旅のウンチク

旅行会社の人間が描く、旅するうえでの役に立つ知識や役に立たない知識など。

感じる事も選択している

2007年05月09日 | 宗教
物事に対する感じ方というのは人によって千差万別です。他の人から見れば誠に小さな事であっても当人にとっては重大な苦痛を伴う場合もあって、他人とつきあう上では注意しなければならない時もあります。

この事から、感じ方というのはいくつもの選択肢から自分で選択しているという事も言えます。この点を忘れるとたった一つの選択肢を信じて苦しむ事になる事も多々あります。

たとえば最初にあげた話で言えば、他の人から見れば誠に小さな事であれば当人も小さな事と感じるという選択肢もあるわけです。それを重大な事と捉えるという選択肢は自分を幸福にするでしょうか。もしかすると"自分は感じやすい人間だから"などと悦にいる事で幸福になれる人もいるかもしれませんが、たいていの人はその事を重大視する事で苦しむわけですし、周囲の人間も"小さな事をいちいち気にする面倒な人物"として敬遠しがちになるという悪い循環に陷っていくのではないでしょうか。

感じ方に対して"自分が楽になる"選択肢を探す事を教えてくれたのは仏教でした。おそらくこの点では仏教が他の宗教よりも細部に渡る思想を持っているのではないかと思います。この点は仏陀がくれた自由にも少し触れました。

天台密教には"千日回峰行"という荒行があります。こういった荒行を行う意味は人間が最も恐れを感じる"死"に対して"死ぬほど苦しい"体験を積む事で"死も恐るるに足らず"という感じ方を得る事にあると聞いた事があります。

多くの体験を有する人は感じ方に対して多くの選択肢を持っているのだと思います。だから年齢を経た人たちは少し位の事で動じたりしない落ち着きを身につけているのでしょう。この観点に立てば"自分は感じやすい人間だから"などと悦に入るのは"自分は未熟者だから"と言っている事になるのです。

あなたが今感じている事はあなたの選択した感じ方にすぎません。望むのなら別の感じ方を選択する事もできるはず。今イヤな事を感じているのであれば、それをイヤな事と感じない感じ方を選択してみてはどうでしょうか。その事は物事を多角的に捉えるという事にも繋っていくのだと思います。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