対話練習帳

私的情報収集、自習ブログ

デタラメ科学に注意しよう

2014-04-21 15:24:59 | 言及
「ニセ科学を見抜くための大まかな指針(A Rough Guide to Spotting Bad Science)」の日本語版を作ります。ご協力お願いします! - うさうさメモ
はてなブックマーク - 「ニセ科学を見抜くための大まかな指針(A Rough Guide to Spotting Bad Science)」の日本語版を作ります。

志に賛同して自分なりに訳を考えていましたが、オリジナルからかけ離れすぎてしまい、目的も変わってしまいました。別物として記事にして残しておきたいと思います。

効果的なポスターに仕上げるためには、訳を作る前の条件設定がやはり重要だと考えています。
Q どこに貼るポスターか  
A 日本語を理解する人が誰でも目にするような全ての場所。例えば、インターネット上、スーパーマーケット、駅のホームなど、あらゆるシチュエーションを想定して専門性が少なく、汎用性の高い訳を意識した。
Q 誰に向けたメッセージか 
A 中学生世代から年配の方まで、年齢層は幅広く。主に科学教育を受けていない人、科学用語やその考え方になじみのない人達に向けたメッセージとなることを意識した。

「デタラメ科学に注意しよう!」
ニセ科学を始めとして、科学のような振りをしているのに嘘やインチキや大げさな話で誤った印象を与えてしまう報道や広告があります。そういったデタラメは、とても不誠実なやり方で、科学の発見に間違った印象を与えます。必要のない不安をあおったり間違った期待をさせます。誤った印象が広まってしまうと、せっかくの素晴らしい成果が台無しになるばかりでなく、被害も出ます。デタラメな科学報道に惑わされないために、気をつけてみるポイントをまとめました。

1. 報道のされ方に注意しよう。
1.1. 魅力的すぎるタイトルに注意しよう。
ニュース報道や新聞記事、雑誌広告ではみんなの関心を引くために過激なタイトルがつけられます。話を大げさにするのはまだましな方で、ひどいものは、誠実さに欠ける嘘でみんなを惹き付けようとします。

1.2. 事実の歪曲に注意しよう。
報道では、短い時間ですぐに分かる、納得しやすいストーリーに仕上げるために、研究成果が都合よく編集されたり改変されて伝えられがちです。そのために事実がねじ曲げられたり、間違った解釈が伝わることがあります。研究成果は正式な論文などの形で発表されますので、報道された記事だけに頼らず、元になった論文で事実を確かめる習慣を広げていきましょう。

1.3. 「AとBは関係がある」「AがBの原因」を慎重に区別しよう。
「○○の原因を突き止めた」という報道には注意が必要です。二つのことがらが関係しているという発見だけでは、因果関係(原因と結果の関係)であるとはいえません。調査で関係していることが分かっただけで「アレがコレの原因だ」と決めつけるのはデタラメな研究報告です。

1.4. 「可能性がある」「かもしれない」という説明を警戒しよう。
発見された事実とそこから考えられる解釈は区別が必要です。「可能性がある」「かもしれない」という表現は、まだ決定的な証拠がないということです。間違いである可能性も当然あります。

1.5. 誰が誰のために研究したのかに注意しよう。
多くの企業が研究者を雇ったり資金を提供して、企業の利益につなげるための研究を進めています。それ自体は何も問題ありませんが、企業利益が優先されると、成果をねじ曲げて報告される恐れがあります。企業の利益に繋がる研究をしている科学者は、誰の資金で誰のために研究したのか事実を公表する義務があります。研究成果を出した人が、誰のために研究をしているのか、発表された論文に記載されているはずのconflict of interestsを見てみましょう。

2. 実験方法を注意深くみてみよう。
2.1. 規模の小さい研究に注意しよう。
実験結果はばらつきがでるものです。見栄えの良いはっきりしたデータばかりではありません。だから、正直な研究は、何度も実験を繰り返してデータの信頼性を高めます。何度やっても間違いなさそうだということを確認してから発表します。試験回数の少ないデータは、解釈に都合のいいところで実験を止めてしまった可能性があります。

2.2. 訳ありのデータに気をつけよう。
例えば病気の人を対象にした薬の研究なのに、健康な人を被験者にして効果を調べても、病気の人への効果について解釈できません。動物を使う実験で見られるものですが、現実で考えられないほど大量の成分を与える実験なども、意味のある解釈はできません。実験方法が現実的な解釈に置き換えても意味があるかどうか、いま一度考えてみましょう。

