最近はすっかりツイッターに移行してしまってブログ放置気味です、とか書けばトレンディー(古)に見えると思ってしばらく放置してみました。いや確かに毎日つぶやいてはいるんだけど、ぼくはgooブログの田舎臭さみたいなものが好きなんですわ。
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さて。先月12~14日にかけて、「三連休おでかけパス(特急用)」(¥18000)で道東・道北方面へ出かけておりました。観光メニューとしては釧路湿原、オホーツク海の流氷、宗谷岬などがあったのですが、(結論から書いてしまうと)この旅で強く感じたのは「世界遺産とかテーマパークとか、観光地目当ての旅などもういらない。地方都市の現状を自らの目と耳と足で体験するほうがよっぽどリアルで、人生を豊かにする」ということでした。
そこで以下、今回視察した道内地方都市の現状をその特徴とともに書き残してみようと思います。ちなみに旅程表はこんなかんじ↓
-DAY1
札幌→釧路→根室→釧路
-DAY2
釧路→網走→北見→遠軽→旭川→名寄
-DAY3
名寄→稚内→札幌
ひとつずつ見ていきましょう。
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・釧路
駅ビルに光る「STATION DINER 946」のネオンサイン。バスロータリーを挟んで放射線状に道路が伸びており、道路の向かい側にはビジネスホテルと学習塾がある。街頭スピーカーからは「咳エチケット」などの呼びかけ。メインストリートの北大通(きたおおどおり)を、釧路川にかかる幣舞橋まで歩いてみる。
まず、とにかくシャッターが目立つ。見るなと言われても目に入ってしまうレベルで、奥にいけばいくほどひどい。歩いたのが夜七時頃で、通りには青系のイルミネーションが川べりまで連なっていたが、店舗としてはドコモショップ(煌々としている)と古本屋(豊文堂書店。暖色系)の明かりがある程度で、ダイソーですらシャッターは閉ざされたままだった。道内では有名なプレイランド・スガイビルももぬけの殻。HUSH PUPPIES(靴屋)は健在だった。釧路川を越えると円形のロータリー、丘の上には生涯学習施設が立ち並ぶ。橋のふもとには観光案内のブースがあり、ラッコのクーちゃんの特別住民票を配布していた(もう閉まっていたが)。
駅方面に向かいつつ、繁華街・末広町へ。この日は金曜日で、夜の街はまずまずの活況を見せていた。中心地にコンビニ(セイコーマート)が二軒あって、お水の買い物客がほとんどだった。札幌らーめん博物館への出店経験もある「河むら」で昔風らーめん(¥650)を食べ、駅前のホテルに戻った。
・根室
乗換時間の都合上、駅前しか回れなかったので割愛。
・網走
繁華街はひとつ隣の桂台駅との中間にあるらしい。こちらも駅前しか見られなかったので割愛。駅は予想以上にこじんまりとしており、駅前にはローソン、東横イン、ルートイン。
・北見
ひとつ手前の柏陽は北見北陽高校の最寄駅。車内および降車客にはジャージ姿の学生も多かった。しかし北見駅で降りたところで、若者が遊べそうな場所は見当たらない。
駅前には東急百貨店があったが、現在は自治体運営と思われるショッピングモール「Parabo」が入っている。国道を挟んで「北見しんきん」の大きなビル、ここ数年で建てられた模様。国道に平行して二本の商店街が走っている。手前側(一番街)はコミュニティショップあり、雑貨屋あり、若者向けのブティックありといった感じだが、「新しい出逢いの街」と銘打たれた二番街は6割強がシャッターで、あとは医院・薬局、マッサージ店など。「移転しました」と張り紙をするテナントもあって、駅に近い一番街に店舗を集中させている印象を受けた。
二つの商店街を縦に踏み越えて進むと繁華街へ。夜のお店の看板も。釧路に比べれば小規模だが、目を覆うほどの状況ではないように感じた。
・遠軽
高度成長期、隣の北見はハッカの栽培で栄えたが、遠軽はそれに加えて林業が盛んだった。衰退の度合いは激しいとしばしば聞いていたが、駅前の様子は思ったほど寂れてはいなかった。もうとうに寂れきったといったほうが正確かもしれない。
駅から200mほどまっすぐ進むと国道に出る。パチンコ店がいくつか、ひとつは潰れている。新しい店舗はクリーニング店が目立つ程度で、かろうじて老舗の家具店が営業していた。駅左手の商店街「ゆうあい通り」。土曜日のため閉まっている店もあるが、シャッターは6割ほど。ブティック、メガネ店が一軒ずつと、鉄板焼きなどの飲食店がちらほら。武部勤のポスターだけがビビットな印象を与える。
隣の「岩見通商店街」。通りの端、駅に一番近いとろこに、除雪もされず入口が白く埋まった廃病院がある。ネームプレートの痕から「遠軽中央病院」と読める。駅そば店の店主(♀、75歳)によると、院長(氏を池内という)には三人の息子がおり、いずれも医者になったが、片田舎の病院を継ぐ意思はなく、街に出た。長男が結婚を機に遠軽に戻ることを考えたが、都会育ちの妻はこれを頑なに拒否。長男は自殺、院長も鬼籍に入り、病院はそのまま放置されている。
駅そば店は1941年開店。現店主は三代目という。
・名寄
豪雪地帯で知られ、雪質日本一を謳う。駅前から、JRの線路と並行する国道を右折し、200mほど歩くとコンビニが二軒。そこから縦に商店が並んでいる。来訪時には「なよろ雪質日本一フェスティバル」なる催しが近くのグラウンドで行われており、世界各国のクリエイターによる雪像展示のほか、会場はスノーボードなどの景品があたる抽選会で盛り上がっていた。名寄出身の知人によると「内輪で盛り上がるのが好き」な人種とのこと。抽選会中、「オレオレ!」「こっちこっち!」と両手をあげてアピールする名寄市民、ノリよすぎだぜ!
・稚内
昨年、すき家とマクドナルドが出店し、話題となった都市。日本最北端・稚内駅の周辺は再開発事業が進められている。この記事によると、《駅前に広がる同市中央地区には市役所や金融機関、病院、商店が並ぶ。都市機能が集中し、近くには港もあるため、古くからにぎわってきた。しかし、水産業の不振や郊外型大型店進出などの影響で衰退。観光客も中心部には少なく、商店街には閉じたシャッターが目立つ》といった状況とある。しかし釧路や北見に比べれば、元々の都市の規模が小さいぶん、それほど「シャッターが目立つ」という印象はなかった。
さて、すき家やマクドナルドのある国道40号線はどうか。結論を言えば、両社の出店は「なんてことはない」。そこにはすでにロッテリアがあり、ミスタードーナッツがあり、ケンタッキー(南稚内駅前)があった。つまり上の二社はただの「最後発」だったのである。今回はマクドナルドで昼食をとった。3時頃に来店したのだが、客の入りは上々の様子。人口3万人台の小都市ながら競合するファストフード店の数は関東の地方都市並みのレベルにあるのは、札幌から離れすぎているぶん商圏が独立しているためとみられる。このことは、シャッターがそれほど目立たない、という印象とも重なる。
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以上、長々とレポートしてみました。
全体を通しての感想を一言で述べるならば、冒頭で紹介したとおり「世界遺産とかテーマパークとか、観光地目当ての旅」よりも「地方都市の現状を自らの目と耳と足で体験する」ことの重要性に目覚めた、ということに尽きます。これまでも日本全国の地方都市、特に県庁所在地の駅前や商店街を歩いてきましたが、そこには必ず「人」がいて、何がしかの「歴史」がある。観光ガイドにも学校の教科書にも載らないけれど、地元の人びとだけに共有された「記憶」がある。そういうものをお裾分けしてもらうことが、私にとっての旅の目的となりつつある。そんなことを悟るための三日間でした。
