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『ウォーターハウス―夢幻絵画館』

2014-02-25 21:54:24 | 書籍(美術書)

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ウォーターハウス―夢幻絵画館
川端康雄(監修・著)、加藤明子(著)
東京美術
2014

荒川裕子氏は、現在六本木で開かれている「ラファエル前派展」の図版のなかで、欧米と日本における〈ラファエル前派受容〉をめぐる歴史について概説しておられる。
(氏に関しては以前にもこのブログでご紹介させていただいた。)

荒川氏がそのなかで述べておられるように、日本における〈ラファエル前派受容〉は、「圧倒的に文学(英文学)主導で」あった(p.34)。

事実、荒川氏も例に挙げておられる通り、『宿命の女―愛と美のイメジャリー』の著者松浦暢氏しかり、ジャン・マーシュ氏の著作『ラファエル前派画集―女』と『ラファエル前派の女たち』をそれぞれ訳された河村錠一郎氏と蛭川久康氏しかり、『ヴィクトリア朝の宝部屋』(ピーター・コンラッド著)の編集者高山宏氏や訳者加藤光也氏しかり、みな(英)文学畑の方たちである。

他にも、『ラファエル前派の世界』の著者である齋藤貴子氏や『ラファエル前派の画家たち』(スティーヴン・アダムズ著)の訳者高宮利行氏も、英文学をご専門とされている。

荒川氏も指摘しておられるが、輸入学問と翻訳文化に支えられた明治期以降(例えば漱石)であればともかく、比較的最近に至ってもなお文学者がラファエル前派研究をリードしているというのは興味深い。

今回紹介する『ウォーターハウス―夢幻絵画館』の著者にして監修者の川端康雄氏もまた英文学者であられる。
このブログでも以前にご紹介したように、川端氏はモリスやラスキンなど、ラファエル前派に関わる人物の訳書を多く手掛けておられる。

(英)文学者主導〉のラファエル前派研究が今日もなお隆盛であることを顕著に示しているといえよう。

さて、本の中身へと移ろう。

本書はラファエル前派〈第三世代〉の画家とも呼ばれるウォーターハウスの絵画作品を集めたものである。

ウォーターハウスは古典神話や文学作品を数多く手がけたことで知られる。
この画集では、彼が絵画化した古今の文学に関する背景知識が作品ごとに紹介されている。
理解の助けとなる、簡潔かつ的確な解説となっている。

ローマで生まれたウォーターハウス。
一家で両親の故郷イギリスへと戻ったのは、彼が5歳のときだった。

海を渡ってなお、ウォーターハウスにとって、地中海世界は特別な地域でありつづけた。
少年時代からすでに示していた地中海地域への関心は、その後の彼の画業の下地を形成することになる。

画家の絵画作品の多くがギリシア・ローマ(神話)を題材としているのは、こうした彼のバックグラウンドと大きく関わっている。

神話と並び、画家がしばしば取り上げたのが文学作品であった。

シェイクスピア、シェリー、キーツ、テニスン。

ラファエル前派で「オフィーリア」というと、すぐさまミレイの絵画が思い浮かぶことだろう。(→参考
しかしウォーターハウスもまた、シェイクスピア作品のこの有名なヒロインを三度にわたって絵画化している。

画家はまた、キーツの詩に取材した「レイミア」とテニスンの作品に着想を得た「シャロットの姫」を、それぞれ二度にわたって絵画化している。

「オフィーリア」にせよ、「レイミア」にせよ、「シャロットの姫」にせよ、ときにファム・ファタール的要素を漂わせる女性を描写したこれら〈文学テクスト〉は、ウォーターハウスを含むラファエル前派の画家たちにとって、一種の〈客観的相関物〉であったともいえるのではないだろうか。

〈客観的相関物〉という言葉が妥当かどうかに関してはもう少し議論と検証が必要だろう。
だがともかく、ウォーターハウスが数多くの文学テクストを絵画化してきたことは事実である。
そのなかで、ともすれば意外に思われるかもしれないが、聖書に取材した作品は一作だけである。

それが、この《受胎告知》である。[下図参照]


ルネサンス期、いやそれ以前より、キリストの磔刑図と並んでしばしば描かれてきたのが、この〈受胎告知〉という主題だろう。

西洋絵画史上あまりに多くの画家が挑んできたこの画題。
ウォーターハウスの〈独自性〉なるものはどこにみられるのだろうか。

もっとも分かりやすいところでいえば、その〈演劇〉のような画面構成だろう。

初期ルネサンスのフラ・アンジェリコや盛期ルネサンスのレオナルドの扱った同主題の作品と比べても、その〈アングル〉は独特である。[下図参照]


[左:フラ・アンジェリコ(作品)/右:レオナルド(作品)]

ウォーターハウス作品を論ずるにあたって、本書36頁から37頁にかけて書かれているように、〈演劇性〉というのは重要な視点である。
もっといえば、「19世紀のヨーロッパ文化において、劇的演劇的というのはとても重要」であった(村松真理子『謎と暗号で読み解くダンテ「神曲」』p.70)。

本書に関してはまた、120-21頁で書かれている宮崎駿氏とウォーターハウスとの接点に関するコラムが興味深かった。
両者の作品における、積極的な意味での〈通俗性〉に着眼した解説である。

tak氏もブログで書かれているように、ウォーターハウスに関する日本語で書かれた書籍はほんの数えるほどである。

78-79頁でも書かれているが、このラファエル前派〈第三世代〉に関する本格的な回顧展は、欧米でも近年ようやく始まったばかりである。
今後のウォーターハウス研究の進展に期待がかかる。

決して安い本ではないが、一冊家において置きたくなる、そんな一冊であることは間違いない。
質・量ともに充実した一冊である。

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