制度改正Watch

自立支援法・後期高齢者医療制度の「廃止」に伴う混乱を防ぐために

「障がい者制度改革推進本部」が初会合、でも福祉的な理解は不十分?

2009年12月16日 10時06分06秒 | 自立支援法・障害
障害者福祉政策を見直し、障害者権利条約の締結に必要な法整備を目的とする「障がい者制度改革推進本部」の初会合が開かれた。

障がい者制度改革推進本部
http://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/kaikaku/kaikaku.html

障害者支援の法整備議論=推進本部が初会合
http://news.goo.ne.jp/article/jiji/politics/jiji-091215X574.html

位置づけとしては、全閣僚で構成する「障がい者制度改革推進本部」(本部長・鳩山由紀夫首相)があり、その下に「障がい者制度改革推進会議(仮称)」が設置されるとのこと。推進会議のメンバーの半数以上が障害者や障害者団体の幹部とすることなどとされていることから、このブログで1週間前に取り上げた「制度改革推進委員会」と思われる(まだ名称から「仮称」がとれていないようだし)。
どのような議論がなされるかをみてから評価すべきだが、最初から上滑りしそうな感がある。本部長として、鳩山首相は「推進本部の『障がい』の害はひらがなで、このこと自体意味がある」と述べ、推進本部の設置根拠の3に

「障害」の表記の在り方に関する検討等を行う。

と示されている。これは先週末に「チャレンジド」としてはどうかと報じられたこととつながる。

首相、障害者権利条約締結に努力 「チャレンジド」に変更も
http://www.47news.jp/CN/200912/CN2009121101000888.html

これでは、障害をどう捉えるかという本質的な議論なしの「言葉遊び」であり、先が思いやられる。「障害」という表記の在り方を検討するならば、そもそも障害とは何なのか、キリスト教の価値観が基礎にある人たちにとって「チャレンジド=チャレンジする人」と表記することの意味を考えるべきであり、「Challenged」を「チャレンジド」とカタカナ表記にして、障害の意味を何となくごまかしてしまったり、それらしく振舞ってしまうようでは、本末転倒。障害の意味をわかったうえで「障害者」と表記して書かれた文章と、障害のことを何もわかっていない、差別的な価値観が基礎にあるけれども「チャレンジド」と表記して書かれた文章とでは、どちらが罪が重いのか。表記を変えても、その意味が理解されていないようでは「言葉遊び」に過ぎない。言葉に魂をこめるには、相当な理解が必要となる。「障害」という言葉を軽く考えてはならない。

そもそも障害とは何なのだろうか。
やはり、基本に戻って理解を深める必要があるだろう。

「国際生活機能分類-国際障害分類改訂版-」(日本語版)の厚生労働省ホームページ掲載について
http://www.mhlw.go.jp/houdou/2002/08/h0805-1.html

この文章を読んでも、真の意味を理解することは難しい(誤って理解するのは簡単だし、専門知識のない普通の人たちの腑に落ちるように説明できる人に会ったことはない)。例えば、ICFの構成要素における、心身機能の障害=disableの一つを「障害」と表記してよいのだろうかという問題である。「視力に障害がある」は機能に障害があることを表す文章だが、そのことによって社会生活をおくるうえで大きな支障がなければ、それを「障害」とは言わないだろう(眼鏡をかければよい)。視力に何らかの障害があり、そのことによって社会生活に支障が生じることこそ「障害」なのであり、視力に障害がある人に対して「障害」と表記すべきではなく、その人を取り巻く社会環境に対して「障害」と表記すべきだし、「障害」と「障害者」を区別して考えるべき(色覚異常があると、就けない職がある)。
このように考えれば、何も考えずに「障がい」と「害」をひらがなで表記することが、本質的な議論と理解を削ぐ一因になりかねないこともわかっていただけるだろう(こう書いておきながら、私も自信がない。このブログを通して、「障害学」の理解を深めていきたい)。

これだけの難しさがあるのだから、閣僚レベルではまともな議論はできないだろう。法整備に向けた考え方など実務的なことは、下部組織に期待したい。
そもそも、厚生労働省は何をしているのだろうか。事業仕分けのブログ記事にも書いたように余計なところには口を出しているにも関わらず、きちんと概念提示しなければならない場では存在感がない。