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ミラーニューロンセオリー

2008-11-15 00:49:12 | 感想
Looking Through The Broken Mirrorの記事から引用。

At the heart of the research is the idea that people with autism may have difficulty understanding other people's everyday actions and thoughts. For example, if you see someone pick up a tea bag and a mug, you can guess that they want a cup of tea. People with autism may have trouble with these everyday situations.
(この研究の肝は、自閉症を持つ人は他者の日常生活上での動作と思考を理解することに難があるという発想にある。例えば、もし誰かがティーバッグとマグカップを持っているのをあなたが見たとする。すると、あなたはその人がお茶を飲みたいのだろうと推測できる。自閉症の人は恐らくこのような状況でトラブルを抱えているだろう)
The ability to understand everyday actions relies on a series of brain regions collectively known as the mirror neuron system (MNS). These brain regions are active when we act, but they also 'mirror' other people's actions. For example, the same 'mirror' brain region is active when you pick up a mug and when you see someone else pick up a mug. The 'mirror' brain regions allow people to interpret and imitate each other's actions, and have also been linked to social abilities like language and empathy.
(このような日常の動作を理解する能力は、ミラーニューロンシステム(MNS)として知られる脳領域に依存している。この領域は自分自身の動作によって活発に活動するが、また他者の動作を反映(mirror)もする。例えば、自分がマグカップを手に取ったときに活発化する'mirror'脳領域は、誰かがマグカップを手に取ったのをあなたが見た時にも同様に活発化している。この'mirror'領域の機能に依って、人は互いの動作(の意図?)を解釈したり真似することができる。さらに、'mirror'領域の機能は、言語(によるコミュニケーション?)や共感といった社交能力とも関わっている)

ミラーニューロン - Wikipedia

これに関しては、指摘されれば確かにその通りなのだけど、自分が出来ているならば全く意識しないで処理しているはずだし、出来ていないなら、まずそのような連想の仕組みになかなか気付かないので、どちらにしても見過ごしてしまうものだなあ。一つ前の記事で、気配りについて考えていたけれど、その前提として当たり前になってしまって、見過ごしていることがまだまだたくさんありそうだ。

何かしら行動が現れるまでにいくつのステップを踏んでいるのだろうと毎度考えてしまう。出来ることならば、その初めから終わりまでを認知してみたいのだけれど、やはり意識の外で働いている生理現象を実感するなんていうのは、とても難しいことだし、恐らく不可能なことなのだろう。心理学では、いろいろな分類が試みられているようだ。

人間は、知覚-評価-情動-表出-行動の一連の連鎖が情動反応を決定するとしています。戦闘機のパイロットが、敵機を発見し、撃墜するという行動をとるとき、そこには情動が介在しています。まず、パイロットは接近してくる戦闘機を知覚し、次に味方の戦闘機か敵機かといった状況の評価がなされます。さらに、味方の戦闘機であれば快感情が、敵機であれば不快感情が喚起されます。そして、最終的に、味方であれば接近、敵であれば撃墜という行動が選択されるのです。したがって、情動は、刺激の評価に基づいており、有益と評価した対象に接近し、有害と評価された対象から回避しようとする感覚的傾向であるわけです。また、情動は、行動の動機づけとしても機能しているとした点も重要なところです。-「アーノルドの情動認知説」の章より引用


まず外部に刺激が発生する。それは五感のどれか、もしくは内部からの第六感が、刺激を感知して情報として受け取る。受信した情報を編集する。編集した情報に対して判断を下す。その判断に基づいて情動を励起させる。その情動を動機としたリアクションをとる、するとこれが行動として外に表れる。実感としてはこのような流れがある。情動には個人個人の傾向があって、それが評価や情報の編集に影響を与えているようにも感じる。

マグカップの話に戻ると、相手の動作の何を見ているのかという点。全体を見ていれば無限の変化が存在する訳で、その中からマグカップとティーバッグに注意が向けられるような、感性がある訳で。理由付けをするならば、過去に繰り返し見て来た光景を記号化して、それに当てはめているとも考えられるし、その日の気温が低いから自分が熱いお茶を飲みたいなと思っていることで、予測が絞られるなんてこともある。見る人が見れば、相手が持っているのが本人のマグカップか否か、紅茶のブランドが見慣れたものか否か、いつも定期的にお茶を飲んでいる人かどうか、そんなことまで細かく見分けてしまうことができるわけで。その辺の情報取り込み方の違いは興味深い。そこには情動が関わっているような気がする。興味の対象にどこまで注意を払うと自分が満足できるのか、安心できるのか、という差異が大きく影響しているようだ。

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