対話練習帳

私的情報収集、自習ブログ

論文を書く

2011-02-25 20:30:38 | Weblog
まず一番最初に、「自分が答えるべき疑問を洗い出す」
ここが最も頭を使う。時間も費やす。論文の中で、最も主張したい内容がある。言い換えるとそれは、自分が問い続けた疑問に対する答えを見つけたという話になる。で、それを他人に伝えることが論文の目的になる。そうすると、その話を聴いてもらうにはどうするか?というスタンスで内容を作り上げていくことになる。そこで最初にはっきりさせるべきことは、自分がどんな疑問を持って、それにどんな答えを出したのか?ということ。これにまずはっきりと答える。
問い)
答え)
考察するべきこと
答えをポンと差し出しただけで話が終われば簡単だけれど、それでは仕事として成立しない。この時点では、自分以外の誰も問いと答えの間のギャップを埋める根拠を持っていない。この間を隙間無く、重なり無く埋めていくのが論文を書くという仕事。ここで、ギャップを埋めるものは何か?それもまた、問いと答え。最後に主張したい内容に辿り着くまでの質問と答えを洗い出していく。ここからは反復作業で、なんども振り返っては作り直すことになる。だから、一度目の作業で終わらないと覚悟を決める。無駄な時間を費やさない。一時間で集中して最初の雛形を仕上げてしまう。単純な話、質問を思いついたままに並べていくだけでいい。質問と同時に答えられるのであれば、ついでに答えてしまう。バカみたいに何も知らない素人になった気分で臨んでみる。最初の質問に繋がる答え、最初の質問から派生する疑問、最後の主張に繋がる質問・疑問、など切り崩すポイントはいつでも複数あるので、5分も詰まるようならとっとと方向を切り替える。一時間で埋まったものがその時点でのベストです(と自分に言い聞かせる)。
「論理トレーニング」を逆手にとって質問を探り出す。 - 対話練習帳
 
次に、「洗い出した質問を並べ替える」
ここでもっと読み手の立場で、審査員の気持ちで、スムーズなストーリーになる順番を考える作業に移る。前のステップで洗い出した質問の前後に接続詞をいれて繋いでみることが、論理的な話の展開を紡ぎだす。
話の継ぎ方。会話を繋ぐトレーニング。 - 対話練習帳
 
続いて「洗い出した質問に答える」
質問にとにかく答えを出す。ここも時間をかけずに一問10分で書ける限りの答えを連ねていく。これが、試験に解答していくような緊張感を発揮させて、案外できる気分になる。疑問に対する答えを順序だてて繋いだものが論文。その第一稿はこれで仕上がり。どんなにすかすかでも、頭から終わりまで通して考えた、という痕跡が残せる。これが大枠になって、後は中身を埋めていくだけになると、気分がとても違う。焦りがかなり抑えられる。
  
さて、解答を済ませたら今度は採点する立場になってみる。で、ここからがいよいよ本番、現場百遍。何度も全体を読み通して、内容を吟味する。
ここでの、チェックポイント
  • 質問が的確であるか、

  • 疑問点が明確であるか、

  • 問い忘れていることはないか、

  • 疑問の提示の順序はきちんと思考の流れに沿ってスムーズにシフトしているか、

  • パラグラフ間で内容が飛んでいないか、

  • 質問と質問の間を繋ぐトランスレーション(誘導文)は適切か、

  • 疑問に対してきちんと応えているか、

  • 答えが論理的に破綻していないか、

  • 根拠を充分にしめしているか、

  • 分かりやすい例を挙げているか、

  • 引用は正確に内容を反映しているか、

  • 文法的な誤りは無いか、

  • 誤字脱字はないか、

  • について、項目を一つ一つ問いただしては、何度も何度も直しを重ねていく。何度やっても完璧にはほど遠いものだけど、繰り返すほどに味わいが深まっていく。だから〆切が来るまでは、自分で完結させない。満足せずに続けていると、期待以上の充実感が返ってくる。それが論文を書いて得られるもの。

    考察するべきこと

    2011-02-14 18:10:56 | Weblog
    1.この研究にどのような意義があって、どれくらいの価値があるの?
    まず、このような問題がある……
    (先に「研究の背景・イントロダクション」で触れているので、三文以内で簡潔に述べる)


    つまり、これを明らかにすることは……



    ……という意義がある。
    あるいは、



    ……するために必要である。

    2.価値があるとして、研究の結果、何が新しく解明されたの?
     今回の研究の結果から……


    ……することが分かった。
     では、なぜ、そのようになるのだろうか?


