対話練習帳

私的情報収集、自習ブログ

ジャムの蓋は誰が開けた?

2010-10-29 22:54:39 | Weblog
A「これ、蓋が固くて開かないの。開けてくれない?」

B「うん、いいよ。ムギギギ……無理……」

C「おい、情けないなあ。こんなものも開けられないのかよ。どれ、貸してみな。フンッ……開かない……」

A「う~んダメかあ。あ、あの人なら力が強いから開けられるかも。ねえ、これ、開けてくれない?」

D「おお、任せておけ。おりゃああああ……いや、これは普通の人じゃ開けられないよ。何か道具を使ってみたら?」

B「そうだね、ゴム手袋とかどうよ。ぐおぁぁぁっ……あ、ちょっと開いたような気がする……」

C「俺にも試させて。ンンンンッ!……いや、開けられない」

D「よし、じゃあ二人掛かりで。俺がビンを押さえてるから、お前フタな。せーの、おりゃあ!フンンッ!……無理」

A「はあ、ダメかあ。しょうがない、諦めるか」

E「なにやってんの~?ふたが開かない?ふ~ん、どれ……あれ?なんだ開くじゃん。皆、こんなものに苦戦してたの?だらしねえなあ。まあな、こういうのにはコツがあってだな……」

「コピペはいけない」というコピペに満足していないか

2010-10-15 14:07:41 | Weblog
文章を書くという行為は、使われる単語や接続詞の全てを、きちんと自分なりの根拠を持った上で選択する作業。自分の伝えたいことを自らが明確に理解しているかの確認作業でもある。

学生のレポートでコピペを却下するのは「してはいけないことを行っている」からではなく、「しなくてはならないことを行っていない」ことへの評価であると理解している。自ら考えること、それを文章化すること、そういった訓練の場として提供された機会を踏みにじる行為だとの怒りや心配がある。自分が選んだ言葉全てに自分の責任を負うという作業、コピペであっても、もしそれがきっちりできているのであれば、それは自分の言葉となっているだろう。

そこまで理解せずにただ単純に、行為としてのコピペを排除しているなら、その思想は「コピペはダメ」という言葉をただ頭の中に写し取っただけのことであって、コピペするのと大差ない行為である。

現在、論文を書くにあたって、使い回された表現をいくつも拾い集め、コピペした。それを繋ぎ合わせるフォーマットも他から流用している。このつぎはぎの産物を何度も読み直し、単語の、接続詞の一つ一つ、文のつながり全てを自分の理解に落とし込む作業を、今、行っている。一行を仕上げるのに一日かかることもある。何度も編集して、結局元のコピペに戻ることもある。それでも、その工程を経た文に、自分は根拠を見いだしている。文章を仕上げる快感はここにある。