道すがら

私の歩む道すがら出合った
“これいいなー”を
アップしてみました

五木寛之 講演会

2009年06月08日 | Weblog

 龍谷大学創立370周年の記念として、全国8都市でリレーイベントがありました
  京都にある「龍谷大学をを知っていただきたい」とのご挨拶から始まりました
  歴史ある男子大学校と思いきや 半数が女子学生で驚きました
 
 五木寛之の《親鸞》がいま 新聞に連載されています
    毎回読み またさし絵もたのしみで毎日切り抜いてファイルしています
    深夜放送では 「私の歌物語」がもう 50回も続いて
    色んな方面に 造詣の深く 判りやすい言葉で語られるので 
     講演も聴いてみたくなり 聴講申し込みをしたました
    往復はがきで申し込みをして 幸運にて聴講券 get できました

  第一部
   吹奏楽部の演奏・・・誰でもがなじめる曲目
   ♪ 天地人のオープニング曲・いのちの歌・和田あき子や服部良一コレクション
       なだそうそう・川の流れのように などなど 若人の元気な演奏でした
   ♪ 広島音楽高校との共演
       フィンランディア
       さすが音校だけに まとまった演奏でした 
  第二部 
    テーマ 「生きる」
                
    先日 おまわりさんの万引き事件があり 捕まえた高校生たちが
    「世も末ですね・・」と言った若い生徒からの発言からお話が進みました
    
    人が生きる上でしてはならないこと 守らないといけないことがどんどん
    崩れてゆき、ひいては人間の尊厳も失われつつある 末法を嘆かれました
    
    「ライ麦」一本が育つのに1120kmの根がのびて行き この麦の命を
    人間は頂いている 人間が生きるための糧ではあるが
    与えられた情況の中 失われる命に 気づかずにいきている 
    人間も 森羅万象もをも求めている命があります
       
     「この命を頂きながら生きている人間 ただ生きるのではなく
     よく生きることが大事であります」・と
     多くの努力によって支えられている
     人間の我が儘が 殺生を招き 異常な天災をまねく
     いま すべての命あるものが いかにして調和して生きるかを
     皆が考えなければなりません

     知らず知らずに 多くの罪を犯している 
     罪深い人ほど 救われなけらばなりませんと親鸞聖人は説かれます
     「よも末だ!」とならないうちに 新しい生き方をする時代が来たと思います
     と締めくくられました
    
     90分間 お水も飲まず語られました
     ずっしりと重いものを頂いた気がします
     
     
     
    


ふれ愛ファーム

2009年06月07日 | Weblog

  下山して白木山駅発広島行きの芸備線が50分待ち・・・

   近くの公営貸し農園 ふれ愛農園へ立ち寄りました  
              聴いたことはありましたが初めての見物

          
                    年間使用料 15坪 36000円
           水・トイレ・シャワー・農機具が完備
                 高い?安い? 楽しみ方 収穫しだい 
   よく耕された畑 美味しそうな野菜ができていました
   「あの春菊柔らかそうでほしいね・・・ 」
   「この野菜何かしら?」と見知らぬ種類にあきれたり
  などなど話しながら おやつタイム・土いじりの苦手な私は感心するばかりです .

   何人かが畑のなかで大工仕事(猿よけの木枠立てて ネット張り)
    猿の農作物被害は深刻のようです  
      
   今日は 山で山野草を見かけなかったので このふれ愛ファームでは
      珍しい お花に目が点・・・・
    
            
                
  
            
    これらみんな 名前がワカリマセ~ン  どなたか教えてください
   
    昨日ははりきって帰ってから洗濯したり 掃除したり
    今朝はフトモモ筋肉痛、 立ち上がるのに“あッ 痛ったた~~”が口から
    出ます    やぱり 急のぼりの険しい山でした
    
     


白木山登山

2009年06月06日 | Weblog

 広島で一番の標高差(820m)   白木山▲889.8m
 来月の北陸白山登山者のための訓練登山
 かねてから聞きしかど、やっぱり厳しい山で した
       登山口から3.5キロ 3時間もかけて歩きました
             
 登山口から即、急登り 
      一合目 二号目~勢至観音~~穴地蔵~~四号目・薬師堂
  水場(山間から湧き出す美味しい水)~~ 8合目 胸突き八丁 きつい!
       「あー ドリンク剤を飲むの忘れてた・・・・」といって取り出しごくんごくん
    「今飲んでも間に合わんよ」とわらわれました  
    何とか山頂に辿り着き 三角点にタッチバンザーイ!
    
