このブログで言いたいこともあらかた書いてしまった。これほど長く日本語の文章を書く力が自分にそなわっているとは、自分でも驚く発見だった。
意見をきかれることなど考えられないフリーター生活のなかで、自分にはもう公の場で情報を発信する力などない、特に正社員の大学卒のホワイトカラーの人たちに届く声などないと、半ば決めつけていたことに気がついた。ところが、いろんな年齢や職業の方からコメント・トラックバック・メールで連絡をいただいた。自閉症の子をもつ親御さん、同じアルバイトやパートの方、正社員の方、引きこもっている人、ニートの人、いろいろな人と意見を交換することができた。なかには情報生産業の方までいらして、これにはビックリした。
幼稚園受験も小学校受験もすべって、中学校受験はやらせてもらえなかった自分が、これほど多様な人々と語り合う言葉を隠しもっていたとは!
多分、情報が出たのは、ほんのわずかだが通ったフリースクールのおかげだろう。そこでは、子どもたちのミーテイングによってカリキュラムや行事が組まれていた。兵庫のフリースクールに少しだけ通ったが、そこではスタッフ(通常の学校の先生)を雇うときに子どもの面接があった。子どもたちがNOと言えば、その人は雇われない。つまり、子どもたちに拒否権があるのだった。
そこで、意見を言うことが奨励されていた。はじめは何を言えばいいか、どの提案に賛成すればいいのか、さっぱり分からず悪戦苦闘した。別の意見の持ち主と顔をつきあわせるのを苦痛に感じたこともあった。それでも、その対立や齟齬をうめたり、互いに尊重しあったりするここちよさも学んだ。意見と人柄が違うということも、寮に入っての共同生活によって多面的につきあうことによってよく理解できた。
徹底した民主教育・自由教育が、わたしに開放のための文化行動を起こす回路を開いてくれた。
また、そこは「知識よりも感情(A・S・ニールの本のタイトル)」を重んじる場だった。もしわたしが知識優先の学校教育を受けていたら、「わたしよりも頭がよくてよく勉強している人はごまんといる。わたしが何か言ってもムダだ。客観的に見てそうなのだから、何かを訴えても仕方がない」と諦念し、沈黙を保っていただろう。そして、自分よりも失業期間の長い人を見つけて、自分の自己否定の感情にも気がつかないまま相手を責めたりなじったりしていたかもしれない。ただ正社員になろうとしてばかりで、社会のシステムについて考える能力が「無能化(イリイチ)」されていたかもしれない。
そうした、いわば去勢された状態にならなかったのは、自分を知ることを大切にして、世間体など気にするなとはげましてくれるフリースクールスタッフのおかげであった。あるいは、価値観をほぼ同じにする不登校親の会の関係者のおかげである。
もしあのまま通常の学校や大学に通っていたら、わたしは不正に反対できないネオコン礼賛の人になっていたかもしれない。ちょっと交換価値が下がれば、使用価値もないと感じたり、危ないことに存在価値までないと信じ込むような短絡的な人になっていたかもしれない。そうならなかったのは、脱学校あってのことである。不登校という選択が、フリーターへの差別に反対する今のわたしの実存を作ったのだった。
ところで、このブログについて、ある掲示板にて興味深いご批判をいただいたので、この場で答えておきたい。
オリジナリティがない、というものだった。あなた自身の発見ではない、他人の発見・言及にオンブにダッコではないか、ということだ。
それについては、
1.これまでの発見を重ねると見えてくるものがある。ジグソーパズルを組み立てるようなものだ。この手のやり方で、シーア・コルボーンたちは環境ホルモンを発見した。
2.脱原発運動の主張においても、「脱原発系の学者の言うことは他人の発見の引用だらけ。オリジナリティがない」とする原発推進側からの批判があった。それに対して反対側は、誰の発見であっても科学的な発見は発見だと切りかえしている。わたしもこの立場をとっている。
3.オルジナリティは絶対なのか? 伝統芸能ではオリジナルは排除されるが。
4.そもそも動物学者志願だったブロガーでもあるわたしが、なぜ文系の大学人のようなルールに従う義理があるのか分からない。これは「当事者学」ではない。
の4つを反論としたい。
次に、メールをいただいたのだが、「ワタリさんは専門家ではないでしょう」というご意見について。
わたしは専門家を妄信していない。
