赤穂事件と広島・・・・広島城学芸員のはなし
義士祭の行われる12月に予定の講座 講師の都合により前倒し
浅野内匠頭の刃傷事件~以後の広島の情勢について
☆ 広島・三次・赤穂の三藩の浅野家は親戚関係にあり 広島藩が本家筋
本家の血筋を絶やさないために作られた三次藩の浅野家
その分家の血筋が絶えそうになり また本家筋からの縁組など交流をもつ
☆ 広島藩主 浅野長政の三男が赤穂藩主 浅野内匠頭
浅野長政の甥が三次藩主 その子阿久利が 内匠頭と結婚
☆ 刃傷事件勃発と広島藩の態度
刃傷事件では 直ちに赤穂藩の警護に向かうも 幕府の管轄に立ち入れず
大石内蔵助に穏便な城の開城を勧め(一つには広島藩の安泰の為)
これを見届ける
三次藩は 阿久利の身を藩の下屋敷に引きとった。
(赤穂藩内は あだ討ち派とお家再興派の激しい争い)
☆ 赤穂浅野家断絶後、大石内蔵助は浅野大学によるお家再興を目指す。
元禄15年に 大学が広島藩にお預けになり
再興を断念 吉良家討ち入りを決意。
☆ 犬公望綱吉の死去による恩赦で、舎弟浅野大学は 旗本になり江戸住まい
大石内蔵助の三男は母リクの里豊岡にあったが これも綱吉の死去により
また 内蔵助の叔父の計らいで 広島藩士に取り立てられた
講師はこの時代のエピソードも面白く語られた
・「忠臣蔵」に見られるように あだ討ち 討ち死の美談
内蔵助の偉大な人気に比して 三男・代三郎の評価はあまり
虚弱な体質とあいまって よきものが得られなかったらしい?
・ 刃傷じけんも 内匠頭の辛抱強さがなく 家系的に刃傷に及んだ事件が
いくつかあり 今で言う キレヤスイ性格であったらしい。
広島市内西区にある国泰寺に内蔵助の妻 リクと三男代三郎の墓があり
その所以で毎年12月15日には 義士祭として剣道大会などが行われている
今日の講座は 絵画教室の平和公園での写生会で学生が欠席
空席が目立ちました 寂しいかったです
○ 午後PC教室は 文化祭作品つくり
習い覚えた機能を使って 秋のすし御膳 の紹介デジュメつくり
周りのギャラリーから 面白いアドバイスあり 楽しいのができた!
○ 放課後は デジカメ講座
カメラからの画像を PCにとりこむ また修正するソフト使い方
これは手馴れているので 初めての人のお手伝いを少々。
三本たてで疲れたー でも今日は 主人が2泊3日のクラス会 大阪泊なので
私の帰宅はゆったり気分。
それにしても 日暮れが早く 学校でる5時過ぎは 暗くなっていました
秋の日の つるべ落としです