今回は、「色絵 花文 輪花形小皿」の紹介です。
表面
側面(その1)
宝尽し文のうちの宝巻が描かれた面(裏側にも描かれています)
側面(その2)
宝尽し文のうちの宝珠が描かれた面(裏側にも描かれています)
裏面
生 産 地 : 肥前・有田
製作年代: 江戸時代前期
サ イ ズ : 口径;13.2cm 高さ;4.1cm 底径;6.5cm
この「色絵 花文 輪花形小皿」につきましては、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で既に紹介をしているところです。
そこで、次に、その時の紹介文を再度掲載し、この「色絵 花文 輪花形小皿」の紹介とさせていただきます。
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<古伊万里への誘い>
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*古伊万里ギャラリー147 古九谷様式色絵花文輪花形小皿 (平成22年5月1日登載)
随分と使用されているのにもかかわらず無傷である。大切に大切に使用されてきた証拠である。
今では、磁器など、安く沢山出回っているから、ついつい粗雑に乱雑に扱いがちだ。
江戸時代の前期の頃には、磁器は珍しく、高級品であったろうから、大切に扱われたのであろう。
もっとも、今でも、ヨーロッパのマイセンとかロイヤルコペンハーゲンとかウェッジウッドとかロイヤルウースターとかの磁器は高価なので、大切に扱われている。
洋の東西を問わず、昔から、高価で高級なものは大切に大切に取り扱われるのであろう。
江戸時代前期 口径 : 13.2cm 高台径 : 6.5cm
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*古伊万里バカ日誌79 古伊万里との対話(花文の小皿)(平成22年5月1日登載)(平成22年4月筆)
登場人物
主 人 (田舎の平凡なサラリーマン)
花 子 (古九谷様式色絵花文輪花形小皿)
・・・・・プロローグ・・・・・
今年の春は天候不順で、暖かくなったかと思うと急に寒くなり、突然「雪」まで降り出す始末である。
それでも、主人の家の猫の額ほどの広さの庭には、季節を忘れずに、花々が咲いてくれている。
そうした、庭の花々を眺めているうちに、主人は「花」を描いた古伊万里と対話をしたくなったようで、押入れの中から「花」を描いた古伊万里を引っ張り出してきて対話をはじめた。
主人: 今年の春は、なかなか暖かくならなくてまいったよ(>_<) この前なんか、4月の17日だというのに、雪まで降ったんだ(@_@;) その日の朝なんか、一面の銀世界だったな。
それでも、庭の花達は季節を忘れずにちゃんと花を咲かせてくれる。ありがたいことだ。そうした花達を眺めていたらお前を思い出したので出てもらった。
花子: それはそれは、思い出していただき、ありがとうございます。
私を見て、暖かな春を感じていただけましたなら、望外の幸せに存じます。
主人: それにしても、お前の周辺部に描かれている花文様はシンプルだね。いかにも「花!」という感じだ。幼稚園生がよくクレヨンなんかで描く「花」がこれだね。「花」の描写の原始的な形態なのかな。まず小さな丸を描き、その周辺をぐるぐるぐると取り巻く線を描いてヒマワリの花のようにし(その点はお前はちょっと違うけど。)、その下に一本の茎を描いて、茎の根元の左右にはちょんちょんと葉っぱを描いているものね。
そんな原始的形態の「花」が、ぐるっと周辺部いっぱいに8本も描いてあって、しかも、口縁は輪形に形成されていて菊の花を思わせるな。それに、かなり使用されているために色絵も擦れが多く、色彩も色あせてしまっていて、全体としてスッキリせず、「花霞み」を見ているようだよ。そんなこんなで、総体として「花尽し」だ!
