海辺の町から

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和霊大祭

2024-07-25 10:39:10 | 日記

  祭りのあとの朝

ライブ中継より拝借

  13M先の御幣を手にするために 若者は必死によじる 竹のしなりに苦戦しながら        


  街中は熱気に包まれる。


  海の守り神を祀る和霊神社親しみを込めて和霊様と呼んでいる。


  3体の神輿に護られて


  和霊様の前を流れる須賀川で禊ぎをする。和霊様に掛かる御幸橋


7月24日
和霊様も今日が最終日 走り込みである。
毎年のように出掛けていたが夫が杖を突くようになってから街に出かけても
祭りを直に観ること無く日の暮れまでには帰るようになった。
毎年同じ事の繰り返しであっても皆はこの時を待っている。

祭りの始まりは伊達政宗の子秀宗が宇和島藩主になると山家清兵衛(やんべせいべい)は付き人となり
仙台藩より家族連れで宇和島に来た。全てにたけた清兵衛に反対する者が生まれ
秀宗の命を受けた刺客が山家一族を襲い惨殺 後に相次いだ不幸が山家一族の祟りと思った2代藩主宗利が
武士や町人達と共に和霊神社を建立山家清兵衛を祭神とした。 海の神様でもある。

23日には日中牛鬼が街中を練り歩き大きい牛鬼に至っては600㎏の重さがあり
骨組みは竹を用いている 30人の担ぎ手で担がれた何体もの牛鬼が街を練り歩く。
地区の祭りにも大小様々な牛鬼がおり祭りに牛鬼は欠かせない物になっている。

和霊様から3体の神輿が港まで担がれて夕刻花火の合図と共に港から船に乗せられ(船渡御)
和霊神社の前を流れる須賀川に担ぎ手共々神輿3体が川に入る。
須賀川は汽水域 潮の影響を大きく受けるためその年によっては川の水深が異なってくる
今年は大人の肩くらい有ったようだ 13Mの竹の先に御幣を括り付け若者がよじる。
和霊大祭の終わりは暑い夏の始まりでもある。