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Workshop: Pre-Raphaelitism, Aestheticism and Japan (I)

2014-01-25 19:35:12 | 企画(講演会)

(画像はこちらより)

Workshop: Pre-Raphaelitism, Aestheticism and Japan
(ワークショップ「ラファエル前派主義と唯美主義」)
筑波大学東京キャンパス文京校舎 2014年1月25日

1. Alison Smith (Lead Curator, British Art to 1900, Tate Britain)
―― Pre-Raphaelite Technique
2. Ayako Ono (Associate Professor, Shinshu University)
―― Whistler, Japonisme and Japan
3. Kazuyoshi Oishi (Associate Professor, The University of Tokyo)
―― Romanticism, Pre-Raphaelites, and Japan
4. Yasuo Kawabata (Professor, Japan Women’s University)
―― Ruskin, Morris and Japan in the 1930s
5. Tim Barringer (Paul Mellon Professor, Department of the History of Art, Yale University)
―― Politics and the Pre-Raphaelites
6. Jason Rosenfeld (Distinguished Chair and Professor of Art History, Marymount Manhattan College)
―― Pre–Raphaelites in Pop-Culture

[関連美術展]
・「ラファエル前派展」(2014年1月25日~4月6日、森アーツセンターギャラリー )
・「ザ・ビューティフル(唯美主義)展」(2014年1月30日~5月6日、三菱一号館美術館)
・「ホイッスラー展」(2014年9月13日~11月16日、京都国立近代美術館/2014年12月6日~2015年3月1日、横浜美術館)

筑波大学の山口惠里子氏が中心となって企画された今回のワークショップ。
ラファエル前派展の会期初日でもある今日、六名のスピーカーがそれぞれ異なる視点から19世紀英国の芸術運動を捉えた。

最初の発表者Alison Smith氏は技法面からPRBの絵画を分析した。
ラファエル前派の画家たちが、保守的なアカデミズムに反発したのは、画題や構図においてだけではない。
それらに付随する絵画技法においても、レノルズを筆頭とする当時の画壇と真っ向から対立した。

ラファエル前派の画家たちは、当時の画壇の保守的な空気のみならず、その絵画技法にも「息苦しさ」を覚えた。
暗褐色をよく用いたアカデミズムの絵画は、よく言えば「荘重」であり、PRBからすれば「重苦しい」ものであった。

PRBの画家が、いわゆる「ラファエロ以前の画家たち」の絵画に求めたもののひとつは、「宝石のような透明さと清澄さ」("jewel-like transparency and clarity" ["Early doctrines"の項(Wikipedia)を参照])であった。
いま貼り付けた頁でも言及されているように、とりわけミレイやハントは、まだ乾ききっていない白地に薄くのばした顔料を塗り、「宝石のような」輝きを求めた。

「光」の追及という点では印象派と似ている。
しかし「純粋さ」を「獲得する」というPRBの行為は、ゴンブリッチの言うように「自己矛盾の試み」(『美術の物語』390頁)であり、決して大きく花開くことはなかった。

少なくとも後世への影響という点でいえば、同じアバンギャルドな運動でも、軍配は印象派に上がることを認めざるを得ない。

二番目の発表者はAyako Ono氏であった。
今年の秋から日本で展覧会が開かれるホイッスラーについて、日本との関連からお話をされていた。

最初のSmith氏がPRBを中心に扱ったのに対し、こちらの発表は、いわゆる「唯美主義」に分類される内容のものである。
「唯美主義」には大きく二つの系譜がみられる。

一方は霊感源を古代ギリシアに求め、他方は日本に求めた。
しかし両者は特別対立していたというわけでもなく、それは展覧会の広告に引用されているホイッスラーの次の言葉からも明らかである。

「美の物語は、パルテノンの大理石が刻まれ、北斎が、扇の富士山の麓に鳥の刺繍をした時にすでに完成している」(ホイッスラー『10時の講演』)。

ホイッスラーというとミスター・ビーンの映画のイメージくらいしか沸かないが、時間があれば、美術展に行ってみたい。

三番目の発表者はKazuyoshi Oishi氏。
文学が専門の氏の発表では、キーツや漱石をはじめとした多くの文学者の作品が取り上げられた。

そうした作品において表象されているものと、PRBの芸術運動との接点を探ってゆくという試みである。

言及されていた詩人や作家(の作品)を挙げておこう。

キーツの「レイミア」や「つれなき美女」、蒲原有明の「人魚の海」といったファムファタール的要素をもった作品。
また「人魚の海」の解説ではコールリッジの「老水夫の唄」についても言及されていた。

加えてイギリス文学でいえばワイルドの'The Harlot's House'、コールリッジの'Love'も引用されていた。

日本文学でいえば、漱石の『草枕』。
他にもラフカディオ・ハーンや日夏耿之介、上田敏、尾崎紅葉など枚挙にいとまがない。

文学、絵画、様々な作品が取り上げられていたが、キーツからPRB、そしてデカダンスに至るまでの芸術運動の本質の一つを"melancholic beauty"にみたという点において論旨は一貫していた。
この三つを一括りにしたのは、これらがほぼ同時期に日本に入ってきたため、少なくとも当時の日本人にとってはそれぞれなかなか区別しがたいものでもあったという背景も絡んでいる。

"melancholy"を、決して病的なものではなく、魅力的なものとして捉える。
その態度が芸術作品を生み、日本でも広く受容された。

...長くなってしまった。
ここまでの前半の三名をパートIとして、後半の三名に関してはまた改めて書くことにしよう。

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