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さて。先月12~14日にかけて、「三連休おでかけパス(特急用)」(¥18000)で道東・道北方面へ出かけておりました。観光メニューとしては釧路湿原、オホーツク海の流氷、宗谷岬などがあったのですが、(結論から書いてしまうと)この旅で強く感じたのは「世界遺産とかテーマパークとか、観光地目当ての旅などもういらない。地方都市の現状を自らの目と耳と足で体験するほうがよっぽどリアルで、人生を豊かにする」ということでした。
そこで以下、今回視察した道内地方都市の現状をその特徴とともに書き残してみようと思います。ちなみに旅程表はこんなかんじ↓
-DAY1
札幌→釧路→根室→釧路
-DAY2
釧路→網走→北見→遠軽→旭川→名寄
-DAY3
名寄→稚内→札幌
ひとつずつ見ていきましょう。
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・釧路
駅ビルに光る「STATION DINER 946」のネオンサイン。バスロータリーを挟んで放射線状に道路が伸びており、道路の向かい側にはビジネスホテルと学習塾がある。街頭スピーカーからは「咳エチケット」などの呼びかけ。メインストリートの北大通(きたおおどおり)を、釧路川にかかる幣舞橋まで歩いてみる。
まず、とにかくシャッターが目立つ。見るなと言われても目に入ってしまうレベルで、奥にいけばいくほどひどい。歩いたのが夜七時頃で、通りには青系のイルミネーションが川べりまで連なっていたが、店舗としてはドコモショップ(煌々としている)と古本屋(豊文堂書店。暖色系)の明かりがある程度で、ダイソーですらシャッターは閉ざされたままだった。道内では有名なプレイランド・スガイビルももぬけの殻。HUSH PUPPIES(靴屋)は健在だった。釧路川を越えると円形のロータリー、丘の上には生涯学習施設が立ち並ぶ。橋のふもとには観光案内のブースがあり、ラッコのクーちゃんの特別住民票を配布していた(もう閉まっていたが)。
駅方面に向かいつつ、繁華街・末広町へ。この日は金曜日で、夜の街はまずまずの活況を見せていた。中心地にコンビニ(セイコーマート)が二軒あって、お水の買い物客がほとんどだった。札幌らーめん博物館への出店経験もある「河むら」で昔風らーめん(¥650)を食べ、駅前のホテルに戻った。
・根室
乗換時間の都合上、駅前しか回れなかったので割愛。
・網走
繁華街はひとつ隣の桂台駅との中間にあるらしい。こちらも駅前しか見られなかったので割愛。駅は予想以上にこじんまりとしており、駅前にはローソン、東横イン、ルートイン。
・北見
ひとつ手前の柏陽は北見北陽高校の最寄駅。車内および降車客にはジャージ姿の学生も多かった。しかし北見駅で降りたところで、若者が遊べそうな場所は見当たらない。
駅前には東急百貨店があったが、現在は自治体運営と思われるショッピングモール「Parabo」が入っている。国道を挟んで「北見しんきん」の大きなビル、ここ数年で建てられた模様。国道に平行して二本の商店街が走っている。手前側(一番街)はコミュニティショップあり、雑貨屋あり、若者向けのブティックありといった感じだが、「新しい出逢いの街」と銘打たれた二番街は6割強がシャッターで、あとは医院・薬局、マッサージ店など。「移転しました」と張り紙をするテナントもあって、駅に近い一番街に店舗を集中させている印象を受けた。
二つの商店街を縦に踏み越えて進むと繁華街へ。夜のお店の看板も。釧路に比べれば小規模だが、目を覆うほどの状況ではないように感じた。
・遠軽
