社長の独り言

資産運用コンサルタントの社長日記です

早川徳次

2008-01-28 23:16:39 | 日常
事業家・早川徳次(のりつぐ)は、留学先のイギリスで、
乗車制限を行い車内にゆとりを作っている地下鉄を体験する。
それは近代化の途上でゆとりなどなく、満員の路面電車が往来する東京とは
雲泥の差だった。こうして早川は東京での地下鉄建設を誓う。
ところが当時、地下鉄建設は技術的に無理という先入観があり、
出資者も集まらなかった。しかし早川は周囲から“山師”と言われながらも、
必死に地下鉄への理解を求め続ける。早川が目指したのは、
安全性や快適性というこれまでの日本では顧みられなかったサービスを向上し、
人びとの暮らしの質を高める地下鉄の実現だった。

昭和2年12月30日、早川は上野・浅草間に日本で初めての
地下鉄を開通させた。これが現在の地下鉄銀座線である。
その後、私鉄各社や東京市が地下鉄事業参入の機会をうかがって競争が始まり、
早川の思ってもみなかった結末を迎えることになる。

今や蜘蛛の巣の様に張り巡らされた東京の地下鉄、
その第一歩を記したのが、早川徳次です。
彼の凄いところは、100年後を見据えたところです。
例えば、トンネル。
銀座線の地下トンネルは100年経た今でも何の支障もありません。
あと100年は使えると言われています。
それから、ホームの構造。
開通当初は一両編成でしたが、ホームの長さは六両分が停まれる
長さにしました。
将来、利用客が増えることを見越した結果です。
車両も全て鋼鉄製の車両を作りました。
当時の電車は、ほとんどが木製であったことを考えると
安全性においても将来を見越していました。

何気なく乗っている地下鉄も、
その陰には、この様な偉大な人の功績がありました。
早川徳次の銅像が、銀座駅の構内にあるそうです。
こんど探してみようと思っています。

後に彼が残した言葉です。
「戦争に勝利した今こそ我が国の使命と責任を自覚し 
国家百年の大計をたてるべし」
今の政治家に聞かせたいものです。