『ディドロ―絵画について』
ディドロ (著)
佐々木健一 (編訳)
岩波書店
2005
ダランベールらとともにフランス啓蒙思想の集大成といえる『百科全書』を編纂したことで知られるディドロ。
彼の遺した絵画に関するテクストを編訳したものが、岩波文庫に収められている。
ディドロの生きた18世紀は、近代的な意味での〈美術〉概念が確立され、それに伴い、ようやく本格的な美術批評がなされるようになった時代であった。
〈美学〉の創始者にあたるバウムガルデンの記念碑的著作『美学』は、「哲学の体系の中の一部門として美学を位置づけ、学を感性的認識の領域にも広げた、哲学的美学の出発点」といわれる(『美/学』 87頁)。
こうした時代背景のなかで生み出されたディドロの美術論考は、ゆえに、単純な美術批評というよりは、かなり哲学的な要素を含んだものになっている。
ゲーテが「名篇」と讃えたこの哲学的な美術論、なかなか読みづらい。
本書〈解説〉でも書かれているが、理由は大きく二つあるだろう。
ひとつは、テクスト間に(少なくとも表面的には)矛盾がみられるため、ディドロがどういった立場で論じているのかがやや掴みづらいこと。
もうひとつは、ディドロ自身、断片的な発想や断章をつなぎ合わせてテクストを構成していたため、しばしば論理の飛躍(と思われる箇所)がみられること。
正直、ディドロのテクストだけを提示されてもなかなかその骨子を読み取るのは困難だ。
この絵画論の美学史的な位置づけに触れている本書の〈解説〉を読むと、ようやくその全体像が明瞭になってくる。
同時代の画家から教えを求めて論を構成しつつ、一方で〈哲学者〉としての自負も忘れない。
少なくとも現代の感覚からすると、かなり〈特異〉な美術書といった印象は免れえない。
しかしそこにははっきりと時代精神があらわれており、美術批評の黎明期における重要な著作としては一読に値するのではないか。
また、「美の判定能力を指すもの」といったニュアンスで〈趣味〉という語を持ち出しているあたりも、時代の空気感が窺われて興味深い。
ちなみに・・・
表紙カバーに用いられているのは、ガブリエル・ド・サントーバンによる《1767年のサロン》の部分図。
当時はこうして会場内を隈なく作品で埋め尽くす展示スタイルが一般的であった。
さて、評価の高い作品は、だいたいどの位置に置かれるか。
高い所に掛けられた方が見栄えのする感じもあるだろうが、実際には低い位置に掛けられることの方が名誉とされた。
こうしたしきたりは19世紀のイギリスでもなおみられ、ラファエル前派を扱ったBBCのドラマ"Desperate Romantics"ではロセッティ(だったと思う)が、自身の出品した作品が"on the line"(目の高さ)に掛かっていないことに苛立ちをみせる場面があった。
哲学的美術論。
時間をおいて、再びこの山に登ってみたい。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます