Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

染付 草花文 徳利

2021年06月23日 16時50分06秒 | 古伊万里

 今回は、「染付 草花文 徳利」の紹介です。

 

 

絵付けに失敗したと思われる面

 

 

絵付けに失敗したと思われる面から左に約90度回転させた面

 

 

絵付けに失敗したと思われる面の反対面(正常な絵付けと思われる面)

 

 

絵付けに失敗したと思われる面から右に約90度回転させた面

 

 

底面

 

 

生 産 地 : 肥前・有田

製作年代: 江戸時代前期

サ イ ズ : 口径;3.8cm 胴径;8.8cm 底径;4.9cm 高さ;18.2cm

 

 

 なお、この「染付 草花文 徳利」につきましては、既に、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で紹介しているところですので、次に、その紹介文を再度掲載し、この「染付 草花文 徳利」の紹介とさせていただきます。

 

 

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          <古伊万里への誘い>

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*古伊万里ギャラリー148  初期伊万里様式染付草花文徳利  (平成22年6月1日登載)

 

 この手の物は、最近でこそそれほど見かけないが、私が古伊万里の蒐集を始めてまだ間がない頃の昭和50年頃には、結構、地方の古美術店でも見かけたものである。

 私も昭和54年に1点入手している(2019年5月11日付けの記事「伊万里 染付 柳文 徳利 二題」参照)。

 この昭和54年に入手した徳利は、胴に柳の枝のような文様が描かれていることから、「柳徳利」と俗称されていた。

 本徳利は平成10年に入手したものであるが、昭和54年に入手した「柳徳利」とは胴の文様が少々違っていて、枝の中央部に「花」のようなものが描かれている。したがって、「柳文」とは言えないだろうから、「柳徳利」とは呼ばないであろう。「草花文」というところであろうか。

 ところで、本徳利の、特徴というよりは失敗作といえる点は、枝の中央部に「花」のようなものが二個所描かれているが、そのうちの一個所の「花」のような部分が大きく崩れ、一方に太く流れ出しているところである。

 「こんな失敗作のようなものが、捨てられもせず、よくぞご無事で!」と愛おしくなったことも蒐集の動機になったかもしれない(~_~;)

 それはともあれ、昭和54年に入手した後の約20年後に、またも同じようなものを入手したことになるが、コレクターというものは、何度でも同じようなものを集めたがるようである。もっとも、この手の古伊万里には、人を惹きつけてやまないそれだけの魅力をタップリと宿しているからでもあろう。

 

 江戸時代前期     高さ:18.2cm  高台径:4.9cm

 

 

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*古伊万里バカ日誌80  古伊万里との対話(草花文の徳利)(平成22年6月1日登載)(平成22年5月筆)

登場人物
  主 人 (田舎の平凡なサラリーマン)
  蛇 足 (初期伊万里様式染付草花文徳利)

 

 

           蛇足の面            正常な面

 

・・・・・プロローグ・・・・・

 主人は、今回も、主人の所に入ってきた古伊万里の順番に従って対話をすべく、押入の中からそれに該当するものを引っ張り出してきて対話をはじめた。

 


 

蛇足: 暫くぶりです。久々にご主人にお目にかかれました。

主人: ん? 暫くぶりか・・・・・? そうか、お前は我が家に平成10年に来ているから、もう12年も経っているんだね。少し前に買ってきたような気がするんだけどね。月日の経つのは早いもんだ!
 ところで、お前は、相変わらず陳腐だね。見ても新しい感激みたいなのを感じないんだよね。

蛇足: そうですか。それは残念です。でも、それは何故ですか?

主人: そうさね~、お前のような手の物は、あまりにも有名になりすぎてしまって、どんな本にも載っているし、よくお店でも売られているからな~。まっ、目垢(めあか)が付いてしまったということなのかな~。 

蛇足: それじゃ、ご主人は、どうして私を買われたんですか。

主人: 特に理由はないな~。行きつけの古美術店に行った時のことだが、店主が2~3点、店の奥から、新入荷品を出してきて見せてくれたんだ。それらは特に魅力あるものではなかったんだが、「この店からは、ここのところ暫く何も買ってないな~。この辺でお付き合いに何か買わなくちゃいけないな~。何時もお茶をご馳走になっているからな~」と思い、お前を買ったわけさ。

蛇足: 特に理由はなくとも、何か買う動機みたいなものはあったんでしょう。いくら義理買いでも、全く興味がないようなものは買わないでしょうから・・・・・。

主人: それはそうだよ。義理で買うといっても、自分の気に入らないようなものまでは買いたくないものね。
 基本的に、私は、どちらかと言うと、お前のような初期のものが好きだからなのかな~。私は、お前の類品を、お前を買った年よりも20年近くも前の、私が古伊万里のコレクションを始めて間もない頃の昭和54年に買っているんだ(2019年5月11日付けの記事「伊万里 染付 柳文 徳利 二題」参照)。それを買った頃は、古伊万里のコレクションを始めてまだ間もない頃でもあり、大変に感激したんだがね。でもね~、それを20年近くも本で見たり現物で見たりしていると、感激も薄れてくるわけだ。
 ただね、お前達の名誉のために言っておくけど、お前達の美的価値が低下してしまったということではないと思うんだよ。
 古伊万里に接し始めた頃の方々というか、古伊万里初心者というか、そういう方々に対しては大きなインパクトを与えるし、その方々のその後のコレクション形成に影響を与えていると思うんだ。私の場合だって、その後の私のコレクション形成に少なからずの影響を与えていると思う。また、これは有名な話だが、栗田美術館の故栗田館長さんが、20歳の時に初めて買った古伊万里がお前達の類品だった。それはやはり、その後の故栗田館長さんのコレクション形成に少なからぬ影響を与えていると思う。
 このように、お前達には、古伊万里の美を開眼させる力があるんだね。だから、その後も多くの本に登場してくるし、市場にも流通していて、長期間にわたって根強い人気があるんだろう。

蛇足: ところで、私はなんで「蛇足」なんですか。

主人: ハハハ・・・・・。それはね、お前には、唐草文のような柳文のようなものが二個所描いてあるだろう。その中ほどに花のようなものがそれぞれに描かれているよね。そのうちの一個所の花のようなものが一方に長く大きく付け加えられて描かれてしまっていて、その付け加えられた分だけは「蛇足」ではないかと思ったからさ。
 もっとも、これは、たぶん、蛇足的に付け加えられたのではなく、花のようなものを描く時に、呉須をたっぷりと筆に含ませ過ぎたために、呉須があふれて流れてしまったんだろうね。
 結局、これは失敗作ということになるから、現代なら、ただちに廃棄処分されてしまっていて世に出ることはないと思うんだ。しかし、当時は磁器は貴重品だったから、この程度の失敗は許されて流通したんだろうね。
 でもね、失敗作だったと言ったら、面白くもおかしくもなくなっちゃうよ。身も蓋もないじゃないの。ここは、やはり、蛇足的に付加したとしなければ遊び心が感じられないじゃないの。「茶の心」だよ・・・・・。

蛇足: お言葉を返すようですが、私には、やはり、失敗作としか思えないんですがね~。あまりにも不自然ですし、呉須が流れ出した部分は目障りですよ!

主人: う~ん。私は、そこを「蛇足」と見立てて義理買いしたんだけどな~。無理かな~。それに、買う必要もないのに、蛇足的に義理買いしたから「蛇足」としたところもあるんだけどな~・・・・・。

 

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