対話練習帳

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ホメオパシーは他の医療を否定できない。

2010-08-12 08:28:30 | 考え中
面倒なので資料にあたらず、記憶だけに頼った記述です。影響を受けている関連記事があからさまですが、議論の背景や文脈をまだ全て追えていないし、そこまでの熱意も湧いていないので、現段階で特定記事への言及意図はありません。トラバもしていません。とことん議論に誠実でない態度ですが、個人的に気になっている部分を整理するために、ひとまずまとめています。

現状での自分の思考の到達点は以下の通り。
科学がホメオパシーを否定できない、という命題は正しい。しかし、それだけではホメオパシー信奉者がほかの医療を否定する根拠にはならない。二重盲検は「効果がある」ことを確認するためのもので「効果がない」とは決していえない。しかし、二重盲検で「効果がある」やり方は数々ある。つまり、ホメオパシーより効果の見込める選択肢がある。「科学がホメオパシーを否定できない」という主張は、より効果の高い医療を拒絶する理由を与えない。

引っかかっているのは、二重盲検の説明が誤って取り扱われているように感じられること。以下は私の二重盲検に関する理解。
二重盲検は「効果がある」ことを確認するためのもの。「効果がない」というために使われることはない。「この薬、効くよ」「気のせいじゃないの?」という疑問に答える。だから「プラセボの効果(影響)を排除する」という表現は正確ではない。

二重盲検では、プラセボ効果(を含む、評価対象以外のあらゆる影響)が一方のグループに偏らないよう均一にならすことができる。でも、それはプラセボ効果を取り除くのではないし、その必要もない。祈りや物質以外の要素が結果に影響するとしても、それを上回る処方効果があるときに意味をなすし、実際にそういった効能を持つ薬や処置はたくさんある。意図しない影響をものともせず、二重盲検でプラセボに埋もれないくらい効果的なやり方があるのに、なぜそれを使わないの?という疑問が湧く。

プラセボ以上の効果が認められなかった場合でも、プラセボの影響(や誤差)に埋もれてしまう程度に効果がある可能性は残る。そういうことではなく「特定の誰かの関与が結果に影響した」という主張を認めるなら、そもそもそのような素材は、二重盲検にそぐわない。それなのに「二重盲検で効果が認められました」と主張したのであれば、元の主張に誤りがあったことは否めない。科学的であるかという以前に、二重盲検の適用条件が公正に検討されていなかった点で、学問的に誠実でない。

確か、遠隔地での祈りが患者の治癒に効果を及ぼすことを二重盲検で示そうとした研究があったはず。そもそも医療関係者には注目されない分野なので、再現性があるのかどうかも不明ではあるけれど、それを例に挙げれば、ホメオパシーの効果は祈りの効果にすら遠く及ばないという主張を否定できなくなる。
記憶していたものとは違うけれど、こんなものがあった。
『水の結晶の形に遠隔地からの想いが与える影響についてのダブルブラインドテスト』
http://www.masaru-emoto.net/newemoto2/ronbun.html

そもそも二重盲検法自体、科学的じゃない。どちらかといえば、科学的にメカニズムが示せないときに止む無く使われる方便。だから、その使用に当たっては公正に条件検討し、事後に前提を覆すことのないようにして初めて、学問的に誠実なものと認められる手法となる。

宗教に関しての議論でも同じような行き違いを何度も見かける。祈れば救われることを否定はできないけど、それ以上に効果が見込めるものを拒む合理的な理由がない。そこを着地点とするならば、祈ることを否定する必要はなくなる。

哲学や思想の域に議論を持ち込んでしまえば、究極的には、何一つ完璧に否定することなどできなくなる。だから、相手に否定させる流れに持ち込めば自分の信念を譲らずに済む、というだけのことか。