フリーターが語る渡り奉公人事情

ターミネイターにならないために--フリーターの本当の姿を知ってください!

回想ーー日雇い派遣ワールドの人々

2007-03-11 00:34:36 | 歴史
(これはミキシーのわたしの日記からの転載です。)

最近、とある全国紙の記者さんから取材を受けた。

ちゃんと相手の質問に答えられなかったり、話題がそれたり迷惑おかけしたのでは? と後から心配になってしまった。

そのほか、20代初頭からいろいろなアルバイトを少なくとも80社以上でやってきた(主に日雇い・派遣)ことを思い起こした。

つらいこと、それに何も考えられず生き延びるために段々体力が減り、自分が心身ともに壊れていったことを思い出す。
たとえ一日とか一週間・一ヶ月とはいえ、いっしょに働いた人たちは今どうしていはるのだろう?

あるフリーターの男性は、親と折り合いが悪かった。無理を重ねて一人暮らしをしていた。そこは、歴史的に被差別の住む地区だった。たぶん意図的に再開発計画から外された地区だ。京阪神圏の孤島ともいうべき辺鄙で不便なところに彼は住んでいた。

交通事故の後遺症で働けなくなってしまった女性もいた。彼女の場合も家族とは疎遠だった。だから一人暮らしをしているのに、家族や親類が裕福だという理由によって役所は、生活保護の申請を却下していた。
彼女は彼氏との別居問題でもそうとう苦労をしていた。 おそらく生活苦から、互いを責めあって、別居に至ったようなところもあった。
音楽教室の教師をしている彼女は、生徒のうち貧しい子を「くさい」と言って非難
攻撃していた。やめるようにとわたしのほうから言っても、聞き入れなかった。
貧しき者の悲しさである。

生活保護だけでは生活が苦しすぎると言って、日雇いの倉庫内作業にやってきていた女性もいた。見つかって罰されたりしていないだろうか。

服装や髪型が悪いと言われて一日も働かないうちに家に帰された十代後半の女の子もいた。
親・兄弟に何て報告したのだろうか。
会社のほうが違法をやっていると今は知っていることを望む。

ああ、ほかにもずいぶんたくさんのいろいろな人たちがいた。

今はもう体力切れで放逐されたも同然だけれど、今でも荷物運びの仕事に行きたいと思うことがある。時折、とてつもなく懐かしく感じる。
冷暖房もなく、人からはさげずまれ、賃金もロクなものではなかった。腰を痛めて痛み止めを乱用せざるをえない時期もあった。
それでもいっしょに働いた人たちはみんないい人たちだった。ひたむきに生活のために一生懸命働いていた。
ホワイトカラー風の「礼儀」とか、特定の符号のようなものが分からなければ誰かをののしり排除するといった悪習はなかった。
よけいな体力があまっていないからか、陰険で悪辣ないじめの発生率も低かったように思う。

妙に事務能力が高くないためか、人をだましたり、のせたりする人も少なかった。
そのときそのときを懸命に生きていたし、働いていた。

誰が派遣会社のブラックリスト(労働者派遣法では違法)に載っているだろうか? 誰が仕事を干されているだろうか? 誰がうつになったり、自殺したりしているだろうか?

偶然、短くてもしんどい作業に従事し、不安定に耐えた人たち。疲れで崩れ落ちそうになるとき、互いに声をかけあって励ましあった誠実な人たち。体を削る仕事にそれでも勇敢に立ち向かう人たち。

まあ、中には密告なんかをするひどいやつもいたけれど。
いじめをあおっている困ったグループもいたけれど。
派閥抗争に巻き込まれて迷惑したこともあったっけ。

だけど、こういう人たちが幸せになれる世のなかを作っていければなあと思ってしまう。

付記

こういう関係をさして、「本当の人間関係ではない」と熊沢誠さんはおっしゃった。
地域密着ではないし、ネットを通じて見つけた職だから。それにインターネットを通じた関係になるから、というのがその理由だ。
携帯を通じて見つけた派遣の職場で一日にせよいっしょに働いた人たち。自分にとっては世のなかの一端を見せてくれた師匠のようなものだ。
それをエライさんは否定する。侮辱する。喫茶店で大声でひびく声で人に恥辱をくわえる。
たぶんそれが面白いのだろう。

だけど、わたしにとっては大事な、大切な関係だ。
それが携帯やPCから見つけた職で、荷物をひたすら運んで疲れ果てる作業を通じてのものでも。ほとんど会話らしい会話をする余裕もない超疲労世界の同僚だとしても。
わたしのリアリティは地域ではなく、広域のペリフェラル・ワーカーらとともにある。

(2007・13.11 蛇足部分を削除しました。)



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2 コメント

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日雇いに戻りたいと言う立場 (ワタリ)
2007-03-11 00:49:02
自己ツッコミになります。

懸命な読者なら、もうお気づきでしょう。
わたしの20代が日雇い派遣の日々でおおわれていたことを。
倉庫内作業が懐かしいと言わざるを得ない、つまり他の世界にーーホワイトカラーや正社員の職場にーーなじんだ経験がないことを。
つまり、あらかじめ未来を奪われた世代の苦難がそこにあるということです。
そして、それはわたし個人の問題ではなく、釈迦イン問題だということです。日雇いしか戻りたい世界がないということは。
これが日本の現実 (トラトラトラ)
2007-03-11 10:32:35
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion13.htm
http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/
この国も第2次世界大戦みたいになっちゃってるんだね
最後に馬鹿を見るのは国民だ!!