旅のウンチク

旅行会社の人間が描く、旅するうえでの役に立つ知識や役に立たない知識など。

民族対立と宗教

2007年04月17日 | 宗教
キリスト教の宣教という活動をはじめ、イスラム教でも教義を広めるという活動が行われて来た事は誰もが知る所だと思います。この点で少し変わっているのが仏教です。

西遊記。皆さんはテレビドラマで見たでしょうか。絵本や紙芝居で見たのでしょうか。西遊記を知らない人もいるのでしょうか。

あのお話は、玄奘三蔵という中国の唐の時代の僧が長い歳月をかけて仏教の原典を求めて仏教発祥の地インドへ旅した事がモデルとなっている事もご存知の方は多いでしょう。もちろん、その前に仏教は既に中国には伝わっていたわけですが、更に仏典を取りに行ったところがポイント。

日本の場合は、日本史の暗記を覚えているでしょうか。人によっていろいろかもしれませんが、"ゴサンパイ"。538年と言われていますが、その後の日本史に登場する"鑑真"という人物が存在します。この人も日本に仏教を広めに来てくれたわけではなく、その頃仏教が盛んになりつつあった日本から勅命を受けた僧侶がお願いして来ていただいたというところがやはりポイント。

私はこの点に仏教がキリスト教より500年、イスラム教より1000年昔の宗教思想である事の特徴と、その後、地域によっては衰退していった理由があるのではないかと考えています。それと同時に日本人の中に知らずしらずに根付いている仏教的体質も垣間見えるようでおもしろいのです。

私は、仏教もキリスト教もイスラム教も人の幸福を願った思想であると思います。ただ、その思想が生まれてきた社会的背景なども当然反映されているわけであります。

私が触れてみた仏教思想は、その根底に流れるものはキリスト教やイスラム教と比較すると、幸福をより内面に求める傾向があると感じます。誤解を招きそうな表現ですが、どちらかというと自己完結型。発想を転換する事によって、今まで不幸と感じていた事を幸福と感じるようになるテクニックなどにおいては非常に優れたものだと思っています。つまり幸福になりたい人はその教えを貰いに行ったのでしょうし、他人に教える必要性が希薄だったのかなと思います。

それに対してキリスト教やイスラム教はもちろん内面に働きかける部分は多々ありますが、全体としては社会全体に働きかけるような思想がずいぶん盛り込まれていると感じます。

つまり、人種や民族を越えて、同一の宗教を共有する事でお互いが共通した価値基準(戒律)を持つ社会を実現して、"騙し合い"のような社会から脱却して安心して暮らしていける社会を実現しようというような考え方です。

仏教にもそういった思想は盛り込まれていますが、その点に重きを置かれたような印象はありません。むしろ後の思想家の中に仏教に積極的に社会全体を幸福にする思想を盛り込んだ人がいるというのが私の印象です。

このキリスト教やイスラム教的な幸福を求める場合、より多くの人々と思想を共有する事が必要となり、そこから宣教という活動が要求されたのではないかと思うのです。そして、そのような信仰が求められた事にはおそらく人間の活動範囲の広がりが風俗習慣の違いなどによる対立を生んでいった社会的背景があるのではないかと思うのです。そう考えると、対立を上手く処理すべく考えられた思想が、別の思想とぶつかり合って新たな対立を生んでしまっている事は非常に悲しい出来事ですね。

過去に旅のウンチクでも触れた事があるバーミヤンの仏像。あの仏像を見てもアフガニスタンではかなり仏教が盛んであった時期がある事は理解できると思います。そこで仏教がイスラム教に置き代わっていったのは多くの民族間の接触が様々な摩擦を生み、その摩擦を処理していくうえでイスラム教の方が都合が良かったとも思えますし、また、日本で仏教が根強く信仰されたのは日本では民族間の摩擦が少なかった事によるのではないかと考えます。

そのような土壌の違いから、日本人には宗教対立から内戦にまで発展している世界のいくつかの国の状況が理解しずらいものとなっているのかもしれません。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