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就職したい

2008-01-16 08:43:09 | Weblog
「就職したい」
http://asshiro.seesaa.net/article/78486203.html
全く同じ不安を当時抱えていたことを思い出し、それから10年余りの時を経て、現在どのように感じているのかについて、良い機会なので記録の為に書き残してみます。ご参考になれば幸いです。

1、例え就職しても、選択の幅は狭まっていくこと
確かに就職直後は幅が広いのですが、年を経るほどに後から自分の仕事を引き継げる人材が入ってくる、それに伴ってステップアップを嫌でも要求される、合う合わないに関わらずこなさなければならない責任ある立場に追い込まれる。望むと望まないとに関わらず、周囲の自分に対する見方も求められるものも、そのハードルは上げ続けられ、それに応えられなければ組織から外されます。生き残る為には求められたことに集中してそれ以外の仕事も切り捨てねばなりません。その意味では、選択の幅はどこにいても絞られていきます。

2、動機が変わらなければ、どの選択肢を選んでも不安は途切れないこと。
悩みの本質は、実は進路の問題ではありませんでした。なぜ就職したいのかと問われたならば、自分の稼ぎで生活できるようになるため、それは親を安心させるためであり、自分の将来を保障させる為でもありました。つまり、安定を望んでいた訳ですが、こうありたいという具体的なビジョン、積極的な動機を持っていた訳ではありませんでした。その心理を今一度振り返ってみると、当時の自分はごく当たり前に、就職=安定、博士課程進学=不安定と決めつけていましたが、それは社会に参加すれば自ずと社会も自分を守ってくれるという前提に立っているものでした。
なぜそのようになったのかといえば、人生あるいは将来に対する不安が未知数であったから。自分がいつまでにどうありたいのか、その為にいつから何をするべきなのか。自分の身に何が起こるのか分からないのに、そんなビジョンの描きようもありません。そんな時に、私にとって就職とは社会に参加して守られることを意味していました。しかし、どれほどの還元があるのか具体的に考えようとしたことはありませんでした。つまり、これも未知数のままであったのです。未知数を未知数のままに式を立てて、仮染めの安定をはじき出していたのですが、未知数から未知数を差し引くことでプラマイゼロとする式の立て方では欠陥は目に見えています。これでは人生のビジョンを描くことはできません。結局、不確定な要素に解を委ねなければならないからです。
それにも関わらず、私は未知数を測ろうとはしませんでした、あまりに漠然とし過ぎて手の付けようも分からなかったのです。かといって、就職を選択することもできませんでした、選択肢が減ることを無意識に恐れて、決断を先延ばしにすることで選択肢が失われることをぎりぎりまで遅らせようと不確定要素を確定させまいとする心理が働いていました。ところが、その不確定要素こそが不安の種であるのですから、これではいつまでも不安が尽きるはずもない訳です。そんな訳で、博士課程ではその不安に押し潰されるように、半年以上もの間半引きこもり状態になり、その分余計に大学にも通うはめになりました。

3、自分をマネージメントする意識を持つと非常に楽になる。
暗中模索の末にようやく考えがここに辿り着いて、そうか、じゃあ決断してしまえばいいのだということになりました。そこで、まずは自分がイメージしうる最長の期間で、ゴールを設定してみました。仮に10年後の自分はこうあると設定して、そして、そこから逆算の要領で5年後、3年後、1年後、半年後、一ヶ月後、今現在までの必要事項をリストアップしました。能力、イベント、するべきことをリストアップして、そこで明らかに無理があるならば、10年後の設定を変更してまたやり直してみました。この設定はいつでもどこでも変更可能です。予定が変わった時点で組み直せば良いだけ。こうしてみると、案外選択肢は狭まっていない(というよりも、やるべきことのチョイスは山のようにある)ことに気付きました。これで将来設計が出来ます。完璧な計画を立てようとさえ望まなければ、自分の将来を自分で管理することは非常に簡単なことです、ずさんな計画であるのは承知の上でした。大切なのは自分で管理できる範囲のビジョンを描くことだけです。眺めてみても相手の大きさがまるっきり分からないならば、とにかく何かこちらから仕掛けてみて、その反応で大きさを推し量ることです。そうした試みを繰り返すと、不確定な要素は将来設計には影響を殆ど与えなくなるか、漠然とした不安が処理すべき案件として明確になり、無駄に怯えることはなくなりました。何度でも設計し直せると知るのは非常に安心を与えてくれます。

4、自己マネージメントの意識は、トレーニングで鍛えられる。
ようするに、決断してしまえば良いだけの話なのですが、取っかかりはやはり、実際なかなかそう簡単にはいかないものでした。無意識に怯えていましたから、自分で決断することにとても躊躇いがありました。自分のプランにも自信が持てず、他人に聞かせるなんてとんでもなく恥ずかしいことと思っていました。しかし、私の状況は未だ進路に悩んでいた当時と殆ど変わっていないにもかかわらず、かつての不安は圧倒的に解消されています。なぜそうなったのかといえば、一つは年を経て選択肢が減ったこと。何もしなくてもただ年をとるだけで選択肢は減る訳ですから、現時点ではもうこれでやっていくしかないと腹を括らざるを得ないところまで追い込まれたということ(それでもまだオプションは沢山あります)。もう一つは、良いボスに出逢ったこと。仕事のプランについて未来を語る研究者は大勢居ますが、そのボスには常に私自身の将来設計についても尋ねられました。それに答えると、それならば、こういうことを今しておくといい、それについて自分はこのように力を貸してあげよう、というプランを必ず示してくれます。また、自分はかつてこうしたという話も惜しまず伝えてくれます。これが非常に将来のビジョンを描くのに役立っています。とても単純なことですが、これがなかなか自分一人ではできないことでした。しかし、とにかくアウトプットさせ、問題を共有し、対応例を提示することで、自然と先を見据えるように、そして、選択肢を拡げるように仕向けられていたと感じます。

5、トレーニングの方法とは、実際にビジョンを描いてみること。とにかくアウトプットしてしまうこと。未知数に仮の数値を代入してしまうこと。そして他人を巻き込むこと。
最初は部分的にでもいいです。その場その場で頭に浮かんだことを残すだけでもいい。とにかくパーツを増やしていくことから始めます。自分の能力に対して謙虚になるあまり、プランを人に聞かせることに照れが入ることもありますが、とにかくアウトプットしてしまいます。そうして産まれたパーツを組み合わせて一度骨組みを作ってしまい、後は修正を重ねるだけにすると労力(心理的な負担)が小さくて済みます。また、他人は骨組みには口出し難いものですが、修正すべき点については、気付かない所を指摘してくれます。ですので、やっぱり人に聞かせることが効果的です。丁寧に話を聞いてくれる人を見つけるのが理想ですが、そうでない場合、どこかに書き残しておくだけでもビジョンを鮮明化するトレーニングになります。こういったトレーニングはいつ始めても早過ぎるということはないどころか、早ければ早いほど慣れていくものだと思います。宜しければどうぞお試しになってください。

6、まとめ
漠然とした不安があるということは、そこに回答すべき質問が眠っているということです。その質問をまずは掘り出すところからはじめます。対象が大きすぎて捉えきれないならば、自分の身の丈にあった大きさに分解してしまうことです。これは、研究におけるアプローチの手法と同じであると思います。この分解作業に熟練する為に博士課程の時間を費やされるべきだと、私は考えます。