     そして、それはどういう意味を持つだろうか?


     ここから発展して、何か新しい疑問が湧いた?


     新しい疑問を解決するために何が出来る?どうすればいい?


     さらに、今回の研究の結果から、


    ……であることも分かった。

     では、なぜ、そのようになるのだろうか?


     そして、それはどういう意味を持つだろうか?


     ここから発展して、何か新しい疑問が湧いた?


     新しい疑問を解決するために何が出来る?どうすればいい?


     まとめると、
    ……

    ……

    ……

    ということが分かった。
    さて、
    3.この研究で新しく解明した内容には、どれくらいの価値があるのだろう?
     言い換えると、
     この成果は、どこでどのように活用できるの?


     どのような人に利用されるだろう?


     どんなことが新しくできるようになるだろう?



    (なるほど、そのような価値があるとして。
    では、)
    4.残された課題は何?

     研究の成果を活用する為に足りないことがある?


     それを付け足すとしたらどのような情報や調査が必要?


     どんな方法で必要な情報を手に入れられるだろう?


    5.その新しい課題が解決できたら、どんな価値が生まれると思う?

    『へこたれない人』に一瞬で生まれ変わる

    2011-02-10 17:58:27 | Weblog
     世の中は、情動を制御しようとする力と概念を制御しようとする力で拮抗し合っている。最近、そんなことをちょくちょく考えています。テレビコマーシャル然り、政治演説然り。商品や政策を丁寧に説明して理解を得ようとするだけではなくて、そこで聴衆の気持ちにどこまで付け入るかということが必ず織り込まれている。世の中、利害や損得の勘定だけでは決まらないことが多くて、人間はいつだって感情の煽り合いに巻き込まれ続ける。そんな環境にあって、生き方や行動に筋が通っているかどうかを見つめることは、自分を護る為にとても大切な行為に違いない。人間の社会性は、きっと気持ちや感情をコントロールすることで培われているだろうけれど、時には、感情よりも考え方や受け止め方の根本的な概念を取り替えてしまう方が、手っ取り早いこともあったりします。

    落ち込まないように。
     これなどは、その典型なのではないかなと思いました。気持ちをコントロールしようとするのではなくて、落ち込むことをネガティブに捉えてしまう概念そのものを切り崩す発想が、目標達成の近道になると考えます。

     「落ち込む」という心理そのものは、反射的な心の動きであり、情動だと捉えられます。そして、心の動き、それは生まれ持った自分の特徴だから矯正すべきではないというのが私の考えです。原則として、理性で制御すべきなのは行動であって、心の動きはあるがままに受け止めるのが自然で健全だと思います。己の自然な心の動きを否定すると、自分の中に相容れない二つの欲求を抱えることになってしまう。あるがままに心を動かしたい欲求と、理想通りの自分でありたいという欲求の矛盾。その矛盾を解消するとなると、落ち込む行為を醜いものとして受け止めてしまったり、気に病んでいないふりをしてみたりと、自己否定や自分に嘘を吐かせる結果に繋がってしまう。気に病むことを強制終了することで心を病むことになりかねない。

     所詮、情動なんて瞬間的な感情でしかなくて、本来は持続しないものです。24時間怒り続けるエネルギーなんて持ち合わせていないし、どんなに好きなものでも飽きがくる。お腹も空けば、眠たくもなる。自分の場合、落ち込んだ気持ちやモヤモヤした気分が持続してしまうのは、感情に名前がついていない不安定な状態なのだと気付きました。そして、感情をはっきりさせないままでいられるのは、自分の感情を決定すると、自分の底が見えてしまうのではないかという怯えに支えられていることが原因だという解釈に辿り着きました。

