フリーターが語る渡り奉公人事情

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人口調節としてのフリーター?

2005-12-25 23:14:12 | 歴史
 生態学的・進化論的に見て、ヒトには天敵がいない。それゆえに、戦争という人口調整の手法がある。こういった議論が、生物学者の一部にはある。
 ほかにも人口調整の手段がある。生活がかつかつの層を作り上げることである。
若いうちに命を落とす蓋然性が高く、再生産もかなわぬグループを作ることである。(戦争と困難グループ形成との関連性は、「フリーター(または引きこもり・ニート)に徴兵制を」という主張にも暗示されている。)
 これは、地球の生態系という全体を考慮したときに、正しい。しかし一方で人道的・宗教的には悪である。
 
 フリーターとしてのわたしは、失業者や半失業者を作ることによって人口を調整することには反対だ。人権? 人道? 利害? 何よりもそれが傲慢の罪だからだ。
 哺乳類ばなれした哺乳類としてのサル類は、樹上を生活の場とした。そこは食料が豊富で、天敵は少ない。そこで人口調整の手段としては、子ごろしや同種間の共食いを生み出した。あるいは、寄生虫にやられることでも人口調整を行っている。片や人間は、老人を捨てる姥捨てや間引き、それに戦争を作り上げた。そのほか、階級・階層・身分というものを発明し、性や人種、その他のグループによって得られる栄養や文化的な栄養とも言える教育に格差をつけ、乏しい状態の人々をつくりが得ることにしたのではないか?--これがわたしの問題提起である。

 しかし、もしそうだとしても、それにわたしは反対する。人口調整は、エマージングウイルスなどの自然発生的なやり方によって調整されねばならない。人間は、競争や闘争のほかに、協力や共生といった方向性をもっている。誰の中にも差別へ志向と平等志向の双方が存在している。あまりにも殺伐とした環境が実現すると、人権・人情・人格尊重の感情や考えが強まり、行動となって現れる。
 新型インフルエンザウイルスなどのエマージングウイルスが現れたとき、人類は治療法や予防法、拡散を防ぐための公衆衛生などを必死につきとめ、普及させるべく努力をするべきだ。そういう意味ではウイルスと闘っていいのだ。
 それでも、ワクチンや治療もおよばず、亡くなるグループも出るだろう。いたましいことだ。それでいいとか、全体のために個を犠牲にして尊いとする合理化・美化は必要ない。死んでもいいのは、そうして人間同士の助けあいが残念ながら及ばなかった不運の人々だけでいい。
 間引きは、いたしかたがないと思う。個体が危機的状態にさらされた場合、子孫繁栄よりも固体保存の法則が優先するからだ。
 姥捨てについては、よくわからない。
 しかし、生きるのが困難になるグループを政策的に作り上げて人口を調整することは許されない。
 なぜならば、人間は自然から進化してきた。天敵の少ない、食べ物の種類と量の豊富な環境みざして適応放散し、進化してきたわけだ。
 そのなかで、各種の人口調整法を編み出した。
 すべてをヒトの手によって意図的にコントロールできるとするのは、とんでもない錯覚である。いくら科学技術が進歩しても、必ず予期不能の自体は到来するだろう。そのとき、最善を尽くすべきだ。にもかかわらず、悲劇は起こるだろう。それは自然または神のなせる業である。人間は、思いあがって一部のグループの完全切捨てによる人口調節を目指してはいけない。それは、自然(神)によってのみ達成されるのである。
 仮にそれができると主張する勢力があるとすれば、偽救世主である。相手にしては破滅の元である。
 人間が、互いに似通った存在であると同時に違った存在であると信じられること。違いが決して恥辱と傲慢に二極分化しないこと。互いに助けあい支えあい、信じあって生き、信頼のなか息をひきとれること。
 ともに生きいきと存在できる世界を殺す人口調節はーーつまり切り捨てて当然のグループとしての階級・階層・身分確定の政策はーーそれゆえに間違っている。

 身分社会を作り上げたい人々は、それがみなのためになると主張するだろう。そうして人類はやっと生きてゆけると言うにちがいない。
 しかし、ヒトはヒトだけで生きていない。地震などの自然災害の破壊力は大きい。たいていの場合旧型ウイルスよりも感染性が強く、症状も強く出て、死亡率も高いエマージングウイルスは脅威である。それらが地球の人口を調節してくれる。
 そもそも、全体を優先するのならば、人類が滅びたって他の生物にとっては関係ないか好都合かもしれないではないか! 人類の特定のグループ(優位にある性・人種・身分・階層等)の利益を、人類全体の利益や地球の生命の利益だと僭称してはならない!
 もしもフリーターが地球の人口調節のためにあつらえられたグループだとしたら、それは断る。わたしたちはわたしたちの運命を決める権利がある。もし倒れるのだとしたら、貧困と恥辱と世間から忘れ去られる抹消の中ではなく、尊厳ある死ーーということは同時に尊厳ある生ーーを生きる権利がある。
 病気や、自然災害や、寿命によってあの世に行くことはいい。しかし、政策担当者の生態学的全体主義による恣意的な政策の犠牲になることだけはまっぴらごめんだ。それはまた、人間の条件の切り下げにもなる。生き残る他のグループにとっても、生は息苦しく欺まんと偽善に満ちたものになるだろう。
 なお、同じ理由によって、戦争も許されない。ヒトとヒトとの信頼関係を、人と自然との関係を必要以上に断ち切るか悪化させるからだ。フリーターやニートを直すために徴兵制?! 戦争神経症とPTSDの欲しい人は誰なのか? 精神科医か精神分析医か、仁義なき改革マニアだろうか。

 文明批評家イバン・イリイチは、ユダヤの古い話を紹介している。この世を支える7人の人がいる。ひとりが欠けるとすぐにもう一人が表れる。その7人は、自分が世界を支えていることを知らない。そのことを知るとその人は亡くなり、かわりにもう一人の世界を支える者が表れる。

 もう大丈夫と思ったころに火山の大噴火があり、突如出現した新型ウイルスがまだ抵抗力のついていない人々の死神となる。そう、大丈夫なのだ。人工的に人口を調整しようとしなくても、何かのおりに人はあの世へみまかる。人工的にすみわけを設定しなくても、人は自分にとってすみよいところへと移動する。
 政治がなしうるのは、それをさまたげないことだけではないだろうか。
 フリーターは景気の調節弁でもなければ、人口の調節弁でもない。一人一人の人格であり、人生である。わたしたちも東大やハーヴァードを出たえらいさんと同じ人間なのである。
 それが完全に信じられない世界に、わたしは住みたくない。読者はどうか? 
 偽精神医学は「拒絶的な態度が強すぎる」と説教するだろう。だが、医療はそこまで口を出すべきではない。善悪の判断、どう生き、どう死ぬかということがらの決定は本人または親しい他者の決定事項である。戦争や階層分極化といった政策に貢献するか、それともそれらに対して「拒絶的な態度」を示すのか。
 失業でうつ状態になり、洗脳まがいの情報に満ちたマスコミや戦中の内務班に似ている世間(世論?)の圧力で、精神科の門を叩いた若い人がいる。
 このとき医者はどうすべきか。軍隊をすすめるか。パキシル(抗うつ剤)づけにして化学的にいじるのか。カウンセリングで心をいじるのか。それとも、職場の問題や人口調整の歴史と方法について対話により解釈ーー唐詩では心の苦しみをとりさることの意ーーをするのか。
 世間はどの立場を支持するのか。

 わたしたちの運命を、特定のグループの手に渡してはいけない!

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