旅のウンチク

旅行会社の人間が描く、旅するうえでの役に立つ知識や役に立たない知識など。

オーストラリアで牛に教わる。

2008年03月08日 | 旅の風景
オーストラリアをドライブ旅行していた時の事でした。内陸の方を走っていると、時々、牛や羊の群れが道路上にいることがあります。車が通りかかるとカウボーイ達が車が通れるように群れを分けようとするのですが、なかなか上手くいかず、待たされる事がおおいのです。動物達の群れを見ていると、どうやら群れは分かれたくない様子。多数派が少数派の方に終結しようとする事もあれば、少数派が多数派に合流しようとする場合もあります。

そんな光景を眺めながら私の頭に浮かんだのは”リーダーの素質”という事でした。牛や羊の群れには、ボスがいて、そちらに合流しようとしているのではないかと思えたわけです。

ちょうどその頃、私の日本での日常はある日突然、部下を抱えて仕事をする事になって少し悩みを持っていました。もともと、一人でテキトーに生きてきた自分にとって、部下に対してリーダーシップを発揮するなどという事はほとんど不可能と思えていましたし、その事が牛や羊の群れの光景から"リーダーの素質”という言葉を導きだしたのです。

そして次に、”自分にはリーダーの素質はないからなぁ。多分、牛で言えばあの群れに上手く入る事もできず、野原でやせ細っている野良牛ってところだなぁ”と思いました。

オーストラリアの単調な風景の中を運転していると、自ずといろいろな考えが頭をよぎります。

例えば、ボスが売られていったり、されてしまったりした場合、残された群れはどうなるのかなとか、そこまで人間社会も”素質”に支配されているのかなどといった事が取りとめも無く浮かんでは消えていきます。

そして、私は結論付けました。自分の周囲の人間を見る限り、”素質”はやはり間違いなくあるという事。そして、自分はリーダーとしての”素質”は多分、ないという事。

ただし、同時に、人間は”素質”という自然界が与えた制約事項を、教育やコミュニケーションという手段で超越したからこそ、動物の社会が抱える制限事項から開放されて今ほどの繁栄を得たのではないかという事にも思い当たったのです。だから、適材適所で人材を配置されなくても、配置されたところに適応してやっていく力を持つ事ができるはず。それを”成長”と呼ぶのではないかという事。
そこまで考えて、私は、帰国したら、自分の今置かれた相応しくない環境の中で、自分なりにやってみる事に決めたのでした。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