2.3. 比べることに意味がある実験なのに、比べる相手がない実験結果に注意しよう。
例えば、人の体は自然治癒力を元々持っているのですから、薬の治療効果の研究であれば、薬を使った場合と使わなかった場合とを比べなければ、薬の本当の効果は分かりません。図表が見られるなら、比較対照群(control)をきちんと設定しているかどうか注意してみましょう。

2.4. 思い込みが入り込みやすい実験に注意しよう。
患者さんに対する治験では、病気に苦しんでいる患者さん自身が真剣に治したいという強い思いを抱いているものです。身内の方も病院の方もみな良くなってもらいたいわけですから、さまざまなサポートを提供します。そういった真摯な思いや回りのサポートから、思いがけない影響も出てきます。誠実な研究は、そういった願いや期待が実験結果を左右しないように工夫されています。盲目検査 (blind-test)で研究が行われたかどうか、発表された論文を調べてみましょう。発表論文が見つかれば、概要説明(abstract)にこの単語が見つかるはずです。

2.5. 実験結果のつまみ食いに注意しよう。
正直な研究者であっても、自分が願ったような結果が出てほしいと思うものです。都合の悪いデータを無視していないか、都合のいい結果だけを取り出していないか、解釈に合った結果が出るまで実験を繰り返しているような研究成果は疑わしいです。

2.6. 証拠の数を数えてみよう。
誠実な研究は、一つの発見のために実験をいくつか用意して、いろいろな証拠を揃えます。大事な発見であればあるほど沢山の証拠を集めてから発表します。証拠になる実験がいくつ公表されているか報道を注意深くみてみましょう。

3. 研究成果のその後を追ってみよう。
3.1. 一度限りの成果に注意しよう。
報告が正しいならば、他の誰が実験しても結果が再現できるはずです。さらに他の人が試してうまく再現できたという報告がないか調べてみましょう。新しい発見の場合、他の人が再現できるかどうか続報が出るまでしばらく様子を見てみましょう

3.2. 誰がその研究を評価しているか調べてみよう。
すぐれた成果は、多くの研究者に評価されて引用されます。発表された論文の評判をグーグルスカラー (Google Scholar http://scholar.google.com) などで調べてみましょう。論文のタイトルや著者名で調べると検索結果に”Cited by 100”といった数字が表示されます。これは検索した論文を他の研究で引用している数です。ただし、一部のデタラメな研究者は、自分自身や仲間内で引用し合って、この数を水増ししています。評価の数と評価している人達を注意深くみてみましょう。

自分なんて将来のことちっとも考えてなかったから。

2013-02-10 16:50:28 | 言及
だから自分は今苦労してるんだろうなと。

将来を考えた

肌荒れ、ニキビ跡、身長が影響しない職種は沢山ある。というかほぼそう。それが真っ先にでてくることがかなり追い込まれた心理の現れとお見受けする。同時にまだ視野が狭い(考える余地を残している)証とも言える。

現在高校生とのこと。肌荒れ、ニキビについては年を取るとともに体質が変わったり、生活環境やライフスタイルが変わったり、その中でタイミング良く自分に合った処方や薬と出会えることを期待してもいいと思う。とりあえずやけにならず、今自分にできる範囲でケアしておくだけでも後々への影響は変わるはず。

発達障害者が定型発達者の一般的な優良ルートに乗ろうとするのは厳しいかもしれない。それは社会的多数派がより易く生きるうちに仕上がった潮流だからだ。無い物ねだりは時間の損失にしかならないので、考え方を切り替える決心が今必要。でもそれは、見方を変えれば、今すでに人生を設計する動機に恵まれたとも言える。何も考えずにメインストリームに乗れるものだとばかり思い込んでなあなあに学生時代を浪費せずに済む。まさに「”今”、悩まされている」この現実をまだ長い人生のアドバンテージにしてやるのだ。

多くの定型発達者が深く悩まずに通り過ぎてしまい、そのために社会に出る年齢になってから、学生時代こうしていればと後悔を抱えるところまで、実はこのルートには織り込まれている。その後悔が、世間のおっさんおばさんが若者に対してあれこれ偉そうに説教するモチベーションとなっている。いまこうしてここにコメントするのも、昔(今以上に)愚かで恵まれていた自分が、真剣に考えてこなかったせいでとりこぼしたことを身代わりにやらせたい心理が根っこにある。遅ればせながら数十年後の自分がやっていること、それに今取り組むチャンスがある。周りがほとんど同年代だと気付きにくいけれど、若さはそれだけでとてつもない資源であり長所だ。

