京都童心の会

ほっこりあそぼ 京都洛西の俳句の会
代表 金澤 ひろあき
俳句 冠句 自由律 詩 エッセイなど同好の人たちと交流

幻住庵記 口語訳   3

2024-04-10 16:35:54 | 俳句
幻住庵記 口語訳 
 3 今の暮らし
 たまたま気分の良い時は、谷の清水を汲んで自分で調理する。西行ゆかりのとくとくの雫を侘びてあこがれ、家の中にはたった一つの炉がある軽々とした暮らしだ。また、昔住んでいた人が特に心高く住みなしていまして、手の込んだ趣味的な造作もない。持仏一間を隔て、夜具を収めることができる所など少し設けている。
 そのように何もない小さい庵だが、筑紫高良山の僧正は、加茂神社の神官甲斐なにがしの令息で、このたび京都に来ていらっしゃったのを、ある人を通して庵の額を乞うた。僧正はとてもやすやすと筆を染めて、「幻住庵」の三文字を書いて送られた。そのまま草庵の記念とした。まったく山居といい旅寝といい、これといった調度品をたくわえる必要もない。
木曽特産の桧笠、越路産の菅でできた蓑ぐらいを机の上の柱に掛けている。
 昼はごくまれに訪ねてくる人に心を動かし、ある時は神官の老人、里の男達が来て入って、いのししが稲を食い荒らし、うさぎが豆畑にやってくるなどと、私が聞き知らない農業の話をし、夕刻日がすでに山の端にかかると帰って行き、夜一人きりで静かに月の出を待っていると自分の影法師があらわれ、灯火をともすと、影のそのまわりにあるうすい影が『荘子』の話にあるように議論を始める。
 こう言うからといって、ひたすら閑寂を好み、隠者のように山野に跡を隠そうというのではない。やや病気の身で人付き合いがわずらわしく、世を嫌う人に似ているだけだ。つらつら年月を経た私のつたない人生の愚行を思うと、ある時は仕官して領地を持つ身をうらやみ、一度は禅宗に入門しようとしたが、行方定まらない漂泊の旅に身を苦しめ、花鳥風月に心を労して、一時のつもりが生涯の仕事とまでになったので、とうとう無能力無才能のまま俳諧の道ひとすじにつながった。白楽天は詩作のせいで五臓の気を損ない、杜甫は詩に痩せてしまった。白楽天、杜甫のような賢人と私のような愚か者とは、彼らの文の華やかさと私の平凡さは同じではないが、どこにいったい幻のすみかではないことがあろうかと、あれこれ思うことを捨てて寝てしまった。
  先たのむ椎の木もあり夏木立

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