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日本語をもっと鍛えて外国語に強くなる

2013-05-24 21:59:52 | Weblog
English all the time アメリカポスドクの歩き方

日本語の意味に流されてしまうという見解について実感として完璧に同意します。英語を英語として理解することの必要性にも大いに共感します。さらに、日本語を強制的にシャットアウトする方法で語学力が向上することも間違いないと思います。しかし、ここで敢えて逆の提案をしたい。「英語を英語として理解する感覚を習得するため、まず母語である日本語に対する感覚を徹底的に研ぎすませ」と。

戦前あるいは明治大正時代にも、世界各国の文献を原著で読み解き、外国語話者と議論をぶつけ合い、まるで生得した母語であるかのごとく外国語を操る語学堪能な人達は少なくありませんでした。文豪達は異国の言葉で書かれた書物でも本旨を損なう事なく豊かに日本語に訳していると評価されます。現代に比べてよっぽど外国語に触れる機会が制約されていたはずの時代でも、そうしたことは可能でした。その理由は、彼らが言葉に対して非常に繊細で鋭敏な感性を培っていたからではないでしょうか。

普段我々は、生まれ育った言語に対してそれほど注意を払っていません。すみません、よろしく、お願い、ありがとう、大丈夫……などなど何の気なしに口をついて出てきますし、慣れすぎて目にも耳にも残りません。誰が、何を、いつまでに、なぜ、どうやって、と疑問を抱くこともありません。それでも言葉で伝えられた礼儀や思いを汲み取っています。ですから無意識であることに何ら不都合はありませんし、それはごく自然なことです。これこそが、母語に対するネイティブスピーカーの感覚なのです。自分の選んだ言葉の意味、話す内容をはっきりと認識していることはありません。そこで、言葉の意味を正確に捉え、また自分の意図を明快に伝えるために、日本語に徹底的にこだわって、言葉で描かれたものを脳内にはっきりとイメージする訓練が役立つと考えています。「あの人は優しい」の「優しい」とはどういうことか。「薄暗い」とはどれくらいの明るさなのか。「青」とはどんな色か。「した」のは今なのか、かつて「していた」のか、今も「している」のか、これからも「し続ける」のか。誰に語りかけているのか、誰がどういう立場で語っているのか。言葉一つ一つ、文章の細部にまで気を配り、徹底して読み解く習慣を身に付けることで、言語に対する感覚が研ぎすまされます。

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外国語の習得も言葉を通じて物事を理解する能力の延長線上にあるもの。この話を知って以来、国語の訓練をもっと重視すべきと考えるようになりました。

言葉に対しての感覚をもっと豊かにする。日本語の語彙を増やす。表現をもっと色とりどりに操る。そのように磨かれたセンスが、外国語習得で回り道を避ける助けとなります。適切な訳語を見つければ、日本語の意味に流され曖昧さに陥ることはありません。ニュアンスの差異をより敏感に見極められます。定型の言い回しに振り回され、原文の英語にこめられた本来の意味を見失ってしまうような過ちも避けられます。これまで何気なく使っていた言葉に明確な意志を与えて語ることで自分が伝えたい事もそれに相応しい英語の言い回しも見つけ易くなります。国語のセンスをしっかり鍛えながら英語だけの環境に浸ってみると、より効果が高まるものと考えます。


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