不細工に関しては自分が不細工だと思うより、そんなことを意にも介さないで生きていることがこれからの表情を育てる。顔つきが人に与える印象は、年を重ねる程に、生まれ持った資質からその人の生き方や考え方の重みが出てくる。根拠はない。が、そう考えている大人は多いし、そうやって見られる以上は自分の顔つきを作り上げる努力に価値はある。笑い皺も身だしなみも癖も、武器になる。

将来を本気で心配するなら、発達障害だの頭が悪いだのでは具体性に欠ける。もっと細かく自分を分析する必要がある。どんな診断方法で評価されたのか、それで何が苦手と見なされるのか。頭の善し悪しだって、突き詰めるととても細かいし奥深いし、そして面白い。例えば、記憶力。見て覚える、聞いて覚える、体を動かして覚える、どれが一番向いているかは人それぞれ。「学習スタイル 診断」で検索するといろいろ見られるけれど、学校の学習スタイルがベストとは限らないということで、自分で自分を育てる余地がある。これは有料だけれど、こういうものがあるという参考までに。
Test.jp -- 「タイプ分け」など自己の行動パターンやコミュニケーションの傾向などに関する自己診断テストサイト
自覚している自己の特徴と他人に指摘される特徴に差はないかとか、適性を冷静に見極める為に、自分の特徴とそれが他人にどう評価されるかの基準となる情報を一つでも多く集める。その入り口としてインターネットは有用。
腎臓の病気については、知らないことだったので調べてみた。素人判断で安易なことは言わないでけれど、何が期待出来てどう捉えておくべきものか絶えず最新情報をチェックして自分の将来設計の一助にすることで心理的に病気に対して優位に立つことは大事だと思う。

就職しようという前提で考えるなら、一般的に使われる頭の善し悪しとは、つぶしがきくかきかないか、その程度の意味。株式会社は育っていかないといけない。成長し続けないと規模を維持出来ないし社員の生活も保障出来ない。育っていくということは現状に留まっていられないということで、同じ仕事を延々と続けていられない。仕事内容が変化すれば、社員に求められる役割や能力も変わる。人事=人を雇う側の頭脳も完璧ではない。世の中だって何がどうなるか誰にも完全には読めない。だからどんな審査基準も万能ではない。将来どのタイミングでどの適性が会社に必要になるか分からないけど、それでも雇用を決断しなければならない。となれば、会社がどう転んでも臨機応変に対応できる人材を置きたい。適性よりも応用力や汎用性に重点が傾くのは自然。これが、イメージにあるような良い大学へ進学し良い企業に勤めるルートの受け皿となる。

でも世の中はそういう仕事だけでは成立しない。延々と変わらないことを求める場所もある。役割とその適性がはっきりした職種がある。就職にこだわらなければ、需要のあるところへ自分の能力をそのつど提供するやり方もある。だから手に職を持ち、資格を取得し、それを売り込んで生活する人もある。

自分は研究者の端くれだけれど、これに近いと考えている。正規に雇われていない不安定さとプレッシャーは絶えない。自営業者として面倒な決まり事をたくさん知っておく煩わしさや苦労も感じている。けれど、決まり事はマニュアル化しやすい。一度仕組みを仕上げてしまえば頭を使う量が減らせる。面倒であることは難しいこととは限らない。自分という商品を売り込まなければならなかったり、自分で新しい仕事を生み出さなければならなかったりもする。それとて結局、自分にできる範囲でしか考えられないしそこで組み立てることになるわけで、会社(他者)の要求に応えるよりは自由度は高いと思っている。

遺伝子操作トウモロコシの記事について。

2009-08-05 03:33:25 | 言及
コメントの字数制限を超えてしまったようなので、トラックバックにしました。
雅楽多blog : ここらで8/4の落ち穂拾い - livedoor Blog(ブログ)
(元記事)
ニュース - 科学&宇宙 - SOSを発する遺伝子操作トウモロコシ(記事全文) - ナショナルジオグラフィック 公式日本語サイト

「感情的に受け入れがたい」というのはもう個人的なことですから、止むを得ないことなのですけれど、以前、遺伝子組み換え作物やその育種に関わっていた立場から、どうしても反応したくなってしまいました。

「これが胃に入る」の「これ」が、遺伝子操作されたトウモロコシを指すのか、導入された遺伝子なのか、酵素のことか、もしくは生成される揮発性の物質なのか、いろいろ想定されますが、仮にそのいずれが入るにしても、元になっている素材はオレガノに含まれていたものですので、カレーやイタリア料理に使われるスパイスとして、殆どの人にとって、すでにさんざん胃に入れているはずなのですよね。なので、個人的には、なぜそれが気になってしまうのだろうという疑問を抱いてしまいます。

