Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

鉄釉 飛鉋文 徳利

2021年06月19日 18時11分27秒 | 古伊万里

 今回は、「鉄釉 飛鉋文(とびかんなもん) 徳利」の紹介です。

 これは、平成10年に(今から23年前に)、地元の骨董屋から買ってきたものです。

 立派な箱に入っていて、箱には、「古伊万里 鉄釉 飛鉋文 徳利」と書かれていました。

 中身はというと、「ええっ、これ、磁器なの? 古伊万里?」と言う感じの物です(~_~;) しかし、値段たるや、堂々たるものでした(笑)。

 これを見て、「へえ~、伊万里では、こんな物も作っているんだ。まだまだ、私も、伊万里の勉強が足りないな~」の思いでした(~_~;)

 それで、古伊万里の勉強もまだまだ足りないな~、もっともっと勉強しなければいけないな~と思い、教材の意味で買ってきたものです。

 しかし、その後、買いっぱなしで、調べもせず、そのまま押入れの中に放置してしまいました(~_~;) 

 今回、紹介するために押入れの中から引っ張り出してきたわけですが、そんな状況ですので、買った時以来さっぱり勉強していませんから疑問のままです(><)

 それで、当面、この「鉄釉 飛鉋文 徳利」の生産地は「肥前・有田」として紹介いたします(~_~;)

 

 

正面(仮定)

首から下には飛鉋(とびかんな)で文様を作り、そこに鉄釉を掛けています。

 

 

正面の裏側

 

 

首部分の拡大

 

 

底面

 

 

生 産  地 : 肥前・有田     肥前・平戸(三川内)

製作年代: 江戸時代中期  江戸時代後期

サ イ ズ : 口径;2.3cm 胴径;12.3cm 高さ;19.2cm 底径;7.2~7.6cm

 

 

 

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追 記(令和5年2月27日)

 令和5年2月22日に、「銹釉 陰刻 牡丹文 徳利」を紹介しましたところ、2~3の方より、「この徳利の生産地は有田ではないのではないだろうか? 波佐見か平戸(三川内)辺りではないだろうか? また、製作年代も江戸中期ではなく、江戸後期になるのではないだろうか?」とか「現在、ヤフオクでは、これに類する徳利が平戸(三川内)焼として売られているようです」とのコメントが寄せられました。

 私は、その「銹釉 陰刻 牡丹文 徳利」を紹介するとき、その生産地と製作年代につきましては自信がもてなかったのですが、その「銹釉 陰刻 牡丹文 徳利」とこの「鉄釉 飛鉋文 徳利」とは非常に良く似ていましたので、この「鉄釉 飛鉋文 徳利」の生産地を有田とし、製作年代を江戸中期としていましたから、それに習って、その「銹釉 陰刻 牡丹文 徳利」の生産地も有田とし、製作年代も江戸中期として紹介したところです。

 ところで、この「鉄釉 飛鉋文 徳利」は、平成10年に購入しているわけですが、これには次の写真のような立派な箱が付いていて、その箱には「古伊万里 鉄釉 飛鉋文 徳利」と書かれていたことは上記したとおりです。

 

 

 購入当時の平成10年頃は、単に「古伊万里」と言えば、それは有田産ということを意味していましたので、ちょっとこの箱書きの表示は中身と違うのではないかな~とは思いましたが、有田ではいろんなものを作っていますので、このような物も作っていたのかもしれないな~、教材のつもりで買っておくかということで購入したわけで、そのことも上記したとおりです。

 しかし、令和5年2月22日に「銹釉 陰刻 牡丹文 徳利」を紹介しましたところ、2~3の方より、「この徳利の生産地は有田ではないのではないだろうか? 波佐見か平戸(三川内)辺りではないだろうか? また、製作年代も江戸中期ではなく、江戸後期になるのではないだろうか?」とか「現在、ヤフオクでは、これに類する徳利が平戸(三川内)焼として売られているようです」とのコメントが寄せられましたことも前記のとおりです。

 そのようなコメントが寄せられましたことに鑑み、令和5年2月22日紹介の「銹釉 陰刻 牡丹文 徳利」の生産地と製作年代につきましては、現在、ヤフオクで、これに似た物が、「平戸(三川内) 飴釉(黄釉)徳利 時代:江戸後期~幕末」として売られているようですので、それに習って、生産地を「生産地:肥前・平戸(三川内)」に、製作年代を「製作年代:江戸時代後期」に訂正したところです。

 そこで、この「鉄釉 飛鉋文 徳利」と令和5年2月22日紹介の「銹釉 陰刻 牡丹文 徳利」とは非常に良く似ていますので、この「鉄釉 飛鉋文 徳利」の生産地も「生産地:肥前・平戸(三川内)」に、製作年代も「製作年代:江戸時代後期」に訂正したいと思います。