花子: 保存状態が悪く、色もあせてしまったことが良い方向に働いたのでしょうか。
主人: そうだね。骨董にはそんなところがあるものね。邪道だけど、骨董では、色をこすり落し、古色を付けて楽しむというようなことをする人もいるからね。その点、骨董の世界は、純粋鑑賞の世界とはちょっと違うんだよね。
また、骨董の世界では、わざわざ傷を付け、それを補修して楽しむというようなこともするけど、お前のような、特に何の変哲もない小皿の場合は、無傷にこしたことはないわな。その点、お前は、十分に使用されてきているのにもかかわらず無傷だ! 「よくぞご無事で!」と言いたいところだね。お前のような場合には、無傷であることにこそ骨董価値があるんだろうよね。
花子: これまで、皆さん、私を大切に使ってくれたんですね。感謝しております。
主人: そうだね。よっぽど大事に使用されてきたんだろうね。当時は、磁器は高級品だったから、今よりはよほど大事に扱われたんだろうけど、お前が作られてからの年数を考えると、無傷なことは奇跡的だ。
そうそう、裏面は宝尽しだね。宝珠と宝巻が色絵で描いてある。裏面まで手を抜かないで、ちゃんとキッチリ描いてあるんだよね。現代なら、そんな所までに手間ヒマかけて描くことはないと思うけどね。
花子: そうですね。随分と手間がかかっていますね。造形的にも、輪花形にして、周辺部は波打たせて菊花のようにさせていますし、見込みも一段深くしてありますね。
主人: そうなんだよね。随分と凝っているんだよ。でもね、純粋鑑賞の観点から見たら、ちょっとゴテゴテし過ぎてしつこいんだよね。文様は描き過ぎてスッキリしないし、造形的にも込み入り過ぎていて、シンプルなシャープさに欠けるんだよ。
花子: そうですか。いろいろと見方によて評価が分かれるんですね。
主人: そうだ。骨董の観点からも純粋鑑賞の観点からも、それぞれから高く評価されるのが真の名品といえるのだろう。
花子: そうしますと、私は名品とはいえないんですか・・・・・。
主人: それはそうだろう。だいたいにおいて、我が家に名品など来るわけがないだろう(>_<)
花子: そうですか。それは残念です(涙)。
ところで私は、国内富裕層向けに作られたものなのでしょうか。
主人: そうね~、私はこれまで、海外輸出向けに作られたものを柿右衛門様式、国内富裕層向けに作られたものを古九谷様式と区分して考えてきたんだが、最近では、そう簡単には割り切れないな~と思うようになってきたんだ。
というのはね、現実には、柿右衛門様式とも古九谷様式ともつかぬ古伊万里が結構あるんだよ。どうしても、どっちともつかない古伊万里があるんだ。そんな古伊万里に遭遇すると、果たしてこの古伊万里は、海外輸出向けに作られたものなのか、国内富裕層向けに作られたものなのかと迷うようになったからさ!
花子: どうしてそのように思うようになったんですか・・・・・。
主人: それはね、これまでは、古伊万里の様式論が、オランダ連合東インド会社の船によってヨーロッパに輸出された古伊万里を中心にして論じられてきたからだよ。
でもね、だんだんと研究が進んでくると古伊万里の輸出先は、ヨーロッパのみならずインドネシアやインド、中近東などにも及んでいたことがわかってきたんだ。
佐賀県立九州陶磁文化館が、開館10周年記念事業として「海を渡った肥前のやきもの展」というものを実施したが、その際発行された図録(1990年11月発行)の「ごあいさつ」には次のようなことが書いてある。
ごあいさつ
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肥前磁器の海外輸出は、17世紀後半から18世紀初頭にかけて盛んでしたが、その後はオランダ東インド会社の衰退とともに激減しました。この時期に輸出された肥前磁器の数量は記録に残っている分だけでも370万個以上になります。このように肥前磁器は江戸時代において我が国最大の輸出工芸品産業でした。
ところが実際にどのようなものが、どのような地域に輸出されたかの実態は、ヨーロッパを除くとよく分かっていません。またヨーロッパの伝世品はかなり日本に紹介されていますし、過去に何度か里帰り展が開かれたこともあります。しかし、オランダ東インド会社が東洋貿易の本拠地を置いていましたインドネシアや、記録上、かなりの量が輸出されたインド、中近東などはわずかな例が紹介されているに過ぎませんし、日本でこの地域に輸出された肥前磁器を扱った展覧会は開かれたことがありません。
平成元年に調査した結果、インドネシアやタイに豊富な内容の肥前磁器が渡っていたことが明らかになりました。よって、この地域の肥前磁器の特徴を明らかにし、日本と東南アジア諸国との、陶磁器を通じての交流の歴史を紹介することが、本展の主旨です。
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つまり、古伊万里は、ヨーロッパ以外にも、いろんな国に輸出されているわけだが、実際には、どのようなものがどのような地域に輸出されたのか、その実態は、ヨーロッパを除くとよく分からないというわけさ。