どちらかといえば、フリーターに関するlay exspert(専門家ならざる専門家)http://www.atom-fukushima.or.jp/kentoukai/kentou-gaiyou/kentou-2.htmになりたいと思う。労働経済学者がフリーターについて分からないことがあれば、わたしのところに連絡・相談しにくるような存在になれればいいと思っている。科学者の共同体の外にいるからこそ見えてくる視点がある。せっかく登校拒否を体験したのだから、せっかく大学を出ていないのだから、その視点を大切にしたいと考えている。(7月25日リンク先追加しました。)
もうひとつ、じかに会った方から伝えられて、返答に詰まったのにこんなのもあった。
「不当にフリーターを代表している」「フリーターを美化している」
その方は、たいへん不愉快そうに、怒ったような調子でそうおっしゃった。また、神経質で狭量な優等生タイプの人でもあった。
そのことを鑑みるに彼は、いまどきの日本の中産階級的な価値に反するものを、部分的・表面的にはともかく、総合的には認めたり肯定したりしたくないのだ、とうかがえた。
わたしはフリーターを代表してなどいない。フリーターもひとりひとり違って当然、正社員にしか分からない視点もあって当然。そのなかの一つの情報がこのブログだと考えている。
二つ目の批判は、おっしゃる意味が分からなかった。フリーターに関する悪口でも読みたいのなら、論壇誌「諸君」や「正論」(ともに保守反動系の月刊誌。若者叩きの記事がよく掲載される。)をどうぞ、としかいいようがない。また、仮にも人様に文章を読んでいただく以上、化粧をするのは当然ではないだろうか? つまり、多少の美化は多めにみろ、ということだ。これは常識の問題だ。口紅とまゆずみを描いただけで「不自然だ、素顔のあなたじゃない!」とか何とかキレられても何だか……。
さらに、これまでさんざ否定的・同情的な情報が語られてきたフリーターの一人が、なぜ徹底集中して肯定的な情報を発信してはいけないのか? ほんのわずかの立場の偏りにも耐えられないのは優等生的な潔癖主義としか言い様がない。あるいは、彼は内心、フリーターを肯定したくないけれど、肯定的なエピソードや解釈や歴史・伝統を示されたので、にわかに反論もできず混乱しているのだろうか?
わたしとしてはそう考えたのだが、読者はどうだろうか?
(2005.7.12訂正)
それから、こんなひどい意見もあった。「あなた(たち)は、不幸自慢、不幸競争をしている」というものだった。
彼は、フリーターのほかホームレス、身体障害者、引きこもりなどを一括して弱者と一くくりにして呼んでいた。それで、寄せ場や福祉の現場やシンポジウムで話を聞くと、みな一様に自分が一番不幸だと嘆いている、と語る。「ホームレスは社会で一番生きづらいフリーターは会社のなかでもっとも立場が弱い」といった話はすべて「不幸自慢」であり、不幸のチャンピオンを決める不幸競争である、そんなことをして団結をしないから差別されてばかりなのだ、と威圧的な父親のように説教をするのだった。
これは、批判ではなく悪口である。社会全体の問題を、特定のグループの自己責任に転嫁する論理のすりかえである。
彼は、「わたしはあなた(もしくは普通や標準とされている生活水準)と比べてしんどい」「この立場で生きるのは辛い」と主観的かつ客観的に訴えている声を、ただの〝仁義なき争い〟だと解釈することで、ネオコンの立場に肩入れしている。異様に距離をとった姿勢であり、人への共感がないようだ。
さらに、それは社会の構造モデルについての議論でもある。その意義を矮小化しているのだ。
それらの点を考慮するに、「不幸自慢(競争)」は、ひとりひとりの訴えを強引にステレオタイプ化し、価値を切り下げる、社会的弱者へのネガティブ・キャンペーンである。「当事者」らの権利への意思、よりよく多様でありうる人生への希望などの訴えはすべて切り捨てられる。
彼は生真面目な優等生タイプで、非常に真剣な様子ともっともらしい文体で情報を書く。けれど、仮面の奥には、組織することや人を救うことによって支配欲・征服欲を満足させたいという黒い欲求が渦まいているように思われた。極端にまじめな態度や、尋常ではない冷たさと硬さ、それに個人の独自性への根強い拒絶反応は、本心をおおいかくすためのパフォーマンスに見えなくもない。
この種のネオコン的な宣伝・広告に流されないように、自分の中の権威主義とか思考停止を点検しながら前にすすみたいと思わされる意見だった。
(訂正ここまで)
