卒業生は、無事社会人第一歩を踏み出したでしょうか?
授業開始が連休明けになってしまいましたが、その分短くなった日程で授業をどうするのかなど、課題は山積みです。
ゼミ(特に4年)については、就活も山場が読めなくなってしまったし、5月まで放置でいいわけはなく、本来の授業開始の時期までに連絡したいと思います。

震災から3週間。あの日を境に世界が変わったとか、「戦後」が終わったという人もいるが、どうなんだろう。
原発のトラブルに伴う電力供給の問題は、多かれ少なかれ人々の生活に変化をもたらしつつある。よいシナリオとしては、生産活動の時間的空間的分散が進み、より地に足付いた生活様式が定着するかもない。悪いシナリオとしては、産業の東京離れ日本離れが進み、経済不況(おそらくは全体的な地盤沈下よりも下層の沈下による階層化)がくるかもしれない。表面上よいシナリオが進む陰で、切り捨てが起きるかもしれない。
ただ、阪神大震災のときも、焼け野原ような光景に「世紀末」を感じ、ボランティア活動や被災地域の団結に「新時代」を感じるという声があったが、時代の「屈折」ではあったかもしれなくとも、「断絶」ではなかった。今回もすでに私たちは「終わりなき日常」に戻っていきたがっている。
とはいえ、阪神のときと違うのは、「東日本大震災」というネーミングが示すように被害の範囲が広いこと、そして、放射性物質という未来の不透明さをもたらすものを伴って、電力というテクノロジーに破綻が起きたこと。その絶対的条件の下で、どのような言葉が紡がれ、何がどのようにゆるやかに変わっていくのか。その言葉が紡がれる場の中にいて、望もうが望むまいが言葉を紡ぐ作業に加わってしまう私たちは、どうしていったらよいのか。
「3・11」直後から、すぐに言葉を紡ぐ側に回る同業者に圧倒されながら、時評も社会構想も実動もできない自分は、せめて怪しいことを発信しないようにしながら、事務的仕事で身近なところを回すことに注力しながら、ちょこちょこ情報を収集しつつそんなことを考えているような考えていないような、「日常」というにはまだ浮ついている状態のまま新学期(笑)。
一応個人的には、3週間目に入って取り上げられはじめた「被災者の心のケアを」という言い方の中で、さらに「子どもの心のケア」が特権的な地位を与えているというところが気になるような気にならないような。
子どものためのサッカー大会でいつのまにか大人も参加していたという話を「クローズアップ現代」で見たが、年少者のほうが気持ちの整理や言語化が得意でない一方で、生産年齢の者は抱えるものが大きすぎる。回りに気をつかい感情をためこむ気質が強そうな地域だし(根拠なし)、ソフト面では少なくとも、年齢や属性で過度に区切らない思考が必要ではなかろうか。


授業開始が連休明けになってしまいましたが、その分短くなった日程で授業をどうするのかなど、課題は山積みです。
ゼミ(特に4年)については、就活も山場が読めなくなってしまったし、5月まで放置でいいわけはなく、本来の授業開始の時期までに連絡したいと思います。



震災から3週間。あの日を境に世界が変わったとか、「戦後」が終わったという人もいるが、どうなんだろう。
原発のトラブルに伴う電力供給の問題は、多かれ少なかれ人々の生活に変化をもたらしつつある。よいシナリオとしては、生産活動の時間的空間的分散が進み、より地に足付いた生活様式が定着するかもない。悪いシナリオとしては、産業の東京離れ日本離れが進み、経済不況(おそらくは全体的な地盤沈下よりも下層の沈下による階層化)がくるかもしれない。表面上よいシナリオが進む陰で、切り捨てが起きるかもしれない。
ただ、阪神大震災のときも、焼け野原ような光景に「世紀末」を感じ、ボランティア活動や被災地域の団結に「新時代」を感じるという声があったが、時代の「屈折」ではあったかもしれなくとも、「断絶」ではなかった。今回もすでに私たちは「終わりなき日常」に戻っていきたがっている。
とはいえ、阪神のときと違うのは、「東日本大震災」というネーミングが示すように被害の範囲が広いこと、そして、放射性物質という未来の不透明さをもたらすものを伴って、電力というテクノロジーに破綻が起きたこと。その絶対的条件の下で、どのような言葉が紡がれ、何がどのようにゆるやかに変わっていくのか。その言葉が紡がれる場の中にいて、望もうが望むまいが言葉を紡ぐ作業に加わってしまう私たちは、どうしていったらよいのか。
「3・11」直後から、すぐに言葉を紡ぐ側に回る同業者に圧倒されながら、時評も社会構想も実動もできない自分は、せめて怪しいことを発信しないようにしながら、事務的仕事で身近なところを回すことに注力しながら、ちょこちょこ情報を収集しつつそんなことを考えているような考えていないような、「日常」というにはまだ浮ついている状態のまま新学期(笑)。
一応個人的には、3週間目に入って取り上げられはじめた「被災者の心のケアを」という言い方の中で、さらに「子どもの心のケア」が特権的な地位を与えているというところが気になるような気にならないような。
子どものためのサッカー大会でいつのまにか大人も参加していたという話を「クローズアップ現代」で見たが、年少者のほうが気持ちの整理や言語化が得意でない一方で、生産年齢の者は抱えるものが大きすぎる。回りに気をつかい感情をためこむ気質が強そうな地域だし(根拠なし)、ソフト面では少なくとも、年齢や属性で過度に区切らない思考が必要ではなかろうか。