    苦労して登って来ましたが・・・360度の大パノラマは霧の中
    お弁当を美味しく食べて・・・
                   「あー、隣のパーティのカステラ美味しそう!!」
        遠くで雷鳴ガしたので 同じ道を下山 1時間半で麓に到着
    山中は 鳥の声はしきり
      ウグイス センダイムシクイ ヒヨドリ 
      ホトトギスは 「ホットットギス!」と啼きながら飛ぶのを始めてみました
      テッペンカケタカ     トウキョウトッキョキョカキョク
               人によっていろいろに聞こえます
      下山はドリンク剤が効いたか早足。 急ぎすぎ!とリーダーさんに
              嗜められました      1時間半で麓へ・・・下りました  
      ふもとの畑に メタボ猿が2匹  畑のじゃがいも食べてました
       農家は猿や鹿の害になやまされているそうです
         


   白木山は厳しいと覚悟して行ったためか 体調もよかったのか
   案外、今日は疲れは 少なかったです
   まだまだ訓練は続きますが・・・来月の「白山」行きは 今日のメンバー6人は
    ひとまず合格    ばんざーい!  よかった      
  


御手洗歴史探訪 後編

2009年06月05日 | Weblog

  絵地図片手に 説明聴きながら キョロキョロ  
                                     時々見失って駆け足で後追い

     北前船やおちょろ船の模型作ってる船大工さんが仕事中
         
      いろんな人があれこれてんでに質問してうるさがられ、おかんむり 
                      ゴメンナサイ
  七卿落ち遺跡
           
        明治維新の立役者 三条実美らが立ち寄った
        裏に回ると 大きな鬼瓦が現れて ギョッ
             
    常盤通り
        なまこ壁・入母屋つくり・etc説明あり

        ちょうどNHKドラマ《火の魚》の撮影ロケ隊がいました
             がんばって下さい!楽しみにしています・・・と声かけて・・・離合
   天満神社
        神宮皇后が朝鮮征伐に行かれた時手を洗われた神社。
        近年では、菅原道真が筆を洗ったとされる井戸があり
        字や絵が上手になりますように文化大生もあやかりました
           絵も字も上手くなれない私は
            懐かしい! つるべ             パソコン頼みです
            昔取った・・何とやら・・・水汲みお上手!
  若胡子屋・・・
  満船時・・・・
  樗堂の墓・・・・
  大東寺の甍 
     

  ふるさと学園・・・二宮金次郎像
        ♪柴刈り縄ない 草鞋を作り・・・と歌う
          金次郎は何した人? 歌しか知らないわ・・・云々
          
       金次郎さん! 平成の財政改革にお出まし下さい !
  歴史の見える丘・・・遊女の墓
     財を成した人のもあれば 悲嘆にくれ、
     ふるさとへも帰れなかった悲しい歴史あり。
      近年、古いお墓を洗い出して
    この人々のお陰もあって、町の繁栄もあったと大事に葬られています
      
       
     周囲はブランド品の大長みかん
                  今 指先くらいに実ってます 冬まで待ってね!
  千砂子波止
   歴史散策の振り出しが見えます ナイスビューポイント
             
   島影は四国・愛媛県です
        よく学び? よく歩きました 先生ありがとうございました
   
 画像処理に試行錯誤し、 行程確認するため 御手洗地区で検索したら
     なんとすばらしい 紹介があるではありませんか
       すっきりくっきりの写真とよく判る説明つき
              これ読んで当日の回想しています
        道すがらには 当日関係の画像を載せました
          
        皆さんもごらんください(御手洗地区 金子邸で検索 URLです)
        http://www.geocities.jp/yasukoscene/mitarai.htm
        


豊浜 御手洗  前編

2009年06月04日 | Weblog

  御手洗“ おてあらい” ではありません “みたらい”と読みます

 「御手洗」はかねてから行って見たいと思ってた所・・・車持たない私には遠い彼方 
 講座で先生から「空席があるから参加して下さい・・・」の言葉真に受けて志願。 
    参加者が私だけだったのに少々戸惑いましたが  生来の厚かましさで
 ご一緒させていただきました。
 皆さん気持よく仲間に入れてくださり 先生の明るさに大いに安堵いたしました
       講師解説つきが何より魅力

  安芸灘大橋渡って まずは下蒲刈島の三之関へ  
    長雁木の見学      
     
  江戸時代、福島正則が幕府の命により 本陣の一環として作ったもの
  参勤交代する西国大名、琉球、朝鮮、オランダの使節も江戸への往復に
  この雁木(雁が羽根を広げた姿)を使って 蒲刈に上陸したようです
  上段4段は昭和になって 地盤沈下のために付け足された
                                      
             
              走るバスの中からの パノラマ撮りはむつかしかった!