     落ち込む時間が勿体ないと思うのであれば、落ち込んだ瞬間の感情の正体を、すぐにはっきりさせてしまえばいい。落ち込む心境を突き詰めると、「恥ずかしい」か「悔しい」か、どちらかの感情に落とし込めます。そこで、まず「恥ずかしい」のか「悔しい」のか、どちらかに決めてしまう。声に出してみると自分の感情に落とし前がつくから、そこでひとまずほっとする。さて、自分の感情の正体が定かになりました。さて、それが「恥ずかしい」だったらどうなの?となる訳ですが、恥ずかしいという感情の先には何もなくて、それでおしまい。せいぜい、積極的に忘れようとするくらい。結局、さっさと次に進む以外にやることはない。じゃあ、「悔しい」だったら?悔しかったらどうする?選択肢は二つ、さっさと諦めるかもう一度チャレンジするか。どっちにしても、早々と次にやるべきことを考える段階に移ることができる。そんな塩梅で、感情の処理の仕方を大概は誰でも持っている訳で、正体さえ突き止めてしまえばそこからは意外に早い展開が待っているものだと思うのです。

     同じことが身に降り掛かっても、引き出される気持ちは人それぞれで、感じ方それ自体は誰にも否定されるべきものではないと思うのです。それがどんな種類の感情であっても、そこに何らかの感情を持てる、つまり心を動かされるというのは、特別な、一つの才能だと思う。必要なのはその才能の活かし方。感情処理の方法にいろんな工夫を凝らして、どれだけ巧みに自分の理想へ近づく行動に結びつけるか、その試みこそを成長の楽しみに、自分の気持ちと向き合っていきたい。そんな感想を抱きました。

    俺流 英文法解釈(覚え書き)

    2011-02-10 15:43:08 | 考え中
    今、自分が臨むレベルに到達するために何をすべきかと考えている最中に閃いたことの覚え書き。なので、学問的な正しさは考慮していません、と前置いて。

    キーワードは「先読み力」
     ネイティブスピーカーと対峙するレベルに届こうとする時、会話の理解力、文章の読解力には、先読みする力が、一番大きく影響する。ある単語を聞いた瞬間に、関連する連絡ワード候補がリストアップされる。「船」と聞いて「海」「河」「水」「旅」「酔う」「釣り」……というように。続く言葉を拾っていくうちに、リストは削られて一つの意味に収束していく。英単語の教材で、フレーズや文章を丸ごと暗記してボキャブラリーを増やす方法や、語源から連想を広げる方法が効果的だとされるのは、先読みするべき言葉とセットで記憶に入力するところに理由がある。その意味では、実践で吸収していくことほどの強みは、他には無い。自分が身を置く環境(仕事や交友関係)で連絡ワードの優先順位は変わる。先読みする力は、経験の蓄積で賄うもの。仕事では通用するけれど、何気ない会話が難しかったり、その逆もまたしかり。これは母語で考えてみても同じはず。

    もう一つのキーワード、「補足と限定」
     話し手もまた、自分の意図する文脈を頭では先に流ししつつ言葉を発しているし、ネイティブな発想の文章はそのように作られていく。聞き手もその流れを先読みしながら理解することになる。先読みの方向はノーヒントでは全方向に向かう可能性を考慮しなければならない。でも、発想としては二つに分類することが出来る。その二つとは、外へ広がっていく方向と内へフォーカスしていく方向。ブレスト的に情報を付け加えていく方向と、条件の追加で的を絞っていく方向。これを補足、もしくは限定と解釈することができる。冠詞の“a”と”the”の使い分けや、関係代名詞“,which”と”that”の使い分けに、その発想のヒントを見て取ることができる。これを常に意識して、聞き取り、読み取り、そして自分が使ってみることで、ネイティブらしい使い分けに近づけるのではないだろうか。

     根っこにある発想は、これまでに考えてきたことの中にある。
    話の継ぎ方。会話を繋ぐトレーニング。 - 対話練習帳
    「論理トレーニング」を逆手にとって質問を探り出す。 - 対話練習帳
    言葉にした瞬間に、あなたは何かを切り捨てている - 対話練習帳
    それを実践で活かす為には、ネイティブスピーカーが持っている無意識の前提条件を、学ぶ側として、まずは意識的に取り出さなくちゃならない。まだ気付いていないルールがあるはずだし、今回見つけたルールみたいなものが通用するかどうかも検証していく必要がある。