このブログはここで終わる。後日、記事に小さな訂正や追加をするだろう。まだ書きかけのエントリーや入れそびれた注もあるからだ。また、2ー3のエントリーを追加するかもしれない。
だが、基本的にはここでおしまいである。
パート2を建てるかどうかは、まだ決まっていない。不登校とか脱学校のブログもやる予定だし、何よりも賃労働をしないと生きてゆけないので、このブログはもうそろそろ終わらないといけない。
少なくともあと3ヶ月はアカウントを取り消しません。ログを採りたい方はお早めにどうぞ。
「大学出ていないのは文字の読み書きもできない」というのが〝世間の常識〟だという。
でもそんなことは今はどうでもいい。わたしは自分を知る行為をしただけだ。そこから世界を見渡せば、他の人とは別の視点がある。それだけのことだ。ほかの人が見えるものをわたしは見えない。けれど他の人に見えないものをわたしは見ることができる。ならばそれを書いてゆけばいい。
そうすると、同じような風景を知っている人たちからコメントやTBがやってきた。不思議な一致を楽しませてもらった。
寄せられた声のなかに、フリーターなんて怠けだとか、死ねとかいったものはほとんどなかった。労働や失業や、宗教や科学技術や社会の問題を真剣に考える、ユニークな人たちからのメッセージがほとんどだった。もっとたくさんの苦情や中傷がやってくると思っていただけに、拍子抜けした。
最後に、このブログは半分はわたしが書いて、あと半分は読者が書いてくれたのだと思っている。コメントやトラックバックの量だけではなく、質の面でそうだ。読者のあつい、労働や経済や日常生活への思い。それが、一日十数時間も寝てしまうこともあるーー多分医者ならばうつだと診断したであろうーーわたしを突き動かした。読者の意見や批判に、時には共感し、時にはしらけ、時には反発した。
でも、そんなふうに感情が豊かになったときに、もっとも納得のいくエントリーが書けた。そうでないときは、気が抜けている。
このブログを支えてくださった多くの方々に感謝したい。
今度、いつフリーターについて情報生産のできる状態になれるか、見当もつかない。だが、生きていれば、いつかきっと戻ってきたい。
閉店までねばって会話をしたりロムったりしてくれたすべての人たち、ありがとうございました。
それでは、失礼します。
意見をきかれることなど考えられないフリーター生活のなかで、自分にはもう公の場で情報を発信する力などない、特に正社員の大学卒のホワイトカラーの人たちに届く声などないと、半ば決めつけていたことに気がついた。ところが、いろんな年齢や職業の方からコメント・トラックバック・メールで連絡をいただいた。自閉症の子をもつ親御さん、同じアルバイトやパートの方、正社員の方、引きこもっている人、ニートの人、いろいろな人と意見を交換することができた。なかには情報生産業の方までいらして、これにはビックリした。
幼稚園受験も小学校受験もすべって、中学校受験はやらせてもらえなかった自分が、これほど多様な人々と語り合う言葉を隠しもっていたとは!
多分、情報が出たのは、ほんのわずかだが通ったフリースクールのおかげだろう。そこでは、子どもたちのミーテイングによってカリキュラムや行事が組まれていた。兵庫のフリースクールに少しだけ通ったが、そこではスタッフ(通常の学校の先生)を雇うときに子どもの面接があった。子どもたちがNOと言えば、その人は雇われない。つまり、子どもたちに拒否権があるのだった。
そこで、意見を言うことが奨励されていた。はじめは何を言えばいいか、どの提案に賛成すればいいのか、さっぱり分からず悪戦苦闘した。別の意見の持ち主と顔をつきあわせるのを苦痛に感じたこともあった。それでも、その対立や齟齬をうめたり、互いに尊重しあったりするここちよさも学んだ。意見と人柄が違うということも、寮に入っての共同生活によって多面的につきあうことによってよく理解できた。
徹底した民主教育・自由教育が、わたしに開放のための文化行動を起こす回路を開いてくれた。
また、そこは「知識よりも感情(A・S・ニールの本のタイトル)」を重んじる場だった。もしわたしが知識優先の学校教育を受けていたら、「わたしよりも頭がよくてよく勉強している人はごまんといる。わたしが何か言ってもムダだ。客観的に見てそうなのだから、何かを訴えても仕方がない」と諦念し、沈黙を保っていただろう。そして、自分よりも失業期間の長い人を見つけて、自分の自己否定の感情にも気がつかないまま相手を責めたりなじったりしていたかもしれない。ただ正社員になろうとしてばかりで、社会のシステムについて考える能力が「無能化(イリイチ)」されていたかもしれない。
