吉川一義(京都大学名誉教授)「モネの連作とプルーストの文学」
国立西洋美術館講堂 2014年2月1日
先日、上野の国立西洋美術館で開かれているモネ展に行ってきた。
展覧会の内容に関しては、感想を2月1日のブログ記事に綴っている。
同美術館では、展覧会の内容に合わせ、様々な関連企画を用意している。
講演会もそのひとつだ。
2013年12月7日には、同美術館館長の馬渕明子氏が「モネと日本」というテーマで講演をされた。
また年が明けた2014年1月18日には、ポーラ美術館学芸課長であられる岩崎余帆子氏による講演「ポーラ美術館の印象派とモネの絵画」も行われた。
私が先日同美術館を訪れた際には、京都大学名誉教授の吉川一義氏による講演会「モネの連作とプルーストの文学」が企画されていた。
やや日が経ってしまったが、同講演会の内容を振り返ってみたい。
現在、岩波文庫でプルーストの『失われた時を求めて』の邦訳を刊行しておられる同氏。
まさにmagnum opusというべき同長編の邦訳は、上に貼り付けたWikipediaの著者ページによると、「全14冊」を予定しているらしい。
現在のところ最新刊は、昨年11月に刊行された六冊目(『失われた時を求めて 6―ゲルマントのほうII』)である。
吉川氏は、プルーストをはじめとするフランス文学のみならず、美術にも造詣が深い。
amazonの著者ページをみても、文学と美術との関わりをテーマとした著作が目につく。
『プルースト美術館―「失われた時を求めて」の画家たち』(筑摩書房、1998)
『プルーストと絵画―レンブラント受容からエルスチール創造へ』(岩波書店、2008)
『フランス現代作家と絵画』(水声社、2009)
『プルーストと絵画―レンブラント受容からエルスチール創造へ』(岩波書店、2008)
『フランス現代作家と絵画』(水声社、2009)
二番目の著作に関しては、講演でも言及されていた。
目次をみてもわかるように、いずれも興味深い内容である。
今回の講演会で初めて知ったのは、プルーストがラスキンの美学に非常に影響を受けていることだ。
実際、Wikipediaをみても、プルーストの手で仏訳されたラスキンの著書が二冊挙げられている。
もっとも、日本語版のWikipediaにもあるように、「プルースト自身は外国語(英語)がほとんどでき」なかったようである。
ともかくも、プルーストがラスキン美学に傾倒していたことは確かである。
関連書籍としては、真屋和子氏による『プルースト的絵画空間―ラスキンの美学の向こうに』(水声社、2011)があるようなので、読んでみたいと思う。
吉川氏の講演の要点を挙げるとすると、大きく二つにまとめられよう。
ひとつは、『失われた時を求めて』におけるモネの作品の影響は、あくまで(言うならば)"hidden painting"のレベルであるということだ。
これは何も決して否定的な意味ではない。
同作品では、ボッティチェリ[システィーナ礼拝堂の壁画「モーセの生涯」]やカルパッチョ、フェルメール[「デルフト眺望」]らが、〈名前を挙げて〉言及されている。
こうした画家たちに比べて、プルーストが、モネの絵画の本質的な部分をより深いところで捉えていたという証左でもあるのだ。
こうした"hidden painting"の要素はまた同時に、吉川氏が指摘するように、とりわけ晩年のモネの連作には、わかりやすい意味での「主題」がないこととも関連している。
もうひとつは、プルーストが(とりわけ)影響を受けたモネの絵画が〈連作〉であるという点だ。
これは、今回の講演会のタイトルとも関わってくる。
モネが連作絵画を制作することで追い求めたものは何か。
それは、時間とともに変化する繊細な色合いである。
同じ一つの光景であっても、描く時間帯によって雰囲気がまるで違ってくる。
一方、プルーストが作品のなかで求めたものは何か。
吉川氏の言葉を借りれば、それは「時間の可視化」である。
曰く、プルーストが追及したのは、「単なる〈個〉の探究だけではなく、人間と社会とを変貌させずにはおかない〈時間〉というものの存在」であった。
「モネの連作」と「プルーストの文学」を結ぶもの―
それは、〈時間〉だったのだ。