旅のウンチク

旅行会社の人間が描く、旅するうえでの役に立つ知識や役に立たない知識など。

信仰することは科学的だと思う。

2008年02月21日 | 宗教
 宗教というのは人によっては敬遠すべきもので、人によってはそれがすべての拠り所であったりもします。日本の場合、どういうわけか宗教には関心がないか、関心がないフリをした方が知識人ぽく見えるという面があって、そのことから漠然と宗教を敬遠する人が多いように感じます。

 特に、イスラエルとパレスチナをはじめ、イラクでのシーア派とスンニー派の争いなど”宗教紛争”と呼ばれる紛争を見せつけられると宗教というもの自体が漠然と怖くなるのも正常な反応かもしれません。

 あるいはカルト的な教団の事件を目にしても宗教一般が怖くなるでしょう。

 また、その反面、日々、社会に発生している問題を目にしているうちに、救いは神にしか求められないと感じるのもある意味正常な反応かもしれません。こういう反応から、今度は現代の社会で生きることに上手く適応できなくなっている人もいるでしょう。

 イスラム教も、キリスト教も、ユダヤ教も、仏教も、その他の宗教も全て、人が幸福に生きていくための方法や幸福な社会を営んでいくために考えられた知恵を集めたものであるということは間違いないでしょう。

 それらの思想はいずれも今から何千年も前に練られたものでありますが、その一部にでも触れてみれば、それが以外なほど古さを感じさせない事を感じると思います。つまり、その思想の多くは今の社会に充分通用するものです。
 
 ただし、それと同時に、これらの思想が練られた時代を特徴的に反映している部分もあるわけです。それは現代社会には適用できない部分となるわけで、それが存在するからといって、宗教思想全般を否定するものではありません。

 ただし、宗教思想を原理主義的に現代社会に適用したからといって、これらの思想が練られた時代に考えられた理想の幸福な社会が訪れるわけではない事はあまりにも当然なことだと思うのです。それは盲従というものですね。

 現代の自分の生活をより幸福にするために使える思想は上手く使っていくのは昔の偉人たちの知恵を拝借する事であって、宗教全てを敬遠するよりもずっと上手い方法だとおもいますし、そうやって過去に蓄積された人間の知的財産を使いこなすことを考えるのは非常に”科学的”な行動だと思います。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