高度成長期、隣の北見はハッカの栽培で栄えたが、遠軽はそれに加えて林業が盛んだった。衰退の度合いは激しいとしばしば聞いていたが、駅前の様子は思ったほど寂れてはいなかった。もうとうに寂れきったといったほうが正確かもしれない。
駅から200mほどまっすぐ進むと国道に出る。パチンコ店がいくつか、ひとつは潰れている。新しい店舗はクリーニング店が目立つ程度で、かろうじて老舗の家具店が営業していた。駅左手の商店街「ゆうあい通り」。土曜日のため閉まっている店もあるが、シャッターは6割ほど。ブティック、メガネ店が一軒ずつと、鉄板焼きなどの飲食店がちらほら。武部勤のポスターだけがビビットな印象を与える。
隣の「岩見通商店街」。通りの端、駅に一番近いとろこに、除雪もされず入口が白く埋まった廃病院がある。ネームプレートの痕から「遠軽中央病院」と読める。駅そば店の店主(♀、75歳)によると、院長(氏を池内という)には三人の息子がおり、いずれも医者になったが、片田舎の病院を継ぐ意思はなく、街に出た。長男が結婚を機に遠軽に戻ることを考えたが、都会育ちの妻はこれを頑なに拒否。長男は自殺、院長も鬼籍に入り、病院はそのまま放置されている。
駅そば店は1941年開店。現店主は三代目という。
・名寄
豪雪地帯で知られ、雪質日本一を謳う。駅前から、JRの線路と並行する国道を右折し、200mほど歩くとコンビニが二軒。そこから縦に商店が並んでいる。来訪時には「なよろ雪質日本一フェスティバル」なる催しが近くのグラウンドで行われており、世界各国のクリエイターによる雪像展示のほか、会場はスノーボードなどの景品があたる抽選会で盛り上がっていた。名寄出身の知人によると「内輪で盛り上がるのが好き」な人種とのこと。抽選会中、「オレオレ!」「こっちこっち!」と両手をあげてアピールする名寄市民、ノリよすぎだぜ!
・稚内
昨年、すき家とマクドナルドが出店し、話題となった都市。日本最北端・稚内駅の周辺は再開発事業が進められている。この記事によると、《駅前に広がる同市中央地区には市役所や金融機関、病院、商店が並ぶ。都市機能が集中し、近くには港もあるため、古くからにぎわってきた。しかし、水産業の不振や郊外型大型店進出などの影響で衰退。観光客も中心部には少なく、商店街には閉じたシャッターが目立つ》といった状況とある。しかし釧路や北見に比べれば、元々の都市の規模が小さいぶん、それほど「シャッターが目立つ」という印象はなかった。
さて、すき家やマクドナルドのある国道40号線はどうか。結論を言えば、両社の出店は「なんてことはない」。そこにはすでにロッテリアがあり、ミスタードーナッツがあり、ケンタッキー(南稚内駅前)があった。つまり上の二社はただの「最後発」だったのである。今回はマクドナルドで昼食をとった。3時頃に来店したのだが、客の入りは上々の様子。人口3万人台の小都市ながら競合するファストフード店の数は関東の地方都市並みのレベルにあるのは、札幌から離れすぎているぶん商圏が独立しているためとみられる。このことは、シャッターがそれほど目立たない、という印象とも重なる。
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以上、長々とレポートしてみました。
全体を通しての感想を一言で述べるならば、冒頭で紹介したとおり「世界遺産とかテーマパークとか、観光地目当ての旅」よりも「地方都市の現状を自らの目と耳と足で体験する」ことの重要性に目覚めた、ということに尽きます。これまでも日本全国の地方都市、特に県庁所在地の駅前や商店街を歩いてきましたが、そこには必ず「人」がいて、何がしかの「歴史」がある。観光ガイドにも学校の教科書にも載らないけれど、地元の人びとだけに共有された「記憶」がある。そういうものをお裾分けしてもらうことが、私にとっての旅の目的となりつつある。そんなことを悟るための三日間でした。