旅のウンチク

旅行会社の人間が描く、旅するうえでの役に立つ知識や役に立たない知識など。

旅先で引きこもり

2007年04月18日 | 旅行一般
パキスタンの旅は不思議な旅でした。どこへ行っても親切な人ばかり。特にオートバイで走り始めてからはちょっとチャイハナへ立ち寄ってチャイを飲んでも、あるいは食事をしても、人が沢山集まってきて、おごってくれる。誰もいなければ店の主人がおごってくれる。宿泊先を探していると、"私の家へ泊まっていけば"と泊めてくれる人も多数。とにかく皆が親切なのです。

どこの街や村に行ってもオートバイを停めると沢山の人集りができて、若かった私はまるで自分が有名人にでもなったかのような錯覚に妙な満足感を感じたりしたのでした。

そんな環境にもだんだん慣れてくると、最初は親切に感謝していた自分も少しずつ狡くなってきて、食事をする時にもできるだけ人が多く入っている店に目立つようにオートバイを乗りつけて、おごってくれる人が現れるまでゆっくり時間をかけて食事をするようになったり、夕方食事をする時には愛想を振り撒いて泊めてくれる人が現れるのを待ったり、あるいは"どこか泊まる所はないかなぁ"などと、遠回しに言ってみたりといった計算高い行動をとるようになってきたのです。そしてそんな自分を"旅慣れた"などと勘違いもしていました。

そんなある日、どんなきっかけか忘れましたが、私はいつも自分が計算高く立ち回っているという事実に気がついたのです。その事に気がついた事からセコい事ばかりを考えながら日々をおくっている自分に激しい自己嫌悪を覚えると共に、身勝手な話で、今まで嬉しくて仕方がなかった人集りがどうしようもなく疎ましくも思えてきて、どうしようもなく人間嫌いな状態に陷っていったのです。

今まで愛想を振り巻きながら入っていたチャイハナにも仏頂面で入っていくようになった私を、どこでもニコやかに迎えてくれようとしたチャイハナの主人。その時の私はよほど人を寄せ付けない雰囲気をプンプン発散させていたのでしょう。少し不思議な表情を受かべた後は話しかけても来なくなりました。店に居合せた他の客も私の方をチラチラ見ているのですが、やはり話しかけては来なくなりました。

とにかく人と会いたくなくなった私は宿泊も街から離れた街道沿いの原野で野宿するようになったのです。

"もう、このまま誰とも関らずにこの国を出よう"

そんな事をマジメに考えていたのです。

そんなある日、やはり原野で野宿をしている私の所をどういうわけか通りかかった人がおりました。既に眠りかけていた私の所にやって来たものの、その人物は英語ができるわけでもなかったので、簡単なウルドゥー語で一言二言、挨拶程度の言葉を交わして去っていったのです。

翌朝、目を覚まして出発の準備をしている私の所へその人が子供を連れて再び現れたのです。手にはパキスタンの人がよく持っている金属製の弁当箱。子供の手には魔法瓶が握られています。

私の前まで来ると弁当箱を広げて、身振り手振りで食べろと薦めるのです。魔法瓶にはチャイが入っていました。弁当箱の方はチャパティとハチミツにヨーグルトだったと思います。あえて人と会いそうにない原野を選んだ私、そこへ長い距離を歩いて食事を届けに来てくれたパキスタンの親子。お互いに言葉も通じないし、交わす言葉もなく、私はただありがたく朝食をいただいたのです。そして彼らはそんな私を静かな目で見つめていました。私が食事を終えて再び出発の準備を始めると、彼は無言のまま弁当箱を片付けて私の"シュクリア(ありがとう)"の言葉に軽く手をあげて"メルバーニ(どういたしまして)"の言葉を残して子供と共に去っていったのでした。


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