスは出発し、やがてまだ走るランナーの横を進みだす。

下を向き、まだ前に向かって進むランナーの姿に心が締め付けられる。

バスはゴール地点に到着し、降りるときにボランティアスタッフからリタイアタオルが配られる。

ボランティアは知り合い、「こっちから帰ってきましたか~(笑)」

「ハハハ」

S君の嫁さんに連絡してみると、どうやらまだS君はコース上を頑張って走っているらしい。

一緒に彼の帰りを待つ。

彼は今、明かりの無い暗がりの山道を蛍光スティック片手に不安の中で進んでいるはずだ。

何とか完走してほしい。

ゴール関門の10分前、ついにゴール地点に現れた。

S君、100kmの初ゴール!おめでとう!


S君夫婦、若いっていいな~


間もなくゴール関門も閉められ花火が打ちあがる


こうして今大会は幕を閉じた。

自転車でゴール地点に駆け付けた嫁とダラダラと歩いて家に向かう。

さてさて、私は79.5km関門アウト。

休日のロング走は何とかこなしてきたが、基本的なランは全くの練習不足。

だがしかし、80km近くも進めたのも事実。

今回ダメなら来年から60kmの部に変更も考えていたが・・、もう一年頑張ってみますか・・。

「あ~~、四万十川ウルトラの100㎞って中毒性があるな~」

アケボノソウのような夜空を眺めながらそう思った。


【あとがき】
見事完走されたみなさん、おめでとうございます!無念のリタイアをされたみなさん、お疲れ様でした。

レース中に「ブログみてますよ」と声を掛けて下さったみなさん、ありがとうございます。

また来年四万十でお待ちしております。

そして、毎年のボランティアや沿道で声援をくださるみなさん、お陰様で今年も素晴らしい大会でした。

ありがとうございました!

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第24回四万十川ウルトラマラソン~まあまあ頑張った記(前)~

2018年10月24日 | 四万十川ウルトラマラソン~レポート



私にとって10回目となる出走の四万十川ウルトラマラソン100kmの部。

今回は少し短めにまとめた出走記です。(それでも長い)

【前日】
商売人の私、前日は当然お仕事。

これが何とも忙しく、朝の8時から強引に予約を打ち切った午後6時までほぼ立ちっぱなしだった。

夕方、我が家に宿泊する高知市内の知り合いランナーS君も顔を出し、仕事の合間に受付会場へ・・

何とか受付間に合ったが・・もう夕暮れ間近


楽しみにしていた持ち帰り自由の石(地元の子供達がペイント)は全く無かった・・


翌日の臨時休業の張り紙をして晩飯を済まし入浴後にバタバタと就寝。

予想外の仕事疲れで腰が痛く、寝返りも多くてなかなか寝付けない。

最低3時間くらいは寝たいところだが・・

【当日】
朝3時起床、少しは寝られた気がする。

夜中に運転して応援に来たS君の嫁さん、ノリちゃんカーで会場に向かう。

100㎞の部のスタート地点は市街地から車で10分の山あいの集落蕨岡地区。

車から降りると口元から白い息が出る。

例年よりかなり寒い。

澄んだ夜空には星が浮かぶ。

先週山歩きで見つけたアケボノソウ


その美しい花は、花びらの模様から明星の星空を見立てて名付けられたらしい。

明星の星空は終日の好天を確信させる。

このウルトラは2年連続で雨に見舞われた。

久しぶりに青い四万十川が見られそうだ。

しかし、寒い。

タイマツの炎、出来れば聖火ランナーのように持ち歩きたい。


一條太鼓も活気がある。


暗がりの鶏小屋から鶏が上手に鳴いた。

いつも通りのスタート前の風景に酔いしれる。

スタート会場は蕨岡中学校の校庭。


ストレッチ中、TVクルーに撮影されているランナーもいた。


息子も到着して仲間で記念撮影。


息子は去年たいした練習もせずに60kmの部を完走。

今年は会社の上司から100kmの部に誘われてしぶしぶの出走。

S君は以前数回100㎞に挑戦したが、持病の膝痛で完走歴は無し。

私は完全な練習不足で体重も例年よりも5kg増。

「今回この3人、誰がゴール出来るのか分からんな~~(笑)」

開会式が始まりゲストの岩崎恭子さんがランナー達に声援をくれる。


荷物をボランティアスタッフに預け、グランドを後にして公道のスタート地点に並ぶ。


目の前にうずくまっているランナーの背中に見覚えのある文字が・・


どうやらNHKのランニング番組「ランスマ」の撮影らしい。

タレントの宇野けんたろうさんと記念撮影。


今回で10回目の100㎞。

私には3人の子供がいる。

長女は就職も決まり来春に大学も終えるし、長男は去年から地元就職。

次男は高校で野球部キャプテンを務めあげ、つい最近就職内定をもらった。

昔はこんなに小さかった息子達


まさか自分の息子(長男)と共にこの100㎞のスタート地点に立てる日がくるとは・・


もうそれだけで十分な幸せ者だ。

スタート!!

賑やかで明るいスタートゲート付近を出発して暗闇を多くのランナーと共に走る。

タイマツの明かりはやがてキャンドルに変わり、歩道の足元を幻想的に照らす。

やがて明かりはなくなり、ボランティアスタッフの自家用車のライトに頼ることになる。

赤いペンライト応援の3人衆を通り過ぎてから気が付く。

「しまった!アレは嫁達や・・」

嫁、キク、マユ、嫁の職場3人衆のペンライト応援・・、全く反応出来なかった。

これは後から怒られるパターンや・・(汗)。

後ろから追い付いてきた息子「さっきお母さんおったでね」。

「おお気づいたか、キロ6分半を切らんように行けよ!」

息子は若々しく前に消えていった。

さて自分、10㎞通過、GPSウォッチはキロ6分半を表示し続けている。

練習不足で脚の痛い所は全く無い。

好調で前に進み続ける。

空は明るくなったが、山あいは気温がなかなか上がらず寒い。

仮設トイレに並んでる息子に手を上げて先に進む。

13kmすぎ、少し上り始める。

これから標高600mの堂ヶ森の峠を越え。

なるべく体力を温存して脚を進める。

17kmすぎ、一気に峠らしく坂道が急になる。


これは私より随分後ろを歩いている息子の姿。(S君撮影)


息子は上りでもう脚が攣りまくっていたらしい。

20km通過、「2時間25分31秒」。

上出来!

明るい兆しが頑張れる材料となる。

「ブログの方ですか?」「いつも綺麗な写真を見させて頂いて、楽しませてもらっています!」

愛媛県のランナーに声を掛けられる。

「ありがとうございます!」「絶対完走しましょうね!」

うれしい、相手の顔も見えない中で書いている日常を綴っただけのこんなブログでもやっぱり見ている方がいる。

頂上まで残り1kmの勇気を頂いた。

一度も歩くことなく頂上エイドに到着。


頂上エイドはオアシスエイド、おにぎりなどのごちそうが並ぶ。

おにぎりをしっかりと噛んで食べる。

固形物が摂取できるのも調子がいい証拠。

少し屈伸して長い下りに向かう・・


~後半へつづく~

コメント (2)
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