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2009年を振り返る

2009年12月31日 | 生活
ああ。毎年大晦日は一年の総括をするのだが、今年は今の今まで・・・つーか、今なお年賀状の印刷をしておりまして・・・紅白も横目でチラチラみるだけ・・・なんだか忙しい年末っす。
つーわけで今年を振り返っておこうか。

今年の漢字は「新」だったっけ・・・いやぁ私にとっちゃ全然違うなぁ。そんな前向きなものではなかったと思うなぁ。
漢字一文字で表すなら「混」?いやいや「壊」とか「滅」とか・・・

まぁ要するにこれまでの価値観が全てひっくりかえるような年だったと。
もっといえばこれまで築きあげてきたものが根底から否定されるような年だったということっす。

<仕事編>
2009年年初、私が勤めていたのは外資系の金融機関だった。そこでの仕事は銀行の支店担当の営業。つまり担当支店にお邪魔して自社の金融商品を売ってもらう営業だ。単に売ってくださいってだけではなく売り方の情報や他店あるいは他行の成約事例などを連携してプロモーションをしていくというもの。業界では「ホールセラー」という呼び方をしている。実は私はこの職をかなり気に入っていた。それなりの専門知識も必要だし難しい部分もあるのだが、銀行の方々を少しずつ懐柔していって最終的に様々な悩みを聞くようになる。そこから数字が伸びてゆくのが面白かったし何よりも自分のペースで仕事が出来るのがよかった。だから状況が許せばこの会社でずっとお世話になりたいと考えていた。
が、状況が許さなかったのだ。年初からかなり会社が苦しい状況であるのはよく知っていた。そりゃそうだわな。あのリーマンショックの直後、傷ついていない金融機関を探すほうが難しい状態だったのだもの。
社内でもいろいろ噂はあった。本国では私たちと同様のポジションの人間は給料半額にするか退職を迫られているだとか、日本は継続する予定だとか・・・本当に噂。
5月。本社に召集がかかった。今後の重要なミーティングだという。そこで伝えられたのは7月以降の新規契約の停止。日本にはこれまでの契約を管理する部門を残し実質的に市場から撤退と伝えられた。新規で契約しない=営業しない=営業不要=私たちはクビ・・・まぁある程度予想はしていたもののまさか全員とは。
でそっから就職活動・・・って5月の予定はもう入っちゃってたから5月いっぱいは仕事。6月から本格的に活動したけど・・・私の能力のせいもあってそうそう決まらない。
あてにしていたところも寸でのところで断られたり。労働市場には人はあふれているけどポジションは少ない。少数の募集に殺到するありさま。で・・・努力の甲斐なく失業。「時間が出来たら富士山でも登ってやろう」なんて思ってたけどそんな精神的余裕もなく・・・だって、家族食わせなきゃならないし。
で7月から8月中旬まで失業しました。失業手当ももらったしハローワークでいろいろ手続きしたりもした。
でもぶっちゃけ巷の失業率の数字見ても実感としてはそれ以上にいるよ、失業者。

で、結局今の会社に拾ってもらって今に至る。
これがまた全くの別業界。IT業界だって。もう信じらんねーよ。この私がITだなんて。正直金融の世界はかなりウエットな世界だった(少なくとも私がいた世界は)からね。
でも、拾ってもらったからには役に・・・立ってるのかな?いや立っているはずもなく。そうはいっても少しずつでも恩返しする必要はある。

ともかく仕事的にはそういう一年だった。

結局いろんな人に支えられていることもよくわかったし人の温かみを実感することができたよね。

<アメフト編>
これまた根底からひっくり返るような経験をした。
昨年末の新人戦でブロック優勝をして迎えた今年。なんと初戦で0-90という私のコーチキャリアで最大の惨敗をしてしまった。いや~ショックだった。しばらく立ち直れなかった。
それでも何とか形にして臨んだ春季大会の惨敗。

この二つがかなり私には大きなインパクトとなった。
これまでの考えを捨てて一から取り組んでます。マジで。具体的には言えないけど。

そしてもう一つ。

組織のありかたやチームの意義をもう一度見直す時期にきていることは間違いない。
う~ん、これも具体的には言えないけど・・・教育現場としての部活動というものと私たちスタッフの関わりだとか。もっともっと学校側にチームに対する理解を得ることや協力を仰ぐことが必要だと思っている。
私たち大人の事情で高校生の活動が十分なものでなくなってしまったり、大人の都合を押しつけるようなことがあってはいけない。
もちろん高校生だし学校の活動の一環として行っているのだから一定のルールの中で行う必要はあるが。





というわけで「崩」の一年(冒頭と違う?)だったが・・・
失業中には毎日学校に行っていたのは個人的にはよかった。基礎を固める重要な時期に毎日見れたし、私自身にしてみれば生活のリズムができた。練習行かないでいたらたぶんもっと荒んだ精神状態になっていたと思う。

父が他界した年もかなりいろんな経験をしたが今年もそれに匹敵する一年だった。

ま~人生それの繰り返しなのかもしれないけど。

来年私は「不惑」を迎える。
本当に惑わねーのかよ。

無理だべ。惑うって。

つーわけでまた来年。
みなさん本当にありがとうございました2009.