     いいキャッチフレーズですね
        
 見たらいい町、御手洗町
  瀬戸内海のほぼヘソにあたる離島・豊島(昨秋 豊島大橋が架橋)   
        
    ここは江戸時代潮待ち、風待ち 港町として 貿易の中継港であった
  人が集い、物が集まり文化が育った・・・その栄華の残像を今に伝えている
  昨秋開通した 豊浜大橋で俄かに脚光を浴びた史跡名勝地
   先ずは住吉神社へ
      狛犬の台座には遊女若駒の名も・・・潮待ちには男性お楽しみの場も。
          
        
   神社には拝殿・祓殿・本殿があって 拝んで帰るだけでなく
   本殿を観よ! と先生談。  桧皮葺の本殿は鞘堂の中
   
     高灯籠(近年物)   お天気もよくて ラッキーでした
     風も波も穏やか・・・ほんに潮待ち港
     ここからは 皆でテクテクさん   街並み散策です
       歴史探訪も足腰達者でないと出来ません    後編につづく
   
        
   


教養講座 歴史探訪

2009年06月03日 | Weblog

 「百万都市広島の原点」
           
歴史探訪教室で講座をお持ちの 請川洋一先生が登壇
  
 むか~し むかし 安芸の国は東国者ののっとりにあった。
  平治の乱で源義朝を討ち果たし 安芸の国・国守として清盛が登場 
 西国地主から差し出される土地と税と冨で 《高野山の修復に寄与》 
  喜ばれた高野山から
 安芸の国の「厳島神社を再建せよ」との言葉に奮起・・・ご加護あって?
 栄耀栄華を極めた平家。
 平家を快く思わない 東国武士たちが打倒平家・・・・壇ノ浦での滅亡を辿る
   イイクニつくろう鎌倉幕府 1192年鎌倉幕府  歴史で習いました 

 頼朝は戦功のあった武士を地頭として配した これが 第一次のっとり
 日本一になりたい願望の皇族公家たち・・・後鳥羽上皇は鎌倉打倒計画・・・
  ・・・が失敗 ・・・隠岐の島へ
 西国武士の復活は夢と消え「承久の乱」以後 京方貴族、武士の地に
 新補地頭が登場
  相模から大江広元・ 駿河から吉川 駿河から熊谷 武蔵の国から小早川etcが
 第二次乗っ取りを始める
 毛利氏はなかなかの政治家  治山治水奨励し功績のあった者には
 子孫まで租税を免除などの思い切った政策をった 
   
輝元はあっちこっちと候補地見聞
    
田山へ登った時「見立て山」の立て札があったのを思い出しました
 う~ ここがいい!!と
 《広い島》のあたりに毛利輝元が築城 これが現在の広島城
 
 輝元は城下町造りをし 商人が集まり水路を利用し 流通が盛んになった
     紙屋町 鉄砲町 八丁堀 袋町 など今も残る地名 

 輝元は関が原で西軍に・・・家康に追われて萩へ失脚・・・
 福島正則は入城・・・・規模を拡大し 3代城主浅野長晟の時代にかけて
  比治山山麓の新開 山陽道 西国街道 町屋地区つくりなど待ち昨日が
    高められていった

    清盛さん 毛利さん 秀吉さん 徳川さんたちのお陰で
    発展してきた広島 多くの文化財も残る広島になりました
    県外生まれ( 広島在住33年)の私には興味ある・知る楽・でした
 
        
           先生が編集長の郷土史紀行 大盤振る舞い

  
  先生は ふじハイツにお住まい
  己斐朝日山神社は 元就が「厳島の合戦」のおり戦勝祈願をし 
  昇る朝日に勝利を確信したので 旭山神社と名づけられたそうです
     広島に転任して来た時 4年間 旭山神社の麓に住み 
          子供達の遊び場でした 180段の階段 しんどかった! 思い出