そうした、いわば去勢された状態にならなかったのは、自分を知ることを大切にして、世間体など気にするなとはげましてくれるフリースクールスタッフのおかげであった。あるいは、価値観をほぼ同じにする不登校親の会の関係者のおかげである。
もしあのまま通常の学校や大学に通っていたら、わたしは不正に反対できないネオコン礼賛の人になっていたかもしれない。ちょっと交換価値が下がれば、使用価値もないと感じたり、危ないことに存在価値までないと信じ込むような短絡的な人になっていたかもしれない。そうならなかったのは、脱学校あってのことである。不登校という選択が、フリーターへの差別に反対する今のわたしの実存を作ったのだった。
ところで、このブログについて、ある掲示板にて興味深いご批判をいただいたので、この場で答えておきたい。
オリジナリティがない、というものだった。あなた自身の発見ではない、他人の発見・言及にオンブにダッコではないか、ということだ。
それについては、
1.これまでの発見を重ねると見えてくるものがある。ジグソーパズルを組み立てるようなものだ。この手のやり方で、シーア・コルボーンたちは環境ホルモンを発見した。
2.脱原発運動の主張においても、「脱原発系の学者の言うことは他人の発見の引用だらけ。オリジナリティがない」とする原発推進側からの批判があった。それに対して反対側は、誰の発見であっても科学的な発見は発見だと切りかえしている。わたしもこの立場をとっている。
3.オルジナリティは絶対なのか? 伝統芸能ではオリジナルは排除されるが。
4.そもそも動物学者志願だったブロガーでもあるわたしが、なぜ文系の大学人のようなルールに従う義理があるのか分からない。これは「当事者学」ではない。
の4つを反論としたい。
次に、メールをいただいたのだが、「ワタリさんは専門家ではないでしょう」というご意見について。
わたしは専門家を妄信していない。
どちらかといえば、フリーターに関するlay exspert(専門家ならざる専門家)http://www.atom-fukushima.or.jp/kentoukai/kentou-gaiyou/kentou-2.htmになりたいと思う。労働経済学者がフリーターについて分からないことがあれば、わたしのところに連絡・相談しにくるような存在になれればいいと思っている。科学者の共同体の外にいるからこそ見えてくる視点がある。せっかく登校拒否を体験したのだから、せっかく大学を出ていないのだから、その視点を大切にしたいと考えている。(7月25日リンク先追加しました。)
もうひとつ、じかに会った方から伝えられて、返答に詰まったのにこんなのもあった。
「不当にフリーターを代表している」「フリーターを美化している」
その方は、たいへん不愉快そうに、怒ったような調子でそうおっしゃった。また、神経質で狭量な優等生タイプの人でもあった。
そのことを鑑みるに彼は、いまどきの日本の中産階級的な価値に反するものを、部分的・表面的にはともかく、総合的には認めたり肯定したりしたくないのだ、とうかがえた。
わたしはフリーターを代表してなどいない。フリーターもひとりひとり違って当然、正社員にしか分からない視点もあって当然。そのなかの一つの情報がこのブログだと考えている。
二つ目の批判は、おっしゃる意味が分からなかった。フリーターに関する悪口でも読みたいのなら、論壇誌「諸君」や「正論」(ともに保守反動系の月刊誌。若者叩きの記事がよく掲載される。)をどうぞ、としかいいようがない。また、仮にも人様に文章を読んでいただく以上、化粧をするのは当然ではないだろうか? つまり、多少の美化は多めにみろ、ということだ。これは常識の問題だ。口紅とまゆずみを描いただけで「不自然だ、素顔のあなたじゃない!」とか何とかキレられても何だか……。
さらに、これまでさんざ否定的・同情的な情報が語られてきたフリーターの一人が、なぜ徹底集中して肯定的な情報を発信してはいけないのか? ほんのわずかの立場の偏りにも耐えられないのは優等生的な潔癖主義としか言い様がない。あるいは、彼は内心、フリーターを肯定したくないけれど、肯定的なエピソードや解釈や歴史・伝統を示されたので、にわかに反論もできず混乱しているのだろうか?
わたしとしてはそう考えたのだが、読者はどうだろうか?