この点、きっと記事の書き方一つでも印象は変わるのでしょうね。「害虫の天敵を惹き付けて身を守るトウモロコシを開発」「農薬が減らせる」「植物本来の防御機能」「スパイスでおなじみのオレガノの機能を利用」といった点を強調すれば良いのかなあ。どういった伝え方をすれば受け入れてもらい易くなるのだろうなあなどと考えてしまいます。

「感情的に受け入れられない」という反応に対して、研究者達は、何をクリアにすれば受け入れられるのかを問い、それに応えようとしている経緯があります。そういった要請の中で「作物が元々持っていた機能を取り戻す」というアプローチが今回なされました。

これは元記事(ナショナルジオグラフィック)に対する反発なのですけれど、そこでは、こういった背景には触れずに、

「ただし、本来備えていた能力であっても、それを人為的に取り戻すとなると、自然界に元々存在しなかった遺伝子を生み出す恐れもある。」

の一文でもって切り捨てられており、なんとも気の毒でなりません。元々存在しなかった遺伝子を生み出しながら進化してきた過程すらも拒絶するつもりなの?とか、本来備えていた能力が失われたのも、(従来の育種という)人為的でしかも闇雲な操作によるものなのだけれど、それは受け入れられるの?と問いかけたくなります。

それでも「受け入れがたい感情」は誰もがそれぞれ持っている防衛本能でもあるので、どうにもならないのかもしれませんね。余談になりますが、実は、こういった防御機能を持った品種で畑を取り囲んでしまうことで、虫などの被害を防ぐ効果が得られるのですね。ですので、その内側で「普通の」品種を育てるという利用法が可能かもしれません。確かハワイの果樹園で実際に使われている手法だったと記憶しています。なかなか受け入れてもらえない遺伝子操作作物の苦心の末の活用法です。

ご参考までに記事で紹介された論文です。
「Restoring a maize root signal that attracts insect-killing nematodes to control a major pest ― PNAS

<さかい>

みんな生き続けていて欲しい

2009-01-19 03:20:18 | 言及
どうしても気になったので - jack_oo_lanternの日記

批判がある訳でも異論がある訳でもありません。これにかこつけて書き残しておきたかったので反応させて頂きました。

具体的には書きませんが、これは決して空想のお遊びではなく、現実社会で誰にでも起こりうる設定に酷似しています。自分がそれに近い気持ちを経験して重なるものを感じました。それが妻にとって死ぬよりも辛いことだとしっているから、辛いのです。妻を辛い目に遭わせてまで、そんな世界に執着して生き残った自分が許せないのです。妻を守りたくて必至で生き延びた結果、妻をさらに追い詰めることになる皮肉。もっといえば、そこからさらに大勢の人が不幸になります。それらの現実を夫が受け入れるには、気が狂うような時間が一度必要なのです。私はもう、そこで自分は死んでもいいやと確かに一度思いました。それでも生き続けて、長い時間をかけて現実に向き合うところまで来て、そして、ようやく失った時間を取り戻すために動き出したばかりです。

恐らく妻に理解してもらえない辛さというのは、自分が必ず迎えにくると信じて待っていてもらえなかったことです。妻が思っている以上に、それは夫の心を破壊します。だからこれは、研修で見知らぬ誰かと話し合うよりも、本当に大事な相手と、何度も話し合っておくことができると良いだろうと思います。多分、もっと日常的な設定で始めることができます。

例えば、待ち合わせで時間通りに来られなかった場合、何かしらのトラブルがあったのではないかと不安になって約束の場所を離れて探しに出てしまえば、お互いに行き違って出会えなくなってしまいます。どちらが、相手がどこにいても必ず探し当てる、約束の場所に必ず辿り着くという役割を受け持つのか。どちらが、必ず見つけに来てもらえると信じて待ち続ける役割を受け持つのか。この役割分担について普段から話し合っておくだけでも、本当の非常時での気持ちの持ち様が変わってくるのだと思うのです。別に振舞い方はどうでも構いません。無駄になると分かっていてもお互いに探し合おうとするのも、場合によって立場を入れ替えるとするのでも、はたまた、不安にさせない為に連絡を密にするなり、別行動しないでいるなり、より効率の良い見つけ方を話し合うでもいいので、とにかくこれは自分独りで答えを出すのではなく、お互いの見解を知り、いざというときの相手の行動を読む精度をあげるために活用されるべきもので、どちらが悪いかなどという人間性の優劣や倫理観を問うような扱い方は全くなっていないという点では同感です。