対話練習帳

私的情報収集、自習ブログ

みんな生き続けていて欲しい

2009-01-19 03:20:18 | 言及
どうしても気になったので - jack_oo_lanternの日記

批判がある訳でも異論がある訳でもありません。これにかこつけて書き残しておきたかったので反応させて頂きました。

具体的には書きませんが、これは決して空想のお遊びではなく、現実社会で誰にでも起こりうる設定に酷似しています。自分がそれに近い気持ちを経験して重なるものを感じました。それが妻にとって死ぬよりも辛いことだとしっているから、辛いのです。妻を辛い目に遭わせてまで、そんな世界に執着して生き残った自分が許せないのです。妻を守りたくて必至で生き延びた結果、妻をさらに追い詰めることになる皮肉。もっといえば、そこからさらに大勢の人が不幸になります。それらの現実を夫が受け入れるには、気が狂うような時間が一度必要なのです。私はもう、そこで自分は死んでもいいやと確かに一度思いました。それでも生き続けて、長い時間をかけて現実に向き合うところまで来て、そして、ようやく失った時間を取り戻すために動き出したばかりです。

恐らく妻に理解してもらえない辛さというのは、自分が必ず迎えにくると信じて待っていてもらえなかったことです。妻が思っている以上に、それは夫の心を破壊します。だからこれは、研修で見知らぬ誰かと話し合うよりも、本当に大事な相手と、何度も話し合っておくことができると良いだろうと思います。多分、もっと日常的な設定で始めることができます。

例えば、待ち合わせで時間通りに来られなかった場合、何かしらのトラブルがあったのではないかと不安になって約束の場所を離れて探しに出てしまえば、お互いに行き違って出会えなくなってしまいます。どちらが、相手がどこにいても必ず探し当てる、約束の場所に必ず辿り着くという役割を受け持つのか。どちらが、必ず見つけに来てもらえると信じて待ち続ける役割を受け持つのか。この役割分担について普段から話し合っておくだけでも、本当の非常時での気持ちの持ち様が変わってくるのだと思うのです。別に振舞い方はどうでも構いません。無駄になると分かっていてもお互いに探し合おうとするのも、場合によって立場を入れ替えるとするのでも、はたまた、不安にさせない為に連絡を密にするなり、別行動しないでいるなり、より効率の良い見つけ方を話し合うでもいいので、とにかくこれは自分独りで答えを出すのではなく、お互いの見解を知り、いざというときの相手の行動を読む精度をあげるために活用されるべきもので、どちらが悪いかなどという人間性の優劣や倫理観を問うような扱い方は全くなっていないという点では同感です。