今日は令和3年3月3日です。しかもこのブログ開設6,000日目です。
おめでとうございます!!
そんな記念する日の背番号の話は、「8」になります。
小学生の頃、背番号「8」は各チームの主力だらけの番号でした。
“ミスター赤ヘル”山本浩二を筆頭に、ヤクルトは大杉勝男から広沢克己、
“ミスターロッテ”有藤通世、日本ハムは核弾頭・島田誠、
阪急は強打のスイッチヒッター・松永浩美、近鉄は“こんにゃく打法” 梨田昌孝、
そして巨人では高田繁から“若大将”原辰徳へ継承され、「8」だけでラインナップ組めそうでした。
何といっても5度の優勝を主軸として牽引した“ミスター赤ヘル”山本浩二でしょうか。
地元・広島からドラフト1位指名で入団し、背番号は「27」でスタート。
奇しくも同学年の衣笠祥雄が「28」を着けており、のちの“YK砲”が並んでいました。
首位打者1回、本塁打王4回、打点王3回の打撃タイトルを獲得し、
通算2339安打、536本塁打を放ち、球団初の永久欠番に制定されました。
史上初の日本シリーズ第8戦を終えて現役引退したのも何かの縁でしょうか。
その前に広島で「8」を背負っていたのは大毎“ミサイル打線”の主砲・“安打製造機” 山内一弘。
山内はプロ入り以来、阪神、広島と3チームで一環として「8」を背負っています。
山内以前にはプロ1年目から31本塁打を放って本塁打王と新人王に輝いた大洋の桑田武。3年目の61年には打点王となり、長嶋の三冠王を阻んでいます。
また、V9巨人に立ち向かい、二年連続で首位打者に輝き、王の三冠王を阻んだのが中日の江藤慎一。両リーグで首位打者に輝いていますが、セ・リーグの中日と大洋では「8」を背負っています。
山内を「8」はチームがロッテに変わって、有藤通世が継承。生え抜き選手とし球団初の2000本安打を達成しています。
その有藤が監督としてロッテを率いている時に“10・19”で対戦し、ラストシーンを演出したのが“こんにゃく打法” 梨田昌孝。
近鉄の連勝で優勝が決まるダブル・ヘッダーの第1試合の9回表に代打で登場し決勝タイムリーを放つも、第2試合の延長10回裏優勝がなくなった最後の守備でマスクをかぶっています。
その梨田は監督して近鉄という球団の幕引きに立ち会いますが、大阪ドームでの最終戦で選手にこう言い伝えます。
「胸を張って戦え。君たち全員が近鉄の永久欠番だ」と。
そして「8」と言えばV9のレフト“壁際の魔術師”高田繁。
明大からドラフト1位で入団し新人王。俊足巧打に加え、左翼手として鉄壁の守備を誇り、「(レフトの)高田線には草木も生えぬ」と、フェンスに当たった打球の予測が鋭く、長打コースの打球を単打に留めてしまうことから言われたものです。
レフトで4度のダイヤモンドグラブ、その後サードにコンバートされ2度のダイヤモンドグラブを獲得しています。
その「8」を“若大将”原辰徳が受け継ぎ、80年代の巨人の4番として382本塁打を放っています。
その後の各チームの変遷を見てみると
巨人では仁志敏久以降、谷佳知、片岡治大、丸佳浩と移籍したメンバー。
阪神も山内のように、田尾安志、片岡篤史、福留孝介と移籍の強打者が続き、
ロッテは今江敏晃、中村奨吾とチームリーダーが着用しています。
SSSBでは千両役者ゆうじさんが背番号8を背負っています。
やはり、こういうお祝いの日はゆうじさんが似合います。
でも、ゆうじさんは別の番号が良かったようで、その番号は決定済だったそうです。
その番号は何番だったのでしょうか?(笑)
参考記事
【背番号物語】
【背番号物語】広島#8
【背番号物語】近鉄#8
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おめでとうございます!!