(2005.7.12訂正)
それから、こんなひどい意見もあった。「あなた(たち)は、不幸自慢、不幸競争をしている」というものだった。
彼は、フリーターのほかホームレス、身体障害者、引きこもりなどを一括して弱者と一くくりにして呼んでいた。それで、寄せ場や福祉の現場やシンポジウムで話を聞くと、みな一様に自分が一番不幸だと嘆いている、と語る。「ホームレスは社会で一番生きづらいフリーターは会社のなかでもっとも立場が弱い」といった話はすべて「不幸自慢」であり、不幸のチャンピオンを決める不幸競争である、そんなことをして団結をしないから差別されてばかりなのだ、と威圧的な父親のように説教をするのだった。
これは、批判ではなく悪口である。社会全体の問題を、特定のグループの自己責任に転嫁する論理のすりかえである。
彼は、「わたしはあなた(もしくは普通や標準とされている生活水準)と比べてしんどい」「この立場で生きるのは辛い」と主観的かつ客観的に訴えている声を、ただの〝仁義なき争い〟だと解釈することで、ネオコンの立場に肩入れしている。異様に距離をとった姿勢であり、人への共感がないようだ。
さらに、それは社会の構造モデルについての議論でもある。その意義を矮小化しているのだ。
それらの点を考慮するに、「不幸自慢(競争)」は、ひとりひとりの訴えを強引にステレオタイプ化し、価値を切り下げる、社会的弱者へのネガティブ・キャンペーンである。「当事者」らの権利への意思、よりよく多様でありうる人生への希望などの訴えはすべて切り捨てられる。
彼は生真面目な優等生タイプで、非常に真剣な様子ともっともらしい文体で情報を書く。けれど、仮面の奥には、組織することや人を救うことによって支配欲・征服欲を満足させたいという黒い欲求が渦まいているように思われた。極端にまじめな態度や、尋常ではない冷たさと硬さ、それに個人の独自性への根強い拒絶反応は、本心をおおいかくすためのパフォーマンスに見えなくもない。
この種のネオコン的な宣伝・広告に流されないように、自分の中の権威主義とか思考停止を点検しながら前にすすみたいと思わされる意見だった。
(訂正ここまで)
このブログはここで終わる。後日、記事に小さな訂正や追加をするだろう。まだ書きかけのエントリーや入れそびれた注もあるからだ。また、2ー3のエントリーを追加するかもしれない。
だが、基本的にはここでおしまいである。
パート2を建てるかどうかは、まだ決まっていない。不登校とか脱学校のブログもやる予定だし、何よりも賃労働をしないと生きてゆけないので、このブログはもうそろそろ終わらないといけない。
少なくともあと3ヶ月はアカウントを取り消しません。ログを採りたい方はお早めにどうぞ。
「大学出ていないのは文字の読み書きもできない」というのが〝世間の常識〟だという。
でもそんなことは今はどうでもいい。わたしは自分を知る行為をしただけだ。そこから世界を見渡せば、他の人とは別の視点がある。それだけのことだ。ほかの人が見えるものをわたしは見えない。けれど他の人に見えないものをわたしは見ることができる。ならばそれを書いてゆけばいい。
そうすると、同じような風景を知っている人たちからコメントやTBがやってきた。不思議な一致を楽しませてもらった。
寄せられた声のなかに、フリーターなんて怠けだとか、死ねとかいったものはほとんどなかった。労働や失業や、宗教や科学技術や社会の問題を真剣に考える、ユニークな人たちからのメッセージがほとんどだった。もっとたくさんの苦情や中傷がやってくると思っていただけに、拍子抜けした。
最後に、このブログは半分はわたしが書いて、あと半分は読者が書いてくれたのだと思っている。コメントやトラックバックの量だけではなく、質の面でそうだ。読者のあつい、労働や経済や日常生活への思い。それが、一日十数時間も寝てしまうこともあるーー多分医者ならばうつだと診断したであろうーーわたしを突き動かした。読者の意見や批判に、時には共感し、時にはしらけ、時には反発した。
でも、そんなふうに感情が豊かになったときに、もっとも納得のいくエントリーが書けた。そうでないときは、気が抜けている。
このブログを支えてくださった多くの方々に感謝したい。
今度、いつフリーターについて情報生産のできる状態になれるか、見当もつかない。だが、生きていれば、いつかきっと戻ってきたい。
閉店までねばって会話をしたりロムったりしてくれたすべての人たち、ありがとうございました。
それでは、失礼します。