その後、更に10年が経過した2000年には、同じく佐賀県立九州陶磁文化館が、開館20周年記念・日蘭交流400年記念事業ということで「古伊万里の道」展というものを開催しているが、その時発行された図録(2000年10月発行)の中で、同館の藤原友子氏が次のように書いている(同図録143頁)。ちょっと長たらしくなるが引用してみよう。
「古伊万里の道」展について
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肥前磁器を理解するにあたって、海外輸出は避けて通ることのできない要素である。ヨーロッパへ輸出された製品はいわゆる里帰り品として展覧会が開催され、紹介されてきた。ヨーロッパを訪問する人々が、バロック、ロココ様式の城館に肥前磁器が調度品として陳列されているのを実見することを通して、肥前磁器がかつて輸出されたことを知る機会もある。日本各地には里帰り品を含む肥前磁器コレクションが存在する。このように、肥前磁器がかつて海外に輸出されたことは広く知られるところである。
また、柿右衛門様式をはじめとする肥前磁器の模倣作品の存在から、ヨーロッパの陶磁器への影響も強調されてきた。一般の人々の中には、ヨーロッパ初の硬質磁器であるマイセン磁器の発明が、肥前磁器によって引き起こされたという極論をもって認識している人々もみうけられる。しかし、そうした極論には、肥前磁器を圧倒する量をもってヨーロッパに輸出されていた中国磁器の存在が無視されている。また、オランダ連合東インド会社の船舶は、一隻丸ごと肥前磁器のみを満載して日本からオランダへと向かったかのような誤解も生じているようだ。こうした認識には、オランダ連合東インド会社にとって、肥前磁器の輸出時代に日本が銅などの金属資源の供給地であった役割の視点が欠落している。また、輸出先もヨーロッパが主としてとりあげられており、10周年記念展で取り上げられたようなアジア地域が認識されていないこともある。肥前磁器の海外輸出は、ロマンチックで、日本人としてのナルシズムをくすぐる題材としてマスコミにも取り上げられる機会が多い。しかし、その歴史的現象は非常に複雑であり、一口に輸出された肥前磁器といっても、中国磁器不在の間の単なる埋め合わせであったのか、あるいは特別な注文品だったのか、ヨーロッパの生活様式に適応した製品であったのか、たまたま日本国内で流通するべきはずのものが輸出されてしまったものなのか、解釈に苦しむものも多い。当展覧会も、オランダに伝世したものを中心に、オランダが介在した肥前磁器の輸出を焦点とした展覧会としたことから、やはり肥前磁器の輸出の一部を扱った展覧会であり、同時代に輸出された中国磁器、長崎の中国商人による肥前磁器の輸出、オランダからヨーロッパ各地への流通について、肥前磁器と中国磁器によるヨーロッパ陶磁への影響などの点については欠落している。しかしながら、オランダの機関からのご協力によりオランダ関連の情報については充実したものとなった。オランダ連合東インド会社の記録中、公式な貿易品としてオランダへ輸出された肥前磁器を、古文書に精通するレイデン大学歴史学のシンシア・フィアレ博士に集大成していただき、アムステルダム市の地下から出土した肥前磁器についての最新の情報をアムステルダム考古局(アムステルダム市に所属する文化財担当機関)のヤン・バート博士に、アムステルダム出土の肥前磁器についての論考を寄稿していただいた。この展覧会が、日本とオランダとの肥前磁器をめぐる研究について、さらなる学術交流の機会となり、肥前磁器の輸出という複雑な歴史事象について、今一度認識を新たにする契機になれば幸いと考える。
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ここで、同氏は、ヨーロッパに輸出された古伊万里は、ヨーロッパの生活様式に適応した製品だけだったわけではないと言ってるわけだ。
これまでは、金襴手以前の海外輸出伊万里については、ヨーロッパの生活様式に適応した製品の最大公約数的な様式を「柿右衛門様式」と言っていたと思うんだ。ところが、これまで見てきたように、古伊万里の輸出先はヨーロッパだけではないし、また、そのヨーロッパ以外に輸出された物がどんな物だったのかよくわからない。それに、ヨーロッパに輸出された伊万里でさえ、それがヨーロッパの生活様式に適応した製品を主力としていたのかどうかもわからなくなってきたわけだ。そうだとすると、単純に、「海外輸出向けに作られた物=柿右衛門様式」と分類するのはおかしいのかな~と思うようになってきたわけさ。
花子: 研究が進んできますと、これまでの考え方とか常識みたいなものも変えていかなければならないんですね。
主人: そうだよね。まっ、「ヨーロッパ輸出向けに作られた物=柿右衛門様式」とでも分類するならば、それほどハズレていることもないのかな~とは思っているよ。
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