そんな記念する日の背番号の話は、「8」になります。
小学生の頃、背番号「8」は各チームの主力だらけの番号でした。
“ミスター赤ヘル”山本浩二を筆頭に、ヤクルトは大杉勝男から広沢克己、
“ミスターロッテ”有藤通世、日本ハムは核弾頭・島田誠、
阪急は強打のスイッチヒッター・松永浩美、近鉄は“こんにゃく打法” 梨田昌孝、
そして巨人では高田繁から“若大将”原辰徳へ継承され、「8」だけでラインナップ組めそうでした。
何といっても5度の優勝を主軸として牽引した“ミスター赤ヘル”山本浩二でしょうか。
地元・広島からドラフト1位指名で入団し、背番号は「27」でスタート。
奇しくも同学年の衣笠祥雄が「28」を着けており、のちの“YK砲”が並んでいました。
首位打者1回、本塁打王4回、打点王3回の打撃タイトルを獲得し、
通算2339安打、536本塁打を放ち、球団初の永久欠番に制定されました。
史上初の日本シリーズ第8戦を終えて現役引退したのも何かの縁でしょうか。
その前に広島で「8」を背負っていたのは大毎“ミサイル打線”の主砲・“安打製造機” 山内一弘。
山内はプロ入り以来、阪神、広島と3チームで一環として「8」を背負っています。
山内以前にはプロ1年目から31本塁打を放って本塁打王と新人王に輝いた大洋の桑田武。3年目の61年には打点王となり、長嶋の三冠王を阻んでいます。
また、V9巨人に立ち向かい、二年連続で首位打者に輝き、王の三冠王を阻んだのが中日の江藤慎一。両リーグで首位打者に輝いていますが、セ・リーグの中日と大洋では「8」を背負っています。
山内を「8」はチームがロッテに変わって、有藤通世が継承。生え抜き選手とし球団初の2000本安打を達成しています。
その有藤が監督としてロッテを率いている時に“10・19”で対戦し、ラストシーンを演出したのが“こんにゃく打法” 梨田昌孝。
近鉄の連勝で優勝が決まるダブル・ヘッダーの第1試合の9回表に代打で登場し決勝タイムリーを放つも、第2試合の延長10回裏優勝がなくなった最後の守備でマスクをかぶっています。
その梨田は監督して近鉄という球団の幕引きに立ち会いますが、大阪ドームでの最終戦で選手にこう言い伝えます。
「胸を張って戦え。君たち全員が近鉄の永久欠番だ」と。
そして「8」と言えばV9のレフト“壁際の魔術師”高田繁。
明大からドラフト1位で入団し新人王。俊足巧打に加え、左翼手として鉄壁の守備を誇り、「(レフトの)高田線には草木も生えぬ」と、フェンスに当たった打球の予測が鋭く、長打コースの打球を単打に留めてしまうことから言われたものです。
レフトで4度のダイヤモンドグラブ、その後サードにコンバートされ2度のダイヤモンドグラブを獲得しています。
その「8」を“若大将”原辰徳が受け継ぎ、80年代の巨人の4番として382本塁打を放っています。
その後の各チームの変遷を見てみると
巨人では仁志敏久以降、谷佳知、片岡治大、丸佳浩と移籍したメンバー。
阪神も山内のように、田尾安志、片岡篤史、福留孝介と移籍の強打者が続き、
ロッテは今江敏晃、中村奨吾とチームリーダーが着用しています。
SSSBでは千両役者ゆうじさんが背番号8を背負っています。
やはり、こういうお祝いの日はゆうじさんが似合います。
でも、ゆうじさんは別の番号が良かったようで、その番号は決定済だったそうです。
その番号は何番だったのでしょうか?(笑)
参考記事
【背番号物語】
【背番号物語】広島#8
【背番号物語】近鉄#8
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